Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

玄人の舞台捌きを観察

2021-09-17 | 
お勤めで一っ走りした。短い緑のベンチまでの往復である。外気温が21度ぐらいだったので、17時半に出かけて、戻って来て肉屋に立ち寄った。夏とは異なり、夕方が早く冷えて呉れれば日没と競争する必要が無くなる。上半部に出ると谷の奥の山の向こうに夕焼けが見えた。

工事をしていたところも終わったようで、ホースも無くなっていた。取水を変えたのだと思うがよく分からない。谷の下部は魚を焼いたような腐った様な匂いが鼻についた。何か分からなかったのだが、下りに以前もその辺りで匂っていたことを思い出した。同じ時期だと思う。恐らく、獣が何かをしているのだ。その辺りに生息しているのは猪なので、本当に生臭く、獣よりも魚に近い。その広がりが百メートル四方以上に拡がっているので、余程の思春期の子沢山なのか何か分からないが、糞尿の匂いとは全く異なるのである。あまり関わりたくない奴らである。

シュヴァルトヴァルトから持ち帰ったブロッツェンの写真を見るとやはり恋しくなる。まともなパンがやはり欲しい。今週も天気さえよければ取りに行く機会があったかもしれないが、雨が降って他所の街まで行く機会が無かった。来週ぐらいだろうか。

今週はもう一寸会計を済ましてしまい同時に来週までにはコロナ間の全てを清算したい。愈々コロナ禍を終える準備が出来て来た。結局丸二年ぐらいはかかることになる。来週になると接種証明も完全に揃ってフランス以外では有効になる。

ARDコンクールの受賞者演奏会第一晩生中継を観た。お目当ては、南米風の女性ヴァイオリニストで三位と聴衆賞を獲得したという人の演奏だ。写真からとても芸術的に面白いと思わせた。演奏どころか、音など聴かないでもいいので、いつもの勘である。

先ずは場面展開のインタヴューに出ていて、コメ食ということでなるほどと思っていたが、実はモラヴィアの音楽家系の出身で、オランダ人ジャニー・ヤンセンのスイスでの最初の三人の教え子だと分かった。道理でヤンセンがスイスでの登場が多い筈だ。それでハイドンの協奏曲を弾いたが、舞台態度などは板についていて、完全に玄人だと分かった。更に先生を踏襲したのか胸開けが若い頃の美人ヴァイオリニスト、ムローヴァを思い出させるほどで、中々いいところを突いて来たと思った。しかし流石に左右から食み出しそうになるので、テュッティの時に上から胸を覗き込んで肩紐を上げていた。

写真で全てが分かるのだが、それはなにもルックスとかどうかでは無くて、その人の芸術性であり人間性であり、音楽性となる。楽器もそれほどのものではないと思うのだが、ややもすると先生よりも良く鳴らせているかもしれない。それでも奏法や姿勢などは似ているところがあってやはり真似るのだろうなと思う。同じモラヴィアのコパチンスカヤなどよりもいいものを持っていて、先生がキャンセルした時などに飛び込みで大きなデビューが転がり込んでくる可能性もあるだろうか。

玄人の家庭出身ということとは別に、舞台捌きも先生のヤンセンにとても似ていて、聴衆とのコンタクトの取り方もとても巧い。そういうところは演奏技術以上に先生の舞台捌きをいつも観ていると習ってしまうのかもしれない。大先生で大舞台に頻繁に登場しているという人はそれほど多くはないかもしれないが、アレクサンドラ・ティルスュ本人が語っていた「音楽、技術だけでなく人間性から学んでいる」とはそういう所を表していたのかもしれない。確かにヤンセンも、大舞台に立っていてもフランクさを失わないところがあって、個人的にはオランダ美人は一人ぐらいしか記憶にないのだが、とてもいいキャラクターを自らで構築している。




参照:
五十人でも代えがたい 2021-05-01 | 音
芸術の多彩なニュアンス 2019-04-15 | 文化一般
コメント
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