ミュンヘンの劇場からの「ジュディッタ」のストリーミングはArteのオンデマンドのリンクでしかなかった。失望は大きかった。しかしそれでも公演の内容は再確認可能だった。
こうして記録されたものを観ても、やはり突出している出来だった。なるほど音楽的には前シーズンの「トリスタン」が音楽芸術的に世界の頂点だったことは誰の異論もないだろう。しかし音楽劇場公演として演出企画を含めて「ジュディッタ」が頂点だった。ドルニー新体制の門出とした見出しがあったが、確かにその前のショスタコーヴィッチ「鼻」においては欠いていた明白なコンセプトが見て取れた。
「鼻」が盛り足らなかったのは、音楽的な充実に加えて、演出家がモスクワからリモート指導したことでもう一つ舞台が徹底しなかったような印象があったことだろう。それに比較して、「ジュディッタ」の成功は、演出もマルタ―ラーの独自チームどころか舞台装置まで使っての熟れた徹底があったからだろう
この演出の核には51%のレハールの作品とそれ以外が引用されていることにあるのだが、音楽だけに限っても15曲も引用されて挿入されているのである。その楽曲も題名喜歌劇作品の同時代の作品という事でレハール自作「発熱」(1915)を一曲含む。
フィルムが始まって21m30s後にヘルダリンの詩にアイスラーが作曲した「故郷」(1940)。二曲目には35m15sから「発熱」が始まるが、既にホルヴァート「スラ―デクもしくは黒い兵隊」(1928)が読まれていて、本来の若いペアーがここでの二人の役に変わっていて、その負傷兵がベットで魘されての内容へと進んでいる。北イタリアの黒い風船で「脱走兵の運動」がそのもの意匠となっている。ここまでで違和感が起こらないのはまさしくレハールの政治信条が既に奏でられているからなのだが、これを僅かな先行情報と歌詞と字幕だけで容易に合点が下りたとは思われない。特に「発熱」でのラデツキーマーチ引用がその原曲として認識されていなければ不明瞭さが付き纏う。
参考音源 ―
Eisler: The Hollywood Songbook (1943) - Die Heimat (Hölderlin-Fragmente)
Franz Lehár : Fieber (Fever), symphonic poem for tenor and orchestra (1915)
ここで、「サロメ」における演出の如く大股開きのおばさんが泳ぐところに、「どこに美を得るの?」と世の摂理を歌ったヴィクトール・ウルマンの曲が歌われる。すると有名な「世界は二人の為に」のペアーの歌声と繋がる。
5 Liebeslieder, Op. 26a: No. 1, Wo Hast du All die Schönheit hergenommen
そして52m40sでアルバン・ベルク作曲の「アルテンブルクの絵葉書」の「雷」(1912)へと繋がれ心象風景となる。北アフリカへの船は揺れて、55m20sにてバルトーク「不思議なマンダンリン」(1928)でパントマイム劇となる。勿論ここでそのオリジナルの破局的な内容へと関心が向かうのだが、テキストもないことから音楽的な印象が優先されるだろう。
Alben Berg - Altenberg-Lieder op.5: II. "Sahst du nach dem Gewitterregen", LSO/Abbado, M. Price
Bartók - The Miraculous Mandarin, Suite - LSO / Solti
70m00sの同じくパントマイム劇「幸福の手」から「おお、なんと美しい」で音楽的頂点となり主役ペアーの別れ話へと。恐らくここも通常の上演ではただのメロドラマとなる所なのだが、演出上ペアーは舞台後ろの小枠に入れられてと取り分け不思議な舞台となっている。
Die glückliche Hand, Op. 18: II. II. Bild: Ja, o ja! Das Bluhen, o Sehnsucht
更に黒い軍隊の「スラーデク」の若い恋人の口封じ命令へと進み、心象風景が83m40s「ここは平和」で第三者的に歌われる。これも素晴らしい音楽的盛り上がりとなっている。因みにここまでの進行で台詞をマイクに向かって発するところと其の儘会場へと向かって発する台詞と二種類ある。
Berg: 5 Orchesterlieder nach Ansichtskartentexten von Peter Altenberg - No. 5 Hier ist Friede
― 参考音源(続く)
参照:
伝播する分からぬ流行り 2021-12-24 | 文化一般
レハールの曲は詰まらない? 2021-12-21 | マスメディア批評
こうして記録されたものを観ても、やはり突出している出来だった。なるほど音楽的には前シーズンの「トリスタン」が音楽芸術的に世界の頂点だったことは誰の異論もないだろう。しかし音楽劇場公演として演出企画を含めて「ジュディッタ」が頂点だった。ドルニー新体制の門出とした見出しがあったが、確かにその前のショスタコーヴィッチ「鼻」においては欠いていた明白なコンセプトが見て取れた。
「鼻」が盛り足らなかったのは、音楽的な充実に加えて、演出家がモスクワからリモート指導したことでもう一つ舞台が徹底しなかったような印象があったことだろう。それに比較して、「ジュディッタ」の成功は、演出もマルタ―ラーの独自チームどころか舞台装置まで使っての熟れた徹底があったからだろう
この演出の核には51%のレハールの作品とそれ以外が引用されていることにあるのだが、音楽だけに限っても15曲も引用されて挿入されているのである。その楽曲も題名喜歌劇作品の同時代の作品という事でレハール自作「発熱」(1915)を一曲含む。
フィルムが始まって21m30s後にヘルダリンの詩にアイスラーが作曲した「故郷」(1940)。二曲目には35m15sから「発熱」が始まるが、既にホルヴァート「スラ―デクもしくは黒い兵隊」(1928)が読まれていて、本来の若いペアーがここでの二人の役に変わっていて、その負傷兵がベットで魘されての内容へと進んでいる。北イタリアの黒い風船で「脱走兵の運動」がそのもの意匠となっている。ここまでで違和感が起こらないのはまさしくレハールの政治信条が既に奏でられているからなのだが、これを僅かな先行情報と歌詞と字幕だけで容易に合点が下りたとは思われない。特に「発熱」でのラデツキーマーチ引用がその原曲として認識されていなければ不明瞭さが付き纏う。
参考音源 ―
Eisler: The Hollywood Songbook (1943) - Die Heimat (Hölderlin-Fragmente)
Franz Lehár : Fieber (Fever), symphonic poem for tenor and orchestra (1915)
ここで、「サロメ」における演出の如く大股開きのおばさんが泳ぐところに、「どこに美を得るの?」と世の摂理を歌ったヴィクトール・ウルマンの曲が歌われる。すると有名な「世界は二人の為に」のペアーの歌声と繋がる。
5 Liebeslieder, Op. 26a: No. 1, Wo Hast du All die Schönheit hergenommen
そして52m40sでアルバン・ベルク作曲の「アルテンブルクの絵葉書」の「雷」(1912)へと繋がれ心象風景となる。北アフリカへの船は揺れて、55m20sにてバルトーク「不思議なマンダンリン」(1928)でパントマイム劇となる。勿論ここでそのオリジナルの破局的な内容へと関心が向かうのだが、テキストもないことから音楽的な印象が優先されるだろう。
Alben Berg - Altenberg-Lieder op.5: II. "Sahst du nach dem Gewitterregen", LSO/Abbado, M. Price
Bartók - The Miraculous Mandarin, Suite - LSO / Solti
70m00sの同じくパントマイム劇「幸福の手」から「おお、なんと美しい」で音楽的頂点となり主役ペアーの別れ話へと。恐らくここも通常の上演ではただのメロドラマとなる所なのだが、演出上ペアーは舞台後ろの小枠に入れられてと取り分け不思議な舞台となっている。
Die glückliche Hand, Op. 18: II. II. Bild: Ja, o ja! Das Bluhen, o Sehnsucht
更に黒い軍隊の「スラーデク」の若い恋人の口封じ命令へと進み、心象風景が83m40s「ここは平和」で第三者的に歌われる。これも素晴らしい音楽的盛り上がりとなっている。因みにここまでの進行で台詞をマイクに向かって発するところと其の儘会場へと向かって発する台詞と二種類ある。
Berg: 5 Orchesterlieder nach Ansichtskartentexten von Peter Altenberg - No. 5 Hier ist Friede
― 参考音源(続く)
参照:
伝播する分からぬ流行り 2021-12-24 | 文化一般
レハールの曲は詰まらない? 2021-12-21 | マスメディア批評