
「 私は古里を持たない 旅が古里であった 」 林 芙美子 文学碑

芙美子が大正時代に住んでいた須崎界隈
『 放浪記 』 といえば、森 光子を思い浮かべる方も多いだろうが、
「 放浪記 」 の原作は林 芙美子である。
林芙美子は、少女時代極貧の放浪生活をバネとし、
題材にもして文学修業を重ね、人気作家となった。
小説の主人公はすべて女性で、
それもひたむきな人生の中にいる庶民の女の哀歓を平易な記述で描き続けた作家である。
「 放浪記 」 は昭和3年 ( 1928年 ) 、
当時の文芸雑誌 「 女人藝術 」 に連載されたデビュー作で、
昭和5年 ( 1930年 ) に単行本にされ、60万部という大ヒットとなった。
筑豊・直方を中心に行商人の父母と放浪生活を送った少女時代の思い出に始まり、
広島県尾道の高等女学校を卒業して上京、カフェの女給や事務員、
夜店の物売りなどで苦しい生活をしながら詩や童話を書いていた20歳から22、3までの
日記をまとめたものである。
芙美子は大正4年 ( 1915年 ) から5年 ( 12歳の頃 ) にかけて直方に居て、
「 直方の町は明けても暮れても煤けて暗い空であった。
砂で濾した鐵分の多い水で舌がよれるやうな町であった 」 と書いている。
当時、直方は炭鉱が繁栄期を迎え始め、各地からさまざまな人が流入して来ていた。
芙美子と両親は直方市周辺の炭鉱街を行商して回った。
「 放浪記 」 からは、直方とこれらの人々に対する並々ならぬ愛着が感じられ、
これがその後の彼女の小説の骨格を作って行ったと考えられる。
その後、炭鉱が次々に閉山し、直方の町も大きく変ぼうしたが、
芙美子が住んでいた直方市須崎町界隈は、入り組んだ狭い路地に銭湯や駄菓子屋が残り、
当時の面影をしのばせている。