
明日の自宅でのお茶会の準備でばたばた・・・、狭いマンションでのお茶会なので片づけがたいへん
赤絵に食指を伸ばすと気になるのはその図柄・・。その中に奇妙な石を描いている作品が多くあります。どうも太湖石というものらしい。
「なんでも鑑定団」に南京赤絵が出品され、その説明資料にあった作品にも描かれています。

柿右衛門手の作品にも描かれており、中国磁器に特有なものだけでもないようです。
(小さなサイズの写真しかないのでご容赦願います)

「太湖石」をインターネットで検索すると
太湖石(たいこせき):中国の蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出される穴の多い複雑な形の奇石とのこと。太湖付近の丘や湖に浮かぶ島は青白い石灰岩でできているが、かつて内海だった太湖の水による長年の侵食によって石灰岩には多くの穴が開き、複雑な形と化しました。太湖石は蘇州はじめ中国各地の庭園で鑑賞や瞑想などのために置かれており、北宋の徽宗皇帝は人民を徴用して、太湖石などを都に運ばせた。これを、花石綱ということです。
それでは太湖とは??
太湖(たいこ、拼音: TàiHú ):中華人民共和国の江蘇省南部と浙江省北部の境界にある大きな湖。その景観の美しさで知られ、中国政府の国家重点風景名勝区に指定されています。
太湖は長江デルタに位置し、大運河ともつながり、多くの中小の河川が流れ込み、またここから蘇州を流れる蘇州河や上海を流れる黄浦江などの河川が発しています。これら太湖周辺の水系はすべて最後は長江に流入し、湖周囲の都市は、北岸の無錫、西岸の宜興、東岸の蘇州(いずれも江蘇省)、および南岸の湖州(浙江省)です。
さらに調べますと
太湖石は石灰岩の一種。中国の太湖から産出したのでいう。洞庭湖などからも産出し、特に水の浸食により奇怪な形をしたものを庭園や植木鉢に置いて観賞用としています。わが国では岐阜県明星山から産出されるという。
白居易(773~846 字は楽天)が刺史として蘇州に行った時、太湖石を五つ得て帰ったということから、この頃すでに愛玩されていたようです。
太湖は七十余りの小島がある景勝の地。湖中には小山が多く、其の上には多くの果園があり、景色がすぐれているので、世に洞天福地というらしいです。
太湖石については、峯・渓・洞などの形をした石で『揚州画舫録』には、太湖石は太湖の中にある石骨で浪の激しさと永い年月によって自然に穴があき、水中にあるので運ぶのがむずかしいと述べている。
日本では狩野派の絵画によく見られる図柄のひとつで、簡略化がすすむと輪のように描いて、本来それが岩であったことがわからなくなっているものもあります。
さて、本ブログで取り上げた赤絵の作品にも描かれています。縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してありますが、これは南京赤絵にみられる手法のひとつです。
楼閣図南京?赤絵八寸輪花皿 その1合箱 高台内「天啓?年製」
口径235*高台径140*高さ46

五彩(天啓赤絵?)花鳥文輪花皿
(明末期時代、AD1621~1661?) 合箱
径156*高台径84*高さ30

本作品がいつの時代に、日本で作られたか、中国で作られたかは定かではありませんが、太湖石をデザインした図柄には相違ないようです。
色彩のあるお皿にもそれなりに謂れがあるようです。いずれ普段使いにしていますが、使うたびにこれはどういう図柄かなと考えると、使う愉しみがまたひとつ増えます。
一般に日本からに注文で作られた古染付や赤絵の中国で作られた作品は、奇想天外な図柄が多く、日本で模倣しても紋様や作りに生真面目さが出て、真贋は簡単に解かると言われています

赤絵に食指を伸ばすと気になるのはその図柄・・。その中に奇妙な石を描いている作品が多くあります。どうも太湖石というものらしい。
「なんでも鑑定団」に南京赤絵が出品され、その説明資料にあった作品にも描かれています。

柿右衛門手の作品にも描かれており、中国磁器に特有なものだけでもないようです。
(小さなサイズの写真しかないのでご容赦願います)

「太湖石」をインターネットで検索すると
太湖石(たいこせき):中国の蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出される穴の多い複雑な形の奇石とのこと。太湖付近の丘や湖に浮かぶ島は青白い石灰岩でできているが、かつて内海だった太湖の水による長年の侵食によって石灰岩には多くの穴が開き、複雑な形と化しました。太湖石は蘇州はじめ中国各地の庭園で鑑賞や瞑想などのために置かれており、北宋の徽宗皇帝は人民を徴用して、太湖石などを都に運ばせた。これを、花石綱ということです。
それでは太湖とは??
太湖(たいこ、拼音: TàiHú ):中華人民共和国の江蘇省南部と浙江省北部の境界にある大きな湖。その景観の美しさで知られ、中国政府の国家重点風景名勝区に指定されています。
太湖は長江デルタに位置し、大運河ともつながり、多くの中小の河川が流れ込み、またここから蘇州を流れる蘇州河や上海を流れる黄浦江などの河川が発しています。これら太湖周辺の水系はすべて最後は長江に流入し、湖周囲の都市は、北岸の無錫、西岸の宜興、東岸の蘇州(いずれも江蘇省)、および南岸の湖州(浙江省)です。
さらに調べますと
太湖石は石灰岩の一種。中国の太湖から産出したのでいう。洞庭湖などからも産出し、特に水の浸食により奇怪な形をしたものを庭園や植木鉢に置いて観賞用としています。わが国では岐阜県明星山から産出されるという。
白居易(773~846 字は楽天)が刺史として蘇州に行った時、太湖石を五つ得て帰ったということから、この頃すでに愛玩されていたようです。
太湖は七十余りの小島がある景勝の地。湖中には小山が多く、其の上には多くの果園があり、景色がすぐれているので、世に洞天福地というらしいです。
太湖石については、峯・渓・洞などの形をした石で『揚州画舫録』には、太湖石は太湖の中にある石骨で浪の激しさと永い年月によって自然に穴があき、水中にあるので運ぶのがむずかしいと述べている。
日本では狩野派の絵画によく見られる図柄のひとつで、簡略化がすすむと輪のように描いて、本来それが岩であったことがわからなくなっているものもあります。
さて、本ブログで取り上げた赤絵の作品にも描かれています。縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してありますが、これは南京赤絵にみられる手法のひとつです。
楼閣図南京?赤絵八寸輪花皿 その1合箱 高台内「天啓?年製」
口径235*高台径140*高さ46

五彩(天啓赤絵?)花鳥文輪花皿
(明末期時代、AD1621~1661?) 合箱
径156*高台径84*高さ30

本作品がいつの時代に、日本で作られたか、中国で作られたかは定かではありませんが、太湖石をデザインした図柄には相違ないようです。
色彩のあるお皿にもそれなりに謂れがあるようです。いずれ普段使いにしていますが、使うたびにこれはどういう図柄かなと考えると、使う愉しみがまたひとつ増えます。
一般に日本からに注文で作られた古染付や赤絵の中国で作られた作品は、奇想天外な図柄が多く、日本で模倣しても紋様や作りに生真面目さが出て、真贋は簡単に解かると言われています
