Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

取れた隔靴掻痒感

2021-09-23 | アウトドーア・環境
プライムシートを流した。やはりハイレゾは物凄い。前夜には初日の中継録音を圧縮音源で聴いた。正直隔靴掻痒と言った塩梅で、特にペトレンコ指揮の場合は生公演の方が放送よりも多い位に経験しているので自然に脳で修正して仕舞っている。

それに気が付いたのは矢張り三日目9月19日のハイレゾ録音だ。残念ながら「火の鳥」全曲が停滞無しにはまだ流れていない。しかし、何回も流して録音したので編集すれば完全になるぐらいの殆どの材料は揃っている。

それどころか、推奨されている様にLANケーブルCat.6を使って受けてみると、なんとDSD2.8MHzまでが流れるようになった。しかし、状況はどうもサーヴァーの状況にも因るような感じもした。しかし演奏時間が長くなると難しくなる。

ハルトマンの方は若干聴いた感じでは初日の方がショー的要素が強そうで、三日目は大分音楽的に纏まって来ている感じだ。以前のコパンチンスカヤ演奏シェーンベルク協奏曲も同じような経過を辿っていて、後の方が演奏がよくなって来ていた。あれだけのシアターピース的な演奏をしていても収まるところに収まって来る、この女流ヴァイオリニストが業界で残っているのはその辺りの勘の良さだと思う。もう少し真面目に弾けよと思うのだが、上手く角が取れて行く。しかしこの曲に関してはペトレンコの言うベルリンでだけで試してみる曲で、ツアーに持ち出して何回も演奏するものではないだろう。但しロストジェネーレーション企画に入っているのでまだ来年の上海旅行までは尾を引く。

「火の鳥」はまさにこの音響は生で聴けるのかと思うと身震いするが、ハイレゾ96kHzでも圧倒的で、こうした独自の音響を為し得たのは、フルトヴェングラーとかカラヤンぐらいしか思い浮かばない。ラトルは論外としても、アバドもスタイリッシュな響きがあったが、技術的にも完成しなかった。

ペトレンコ指揮のミュンヘンの場合のそれは奇しくも後任音楽監督の指揮を聴いて余計に明確になったことでもあり、ベルリンでの上の音響は、ペトレンコ体制が先日のスーク「夏のメルヘン」に続いて完成に近づいていることを示している。ラトル指揮のその音響が余りにもツルツルでどうしようもなかったので余計にその意味ある音響が際立ち、音物語が溢れ出す。それ故にハイレゾの音響は圧倒的なのだ。聴き逃し期間にもう少し試行錯誤して聴き直してみたい。

天気も良く乾いていたので四年振りぐらいでボルダーに出かけた。様子見にだけでも行こうと思って、久しぶりに岩を触ると様々な感覚を思い出した。辛抱が出来ないのだが、意外に腑抜けになることはなかった。最後の時期に買った靴が苦しかったので、次回はもう一つの簡単な靴を持って行って踏ん張りが効くようにすればいいと思った。重心も下げられて意外に体幹感覚があったので、もう少し試してみたい。何か以前観た様な爺婆がそこにいて、一体ここは黒澤の蜘蛛の巣城(シェークスピアのマクベスの魔女の情景)かと思った。日頃の走りのトレーニングの距離が活きて呉れればよいと思うが、直ぐに息が上がった。

16時20分過ぎに出かけて、途上幸いにシャツを洗濯屋に取りに行けた。来週使うかどうか分からないが、一用事済んだ。16時50分前に最初の課題、17時12分頃に二つ目の課題、18時10分頃に三つ目の課題を触っただけだ。それでも最後のはそれなりに登れた。

心拍数は140までしか上がっていないのであれほど息をハアハアさせても心臓には負荷されていないのだと分かった。矢張り筋力である。兎に角腹に力が入るような感じは決して悪くはなかった。お茶をカブ飲みしたからか、体重が一キロほど増えていた。朝食も肉をガッツリ摂ったからかもしれない。

これで翌日の筋肉痛の復調や、それを解すための走りまでをこなせたならば、今後の見通しがある程度効いてくると思う。コロナ明けには数年前の感じを取り戻しつつ、何か進展があればいいと思っている。



参照:
文化団体としての意思表示 2021-09-19 | マスメディア批評 
強制退去のつがい 2020-10-09 | 雑感
コメント
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