Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ミュンヘンに通った甲斐

2022-01-26 | 文化一般
睡眠はあまり取れなかった。夜食にニンニクラーメン迄食べてしまったからだ。3時間少ししか就寝できなかった。今晩ぐっすりという事になりそうだ。二日掛けて疲れを取って三日目ぐらいにまた一走り。

明日は昨年のミュンヘンの新制作「ジュディッタ」中継録画ストリーミングである。それの準備に挿入曲をもう一度洗っておきたい。特に気になっているのはシェ―ンベルクの「幸福の手」である。ブーレーズ指揮の録音もありもう一度確認しておきたい。短いながらも特に印象に残ったことは書いたが、その内容を吟味する。

映像自体は初日に撮ったことは間違いないが、必要ならば音声は編集してある筈だ。特に大きな問題はなかったのだが、更によくなっているところがあるのかどうか。ミュンヘンの劇場は今の体制になる前から商品化を毛頭に置くようになったので容易に生中継して終わりという事ではなくなった。

商品化して永久に残すものならば最初からマンパワーを投じて、其の儘製品化可能なものをストリーミングで流さないといけない。その観点から以前は初日のラディオ放送に中継映像の二種類が存在した。勿論比較すれば修正点も分かるが、永久保存版を制作するには不適当となる。

プッチーニの「三部作」の映像を観ると当日にテノールのブレスレックの声が出なくなって袖で他の人が歌ったのを思い出した。それで全く使い物にならない映像になってしまった。演奏自体はとても素晴らしいので、初日の放送に戻ってみると、これはこれで将来録音だけを出す可能性はあると思った。あれだけの配役はザルツブルクでは到底集められない。ペトレンコ時代の管弦楽は全く異なっていたのがよくわかる。こちらはその為に態々通ったのだった。「影の無い女」も映像が二種類以上あっていいアングルで映してある全曲はヴァリコスキーの演出と相まって、来年の復活祭のものが幾ら上手くいってもそれなりの価値は持ち続けそうである。

そこでミュンヘンのオペルンフェストシュピーレの発注を考える。ペンデレツキはどうしても行きたいと思うのだが、どれぐらいの価格の券ならば配券可能性が高いか。あまり馴染みのない曲なのでそこ迄は広く売れないだろうが、目玉であることには変わりない。秋のショスタコーヴィッチの初日の最低倍は出さないと難しいだろう。あれはなぜか全然売れなかったのだ。だから68ユーロでいい席で観れた。

これも希望日の予定で宿を先に決めておいてもいいかと思う。ベルリンのコンサートの場合は夜行で戻るという方法を発見したのだが、ミュンヘンはどうも間に合いそうな時刻にはない。先日のベルリンでの演奏会も結局22時ごろまで拍手が続いていて、最後までいたら間に合う時刻ではなかった。やはり列車は行動が制限される。

車がいつまで乗れるかもわからないので、夏にはマスクを外して列車で往復することも考えているのである。そのような先行きも2月中盤には分かる。ラウターバッハ保健相がそこ迄乗り切れば、規制する意味がなくなるとしているので、次の冬に備えて接種の扱いが決まるだけとなる。



参照;
ペトレンコ劇場のエポック 2017-12-22 | 音
ゴーゴリの鼻の威厳 2021-10-27 | 音
コメント
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