Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

それなりにハナがある

2021-09-22 | 雑感
本当は既に新しいノートブックを使っている筈だった。DHLも配達したことになっている。しかし、その時刻の直ぐ後にも数時間経っても影一つない。一体誰に何を渡したのだと思う。早速苦情の電話をしておいた。待ったのは気に要らなかったが、重要なのは会計が今月内に終わることで、物が届くのは遅れてもよい。それまでの時間を会計処理に使いたい。

ノートブックが来たらやはり使い易いように整理するのに時間が必要になる。特にWLAN内でのコミュニケーションを整えるだけで可成りの時間が必要になる。動かす前に作業工程表を作成しないと捗らない。

ブロウザーのアドレス移転と同時に今まで使っていたOperaの広告規制が駄目になったので他のものに替えようと思う。三種類使うので残りの一種類の選択は難しい。思い切ってマイクロソフトという手もあるがアドブロックが効かないと意味が無い。次にEメーラーのサンダーバードの移植である。

そこでVNCインストール調整。これが双方の問題があるので結構時間を喰う。その前にNASとの更新も上手く行っている筈だが、何が起こるかやってみないと分からない。WinベースのSAMBAでやるのでそれ程手間取ることはない筈だ。

あとは、飛ばすためのクロームキャストオーディオも組み入れる ― 今ネットを見ると2019年に製造中止になってなんと140ユーロもしている。確か30ユーロ以下で購入したと思うので四倍以上に価値が沸騰している。二つ購入しておいてよかった。

週末に生中継されたアンスバッハからのオープンエアーを流している。何もない街の広場で舞台を作ってやっているのだが、スターテノール歌手のカウフマンがキャンセルしたのも頷ける。代わりにべチャラが出て来て歌っているが、大スターとなると居間の窓から覗かれているようなところでは歌いたくないと断っても仕方がないかもしれない。

指揮者も先代音楽監督のペトレンコのような世紀の天才のオーラが無いと大スターも靡かない。その指揮を聴いていると勿論全然悪くはないのだが、最後の時期のペトレンコ指揮の集中、凝縮度とは違うので物足りない反面、座付楽団がとても綺麗にふっくらと鳴っていることに気が付く。
OPER FÜR ALLE in Ansbach (17.9.21)


どのような指揮者が後任になっても肩の並べようがないことからすれば、楽団の質を保ちつつ独自の色を出せればそれで十分としかならないだろう。初めから要らん事はして要らんというのが多くの意見では無いか。

それに引き換え、後任のドロニー支配人はネットプレゼンテーションだけでなくそのプログラムにも色濃く色を出している。上のキャンセルの為にカウフマンがフェースブックで挨拶しているが、その奥にはやはり「あんなところでは歌えない」という気持ちが感じ取られる。上のような何の変哲もない広場で開催を決めた支配人のコンセプトをカウフマンが遠回しに「今迄とは異なる人々に」と翻訳しているのだが、BRの司会者もミュンヘンの本番に来て呉れと語り掛けている様に、恐らく劇場の幕が締まってからでも自宅まで列車で帰れるような圏内にあるのではないかと思う。

まあ、10月末のショスタコーヴィッチ作新制作「鼻」に出かけてみないとどうにも分かり難い。期待が大きいということもあり、その音楽監督としての手腕はブカレストのエネスコ音楽祭でも評判なので、お手並み拝見である。今回のオープンエアーでもショスタコーヴィッチなどを入れているので、なにか繋がってくるのだろうが、まだよく分からない。雰囲気は、やはり前任者よりもあるので、音楽劇場としての成果が問われる。歌手に見栄を切らせるところもとても劇場指揮者臭い。



参照:
サマータイムの清涼感 2019-07-22 | 暦
ヴァルトビューネの指揮姿 2021-08-27 | 雑感  
コメント
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