Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

LANケーブルで中継

2022-01-29 | マスメディア批評
ベルリンからの中継がある。無料で地元のラディオ放送局と日本のIIJからの音声、有料のデジタルコンサートホールのストリーミングで全て同時中継の様だ。特に真ん中のものはハイレゾ配信なので会場にいるよりも生々しい。中々環境が整わないと上手く流れないがそれだけの価値はある。

そんなこともあり、陽射しもあったの暖房のしていない階下のデスクを片付けた。カテゴリー6のLANケーブルも付け直しておいた。現在7をNAS接続に使用しているが、既に8が通常価格で出ているので、新導入しようかと思う。確かに6から7に替えて内臓SDRのように全くストレスが無くなった。通常のストリーミングなどでは何もケーブルで有線接続する必要がないのだが、大容量となると心強い。

オーディオファンが高価なケーブルを頻繁にアップグレードして手軽な楽しみにしているようだが、このNASのストレージとルーターとの接続は少しでも大容量のケーブルを使いたいという気にさせる。精神衛生上にもよろしい。嘗ては5とか4とかを使っていたことを考えると10年ほどのハード技術的進展は本当に大きい。オーディオの音質とか辛気臭い投資と異なって至って健康的、価格も10ユーロ以下ならば心配は要らない。但し古いのが溜まって来てあまり使い道が浮かばない。

中継されるコンサートの初日の評が面白い。キリル・ペトレンコ指揮演奏会では嘗てないほどの厳しい評価が下されている。前半のアロイス・ツィムマーマン「フォトプトシス」は色彩豊かで絶賛、二曲目のルトスラウスキー交響曲もその描き分けで高評価。

しかし後半のブラームス第二交響曲に対しては大失望とされている。前半の終楽章のテムポ感が抜けていなかったのだろうかと、息も付かずのテムポに苦言していて、ブラームスが光を望みこむ最も美しい交響曲が、作曲のヴァルター湖の光り輝く素晴らしい風景が、鞭を入れられて、全ては捨て置かれて表面的になっていたとしている。

公演の最後になって初めて一曲目がハイライトだと分かったとしている。ブラームスはモダーンへの途上とする解釈の選択は結構疑問としている。そして歓喜する聴衆を白い目で記録している。

一昨年の第四交響曲に始まっているのだが、当時のソーシャルディスタンシング楽器配置での演奏には本来のペトレンコが目していた密で高い比重で透明に鳴る形の構造的なブラームスは聴かれなかった。2017年に同曲をミュンヘンで振ったものを聴いていたのでその感が強かった。彼自身が音楽監督をしていたマイリンゲンでの初演の復興を目した演奏実践だった。しかし、シーズンオープニングのベルリン一回とザルツブルクの一回しか演奏されていなかったので楽団にも定着するのは難しかったのだろう。

ブラームスの交響曲は毎二年ほどの感覚で演奏されそうだが、出来れば来年以降に所縁のバーデンバーデンでも交響曲に限らずものにしてもらいたいと思う。ドイツェスレクイエムを指揮することもあるだろうか。



参照:
Am Wörthersee scheint keine Sonne, UDO BADELT, TagesSpiegel vom 27.1.2022
ザルツブルクのブラームス 2020-09-14 | 音
シャコンヌ主題の表徴 2017-10-13 | 音
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