ルツェルン音楽祭のバーデンの新聞評を読む。記者は知らない人なので、11月のバーデンバーデンではどうなるか分からない。しかし地元紙がある程度の評を書いているのは重要で、今後オペラの初日のみでなく継続的な報告が必要になるからである。その点、今迄はルツェルンからの報告はしていなかったように思えるのでやる気が見えていい。
なによりもいいところを突いているのは、シューベルトの大ハ長調交響曲における二楽章への言及である。ダイナミックスと音色を丁寧につけて行って、慎重に盛り上がりを作ったとしている。その中でもゲネラルパウゼからチェロが優しい歌で慰めの欠片を与える、その前の悲痛の叫びが最高の盛り上がりだとしている。確かにこのアンダンテコンモートの出来は素晴らしかったのだ。
そしてその早く、息をも呑む終楽章においても弓の先を使ったりして、反復繰り返しでも全くエネルギーを失う事無く進め、最後は必ずしも芸術的な頂点ではないと考えているようで、上を向いて抑えるような手つきで響き鳴り終るようにしたとある。
ペトレンコの指揮は、決して派手なものではなく、エレガントな訳でもなく派手なものではないが、なによりも音楽的なのだと評している。そしてスタンディングオヴェーションの大喝采とあるが、少なくとも最前列では全く気が付かなかった。
なるほどペトレンコらの視線もそちらに向かっていたのだろう。いつものように?若干目線が合った様なのは一番最後であった。こちらも自分自身の拍手よりも会場の受け取り方にこそ興味を持っているのでどうしてもそのような感じになる。まさしくご苦労様という気持ちだ。
身体を一週間動かしていなかった。体調を崩しそうなので陽が陰るのを待って走りに出かけた。19時半ごろから短いコースを走った。緑のベンチの近くに行くと薄暮に人の後ろ姿が見えた。結局上で追いついた。上背のある爺さんで「雷天気」だと、下から走って来たのに驚いていたようだ。こちらが、暮れる時間に下らなければいけないのに、爺さんがいたのに驚いた。普通の足でどちら方向にしても下に着いたら闇になっていたと思う。
こちらも気温が下がるのを待っていたのだが、摂氏22度と高く、早めに走ることはならなかった。これからは日没が20時とかになって来ているので、夏時間でも18時ごろには走らなければ駄目になる。気温の問題であるから、フレキシブルにやって行かないといけない。
今週は二度目の接種があるので、その前に出来れば頂上まで攻めておきたいのだ。しかし気温は高いので、日没との競争になる。暗くなると足元が危ないので都合が悪くなる。しかし大汗掻いては走りたくない。
そう言えば今回の旅行準備は時間があまりなくて、往路で聴こうと思っていたベルリン初日の録音が上手くタブレットにコピー出来ていなかった。だから初日の往路はアスラエル交響曲を聴いていた。そして翌日には同じスーク作曲「夏のメルヘン」を聴いた。この二つの繋がりに興味があったからだ。本当ならば昨年アスラエル交響曲を聴ける予定だったが、それが無くなった分「夏のメルヘン」で埋め合わされた形になった。前者は夏のツアーで名演を聴かせたフランツ・シュミットの交響曲にも若干共通しているところがあったので、結果としてはどうだったのだろうかと想像した。
参照:
Fratzen, Lächeln, Schmerzensschrei, Georg Rudiger, BZ vom 06.09.2021
大河の流れのように 2021-09-05 | 音
待たれるワクチンベビー 2021-09-04 | 雑感
なによりもいいところを突いているのは、シューベルトの大ハ長調交響曲における二楽章への言及である。ダイナミックスと音色を丁寧につけて行って、慎重に盛り上がりを作ったとしている。その中でもゲネラルパウゼからチェロが優しい歌で慰めの欠片を与える、その前の悲痛の叫びが最高の盛り上がりだとしている。確かにこのアンダンテコンモートの出来は素晴らしかったのだ。
そしてその早く、息をも呑む終楽章においても弓の先を使ったりして、反復繰り返しでも全くエネルギーを失う事無く進め、最後は必ずしも芸術的な頂点ではないと考えているようで、上を向いて抑えるような手つきで響き鳴り終るようにしたとある。
ペトレンコの指揮は、決して派手なものではなく、エレガントな訳でもなく派手なものではないが、なによりも音楽的なのだと評している。そしてスタンディングオヴェーションの大喝采とあるが、少なくとも最前列では全く気が付かなかった。
なるほどペトレンコらの視線もそちらに向かっていたのだろう。いつものように?若干目線が合った様なのは一番最後であった。こちらも自分自身の拍手よりも会場の受け取り方にこそ興味を持っているのでどうしてもそのような感じになる。まさしくご苦労様という気持ちだ。
身体を一週間動かしていなかった。体調を崩しそうなので陽が陰るのを待って走りに出かけた。19時半ごろから短いコースを走った。緑のベンチの近くに行くと薄暮に人の後ろ姿が見えた。結局上で追いついた。上背のある爺さんで「雷天気」だと、下から走って来たのに驚いていたようだ。こちらが、暮れる時間に下らなければいけないのに、爺さんがいたのに驚いた。普通の足でどちら方向にしても下に着いたら闇になっていたと思う。
こちらも気温が下がるのを待っていたのだが、摂氏22度と高く、早めに走ることはならなかった。これからは日没が20時とかになって来ているので、夏時間でも18時ごろには走らなければ駄目になる。気温の問題であるから、フレキシブルにやって行かないといけない。
今週は二度目の接種があるので、その前に出来れば頂上まで攻めておきたいのだ。しかし気温は高いので、日没との競争になる。暗くなると足元が危ないので都合が悪くなる。しかし大汗掻いては走りたくない。
そう言えば今回の旅行準備は時間があまりなくて、往路で聴こうと思っていたベルリン初日の録音が上手くタブレットにコピー出来ていなかった。だから初日の往路はアスラエル交響曲を聴いていた。そして翌日には同じスーク作曲「夏のメルヘン」を聴いた。この二つの繋がりに興味があったからだ。本当ならば昨年アスラエル交響曲を聴ける予定だったが、それが無くなった分「夏のメルヘン」で埋め合わされた形になった。前者は夏のツアーで名演を聴かせたフランツ・シュミットの交響曲にも若干共通しているところがあったので、結果としてはどうだったのだろうかと想像した。
参照:
Fratzen, Lächeln, Schmerzensschrei, Georg Rudiger, BZ vom 06.09.2021
大河の流れのように 2021-09-05 | 音
待たれるワクチンベビー 2021-09-04 | 雑感