Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

藤四郎の支配人なんて

2022-01-10 | 文化一般
久しぶりにアメリカからの放送を聴いた。フィラデルフィア管弦楽団の中継である。昨年のカーネギーホール再開などで結構賑わっていて、それらの中継などDLしていたのだが、なぜか紛らわしさがあった。カーネーギーでのユジャワンのショスタコーヴィッチもあんなによかったかと思った。室内楽などを通して表現力が増したようだ。矢張り彼女は忙し過ぎてじっくり練習する時間がなかったのだろう。
Yuja Wang (2021) plays Shostakovich - Piano Concerto No. 2 in F major Op. 102


そしてフィラデルフィアでの同じような再開の放送に絡んでYouTubeにも10月5日前の「ボレロ」のシークエンスを見つけて堪能した。10月8日にカーネーギーの再開が中継されていたが、矢張り18ヵ月ぶりという感じはホームでの演奏とは全く異なっていた。
Carnegie Hall reopens for 1st live concert since pandemic

Philadelphia Orchestra performs Bolero by Ravel


指揮者のネゼサガンがインタヴューで話していたが、この期間中に距離を空けて縮めていくことで芸術的に習うことがあったというのは全くベルリンのライヴァルと同じで、なるほどアンサムブルがもう一段と洗練されていた。

カーネギーの中継ではあまり感心しなかったのだが、ホームで丁寧に演奏すると矢張り頂点にある管弦楽団だと分かる。同じ「運命」を演奏させても同じ指揮者が欧州室内管弦楽団を振ってどうしようもない演奏をしているのとは一味違う。楽団が持っている伝統、ここの場合は楽員が教育を受けているカーティス音楽院のそれが反映しているのだろうか。

東京から歌劇場のオンラインのヴィデオを少し観た。しかしロッシーニ「セヴィリアの理髪師」の序曲で断念してしまった。あまりにもそこで弾いている楽団の演奏が悪すぎて、歌手の声まで聴く気がしなかった。
新国立劇場オペラ『セビリアの理髪師』より(2020年)Il Barbiere di Siviglia- New National Theatre Tokyo, 2020


同じ劇場では世界的に通るであろう東フィルという楽団がありながら、二国建設の企画の時から座付き楽団として使うかどうかが議論になりながら、結局抱え込む経済的な危険性や公平性や日本独自の人事の問題で見送られたのは知っていた。しかし、現在の様子をうかがうとあまりにも他の交響楽団演奏との差が大き過ぎるのに気が付く。

更にどうしようもないあんちょこな交響楽団の奈落入りの演奏をこうして世界に流すという蛮行をやってしまう根本には、しかるべき判断をするべき人がいないことを物語っている。なぜドイツの公立の劇場では支配人の立場が芸術的にも最も影響があるかというのはそうした音楽面での一致にもある。

世界最高のオペラ劇場であるミュンヘンの人事もバイエルン州の文化教育省が責任を持っているのだが、現在の体制を選択するときにも様々な面から検討されていて、同時に各方面からの声を聞いていたことは知られている。支配人と音楽監督をペアーで選任するというのは正しいことで、いいペアーが見つからなければ駄目ということであった。藤四郎の支配人には芸術的コンセプトも音楽監督も一致も何にもない。

音楽監督に腕がなければ、優秀な客演指揮者を呼んできても、座付き楽団がそれだけの演奏を出来ないことから、我々は客演指揮者が振っているのを聴いても、そこの音楽監督が無能かどうかは直ぐに分かるのである。



参照:
ブルーレイROM三枚目 2022-01-09 | 文化一般
音楽劇場のあれこれ 2018-03-08 | 女
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