夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

沱水邨居 伝張大千筆

2011-02-22 06:17:58 | 掛け軸
沱水邨居 張大千筆
紙本水墨軸装 
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦1390*横540




一年間くらい廉価な中国絵画を収集しましたが、結局あまり良いものは手に入らず、資金確保のために処分してしまいました。よさそうなものだけ・?? 楽しめそうな作品だけ手元に残しました。それが以前投稿した斉白石、呉昌碩などです。そのほかに本日投稿したような作品が幾つかあります。



本作品には「丙戌六月沱水(ダスイ:荊州の江水(揚子江)からでる支流)邨居 大千居士張月」と賛があり、張大千が48歳、1946年の作らしい。




近年の張大千の評価は非常に高いと評されています。




本作品は山水画を古画に見せて描いている。古画の贋作名人の片鱗が窺い知れる貴重な一作です。「張爰?□□」の朱方印と「大千」の白方印が押印され、白方印は1948年作「烟波泛舟」にも使用されています。



張大千(1899年5月10日~1983年4月2日):中国近代の著名な画家。

多くの専門家によって二十世紀の最も才能豊かな贋作者の一人として知られる。名を正權といい、後に爰に改名、号が大千。

中国四川省内江の生まれ。若い頃より伝統的な中国画の技法の修行を積んだが、1917年、19才の時に日本の京都へ留学し、京都芸術専門学校で3年間染色を学んだ。

1920~30年代には上海等での個展で認められ、南張(南に張あり)とたたえられた。1931年に「唐宋元明中国画展」代表として日本を短期訪問している。1933年には中央大学芸術専攻教授を務め、1936年に上海中華書局が「張大千画集」を出版、徐悲鴻が序を書き、五百年に一人の画家と称賛される。

1940年から約2年7ヶ月に渡り、敦煌の莫高窟に住み込み、壁画の模写に取り組む。1942年にその成果が発表されるが、それによって敦煌壁画の素晴らしさが大きく広まる事になった。

1948年に香港に移り、以降はブラジル、アメリカなど国外に20年以上滞在し、中国画に西洋の技法を取り入れた作品を制作し始める。1959年には、日本に立ち寄っている。1978年に台湾に移住。台北に住み水墨画に専念、1983年4月2日同地で心臓病により没。享年八十四歳。没後、遺族が住居を国立故宮博物館に寄贈し、張大千紀念館として現在一般公開されている。

張大千は贋作者としても有名である。程度の低い贋作をもって「張大千の作だ」とする者も居るが、張大千の贋作は専門の学者が間違えてしまうようなレベルのものであるとされる。

1957/6月、眼を悪くしたので、それ以後は、贋作はできなくなった。張大千は山水画の他、また花卉の描写を得意とし、とりわけ蓮の花の画題で独自性を発揮した。彼の画風は優雅で、連綿と続く中国の伝統を強く感じさせる。晩年は水墨画に専念し、潑墨という技法により絵に動きを出したり、色彩のコントラストを強めたりする等、力強く、気韻に満ち溢れた作品を生み出した。古典的な中国画の技法と現代の新しい技法を融合させたと評価されている。




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3 コメント

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ええー!! (米吉)
2011-02-22 23:55:15
いろいろ集めた中国絵画の中から手元に残した作品が、つまるところ二十世紀の最も才能豊かな贋作者の作品?
うーん、理解に苦しみますが、贋作というよりは寧ろ本作を凌ぐ素晴らしい模写?ということなのでしょうかね。
ところで、源内焼をジックリと拝見しました。
独特な絵柄文様もさることながら、物を創る端くれとして魅入ったのは「文字」の成形です。
筆のタッチを凸に、しかも微細に作り出すのは非常に難しいのです。沈寿官の緻密な世界とは、また違った趣がありますね。
源内の器に対する思いや時代背景を覗き見るようにカタログ文を読んでみたら
ウーンと思わず腕組みして唸っていました。
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驚くことではない (夜噺骨董談義)
2011-02-23 06:09:28
奥が深いことが世の中にはいろいろあるということでしょうね(笑)
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張大千 (夜噺骨董談義)
2012-03-18 09:09:06
張大千は最近人気が出てきたようです。インターネットオークションで100万を超える落札があったようです。
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