「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県直方市 ・ 林 芙美子 『 放浪記 』 文学碑

2013-11-27 04:55:20 | 文学・文化・映画作品



「 私は古里を持たない 旅が古里であった 」 林 芙美子 文学碑 








芙美子が大正時代に住んでいた須崎界隈












『 放浪記 』 といえば、森 光子を思い浮かべる方も多いだろうが、
「 放浪記 」 の原作は林 芙美子である。

林芙美子は、少女時代極貧の放浪生活をバネとし、
題材にもして文学修業を重ね、人気作家となった。
小説の主人公はすべて女性で、
それもひたむきな人生の中にいる庶民の女の哀歓を平易な記述で描き続けた作家である。

「 放浪記 」 は昭和3年 ( 1928年 ) 、
当時の文芸雑誌 「 女人藝術 」 に連載されたデビュー作で、
昭和5年 ( 1930年 ) に単行本にされ、60万部という大ヒットとなった。
筑豊・直方を中心に行商人の父母と放浪生活を送った少女時代の思い出に始まり、
広島県尾道の高等女学校を卒業して上京、カフェの女給や事務員、
夜店の物売りなどで苦しい生活をしながら詩や童話を書いていた20歳から22、3までの
日記をまとめたものである。

芙美子は大正4年 ( 1915年 ) から5年 ( 12歳の頃 ) にかけて直方に居て、
「 直方の町は明けても暮れても煤けて暗い空であった。
砂で濾した鐵分の多い水で舌がよれるやうな町であった 」 と書いている。

当時、直方は炭鉱が繁栄期を迎え始め、各地からさまざまな人が流入して来ていた。
芙美子と両親は直方市周辺の炭鉱街を行商して回った。

「 放浪記 」 からは、直方とこれらの人々に対する並々ならぬ愛着が感じられ、
これがその後の彼女の小説の骨格を作って行ったと考えられる。
その後、炭鉱が次々に閉山し、直方の町も大きく変ぼうしたが、
芙美子が住んでいた直方市須崎町界隈は、入り組んだ狭い路地に銭湯や駄菓子屋が残り、
当時の面影をしのばせている。



長崎県平戸市 「 薄香湾港西防波堤灯台 」

2013-11-27 04:53:43 | 長崎の灯台





















































灯台表番号 / 6216
ふりがな / うすかわんこうにしぼうはていとうだい
標識名称 / 薄香湾港西防波堤灯台
所在地 / 長崎県平戸市 ( 薄香湾港西防波堤外端)
北緯  / 33-22-37 ( 36.5 ) 
東経  / 129-32-17 ( 16.8 )
塗色 / 赤色
灯質 / 連成不動単閃赤光 毎5秒に1閃光
光度 / 閃光実効光度470 不動光35
光達距離 / 閃光7.5 不動光3.5海里
地上~頂部の高さ / 8.46m 
平均水面上~灯火の高さ / 10.96m
地上~灯火の高さ / 8.00m
業務開始年月日 / 昭和51年12月21日
光源 / LC管制器Ⅱ型
電源 / 購入電力



いきなりだが、全国でこの灯台をご覧になった方は多いと思う。
なぜなら高倉 健さん主演の映画 「 あなたへ 」 の舞台となった
長崎県平戸市薄香湾港にある灯台だからである。
映画の中で高倉 健さんのバックに写っていた ” あの赤灯台 ” である。



丘に登って・・・ 「 四つ山からの眺望 」

2013-11-27 04:48:54 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



四つ山から観た 「 大牟田市街地 」



四山神社(よつやまじんじゃ)は、熊本県荒尾市大島の四ツ山の山頂にある神社で、
昔、虚空蔵菩薩が降臨された跡と伝えられ、地元では 「 こくんぞさん 」 と呼ばれ、
商売繁盛にご利益がある神社として親しまれている。
毎年2月13日と9月13日に行なわれる大祭には、商売繁盛のご利益にあやかろうと境内はごった返す。
境内で 「 福寿銭 」 と呼ばれる5円玉を受け取り、
その5円玉をお財布の中に入れておくと商売繁盛の願いが叶うといわれている。
「 ご縁(五円)あって儲けだしたら、次の大祭でお礼参りを 」 ということで、
次のお参りの時には倍の10円にしてお賽銭(さいせん)にするのが習わしである。
いっさいの悪を 「 はじき去る 」 竹細工の 「 はじき猿 」 も名物である。

そんな四つ山神社がある四つ山公園のように、丘に登ると必ずと言っていいほど、
吉田拓郎の 「 おろかなるひとり言 」 の歌が頭の中を流れる。



おろかなるひとり言 /吉田拓郎オン?ステージ!!/1





『 おろかなるひとり言 』   作詞 吉田拓郎



丘をのぼって下界をみると 小さな世界がそこにある
ひとはあくせくどこへ行く ひとは疲れた足どりで しかもひとはいそいでいた
丘をのぼって下界をみると 小さな世界がそこにある
ひとは命の絶えるまで ひとは短い人生を しかもひとはいそいでいた
丘をのぼって下界をみると 小さな世界がそこにある
ひとは彼らの思うまま ひとは彼らの道を行く しかもひとは目をつぶり


丘をのぼって下界をみると 小さな自分がそこにある
俺は生まれてこの日まで 俺の道しかみていない しかも道はまだとおい
丘をのぼって下界をみると 小さな世界がそこにある
ひととひととはそれぞれの 道が出会うとすれちがう しかもひとは泣かないで
丘をのぼって下界をみると 小さな世界がそこにある
俺はいそいでおりて行く 俺は自分の来た道へ しかも俺はこの足で



9月の終わりに大牟田に行ったが、あれから2か月が過ぎようとしている。
石橋や灯台、近代化遺産など巡れなかった場所を思うと、また行きたくなって来る。
大川から柳川、大牟田を経由して長州まで行き、
「 そのまま島原に渡りたかっちゃね~ 」 というのも、愚かな独り言だろうな。