
山国川の向こうに吉富町幸子 ( こうじ ) 集落がある

山国橋

田川の石炭資料館にある 「 橋本英吉の文学碑 」

田川の石炭資料館にある 「 炭鉱夫之像 」
山国川と山国橋
炭鉱夫之像と伊田第1竪坑櫓・大煙突
橋本英吉、本名 ( 白石亀吉 )は、明治31年(1898年)福岡県築上郡東吉富村幸子、
( 現・築上郡吉富町 ) に生まれた。
6歳の時に父と死別し、白石家 ( 叔母 ) の養子になる。
高等小学校卒業後、職を転々とし、大正15年 ( 1926年 ) に横光利一の紹介で
「 文芸時代 」 に処女作 『 炭脈の晝 ( ひる ) 』 が載り、注目される。
昭和3年 ( 1928年 ) に発表した 『 棺と赤旗 』 はプロレタリア文学に橋本英吉ありと
印象付ける代表作となった。
昭和20年 ( 1945年 ) から妻の故郷の静岡県に住み、
気象観測所で働く科学者夫妻の苦闘を描いた 『 富士山頂 』 は、戦後の代表作である。
長編小説 『 若き坑夫の像 』 は、死ぬ2年前の昭和51年 ( 1976年 ) に
新日本出版社から刊行された。
故郷の吉富町と筑豊を舞台に坑夫の前半生を描いた自伝小説である。
「 東山民平は福岡築上郡吉富村幸子 ( こうじ ) に、1898年1月10日に生まれた。・・・
幸子は人口300人足らずの農村で、・・・百メートルほど離れたところを、
西から東に山国川が流入する周防灘があり、
対岸は大分県中津町 ( 現・中津市 ) である 」 の書き出しで始まる。
これは、若き日の作者を彷彿させる作品である。
主人公、民平は小学校卒業後、働きながら講義録で独学を続ける。
谷川菊江と知り合い婚約する。
坑木泥棒の嫌疑で留置場で厳しい取り調べを受けたあと出所して菊江を訪ねると病床にあり、
やがて彼女の臨終を迎える。
主な著書に、 『 嫁支度 』 『 市街戦 』 『 炭坑 』 『 欅の芽立( 文學界賞 ) 』
『 筑豊炭田 』 、 歴史小説 『 忠義 』 などがある。