Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

秋のシュヴェツィンゲン再訪

2021-09-14 | 雑感
日曜日の頂上往復をした。日没は19時50分、つまりその時刻には足元の悪いところ通過していたい。十分に余裕をもって18時30分には出かける。

昼過ぎにも接種の後遺症のふら付き感や胸の圧迫感はあったが、17時頃に横になって暫くすると体調が回復して、行けると思った。しかし、無理をせずに様子を見ながら完走できれば完走、それもゆっくりと走るということで早めに出かけたのだ。

準備体操などをして、走りだしは18時50分、つまり頂上には遅くても19時30分過ぎに到着する。少々遅れても日没前には頂上領域から下の林道を走っている筈だ。それ以前に胸が苦しくなれば頂上を諦める。

意外に走りだしは悪くはなかった。前回朝走った時よりも大分楽なのである。それでも誰にも合わず頂上到達も苦しく遅かったが、少なくとも足は活きていた。急いで下るとやはり最近には珍しく心拍数が181にまで上がっていた。歩数もゴール間近で毎分177だから先ず先ずの運動量である。

九月に入ってから初めての頂上往復。あと二回走れるかどうか。週二回走って10㎞で、高度差が514mである。体重も72.1kgでなんとか夏太りは避けられている。それでシャワーを浴びると左腕に痒さを感じたので注射痕の絆創膏も剥がした。これで私の接種は終わりだ。これ以降副作用が出るなら冗談ではない。もし無事完走していなかったなら心理的にも副作用を引き摺っていたかもしれない。

シュヴェツィンゲンの秋に延期された音楽祭の券を入手した。昨年も残券一枚だけのベルチャ四重奏団演奏会に29ユーロで後ろの方だった。しかし300人規模で80人程だったので視界が効いた。今回は殆ど入れていて危ない。音響も悪くなり、視界も悪くなる。それでも一日だけは価値があると思った。

それは、今年ヴュルツブルクでも聴く予定だったユリアン・プレガルティアンが「白鳥の歌」をマルティン・ヘルムヒェンの伴奏で歌い、そして月光ソナタが弾かれて、またミュンヘンの若い作曲家マリイスホーファーのベートーヴェンへのオマ―ジュがブレンターノの歌詞を付けて演奏される。チェロは編曲と恐らく最後の曲で共演。

ヘルムヒェンは、ルツェルンでバルトーク三番が弾けないシフに代わってモーツェルトを弾いたが、ネルソンズ指揮ゲヴァントハウスの伴奏では彼の良いところが潰されていると感じた。つまり室内楽で聴いてみたかった。今回と同じプログラムでの五月のアシャフェンブルク劇場公演はキャンセルになっている。モーツァルトフェストでは同じ面子での一部異なるプログラムが無観客で演奏されたので、今回が一部再演である。とても楽しみなプログラムだ。ドイツ系のピアニストでは室内楽でも大物が殆ど出ないようになっている。シュヴェツィンゲンでは前夜に歌手の親父のクリストフ・プレガルティアンが歌曲の夕べを歌う。

私は、日曜日にはミュンヘンに行って、国立劇場新体制での初日を体験することになっている。だから、宿は取ってあるのだが、日帰りするか翌朝戻って来るかの判断をしなければいけない。「鼻」は休憩無しで上演されるようなので、19時開始ならば21時半には帰宅の途に着けるのではないかと思う。それでも早くとも帰宅は午前1時になる。少し厳しいか。しかし列車に乗れたら?フェルトキルヒの17時始まりとの差は大きい。



参照:
僅か八十人程の音楽会 2020-09-08 | 生
公演続行を最優先に 2020-10-20 | 文化一般
コメント
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