二度目のラン。新しい靴で二度目で、気温が摂氏3度と前回とは大分冷えていたので、全く足元の感じが変わった。地面は太陽で乾いていたのだが、放射冷却で可也硬かった。突き出ている小石の上も滑り易そうで、それ程靴底のゴムに馴染まなかった。靴本体もごわごわ感があって、フィット感も薄かった。更に紐を強めに締めた。但し足元の安定感は高いので下りなどの安心感はある。やはり足入れと紐の問題は解決しなければ使いにくい。
年末年始はなぜか落ち着かなかった。心理的なものも大きいのかもしれないがあまり平常以外の事に手を付けられなかった。一つにはコロナ禍による生活習慣上の弊害が生じてきたと思う。
グランクリュワインも二種類しか開けなかった。飲んでいる余裕感が無かったからだ。一本目は栗ザウマーゲンに合わせて地元のフォルストのキルヘンシュテュック2007年ものである。ドイツで一番高価な地所であるが、醸造所によって数倍以上の価格差がある。その中でも上位で、亡くなった指揮者でもあったエノッフ・ツグッテンベルク家所有のフォンブール醸造所のグローセスゲヴェックスであった。
代々の所有であったが、指揮者活動に投資がいるのか最終的には手放した。息子の元財務大臣も興味がなかったのだろう。首相候補になっていながら、これまたドイツでも有数に古い家系の念願であるである博士号取得にコピーをしていたために政治家を引退したのだった。オーストリアの前首相の様に国家秘密を持ってアメリカの情報局に一時雇われていた。
そのような醸造所だが一時は品質も上がっていたかに思えたのだが、こうして最高のリースリングを醸造するだけの力がなかったのを確認した。長持ちせるために、酵母やその他を多用していた様子で、下に溜まっていたのは酒石ではなくて、粉上の濁りだった。酒石として固まらないということは。
こうした大きなワインは実際に十何年とかの経過を見ないと最終的には価値を査定できない。勿論悪いワインではなかったのだが、それ以上の瓶熟成がなかたっともいえる。逆に若さを保つだけの醸造はしていて、草臥れ感はエティケット程になかった。反対に上手く熟成させるだけの醸造をしていなかったことが明らか。価格的にはお買い得だったので、期待だけさせられたのみで、全く損はしていない。間接的にではあるが、ミュンヘンのオーナーの楽団の資金の極一部になっていただけである。
Enoch zu Guttenberg, Requiem Verdi, KlangVerwaltung
リースリングでも瓶熟成を最初の段階から予想するのは専門家でも経験が豊富にならないと難しい。偶々住居の関係で、門前の小僧ではないが経験だけは大分つけさせてもらった。今年の春は問題なく試飲できる筈だ。
もう一本のラインガウのグレーフェンベルク2016年ももう一つ開いていなかった。またこれも新鮮味は失われていなかったのだが、深みを楽しめるほどではなかった。ブドウの果実の熟成度も重要なのだが、やはり醸造技術も高くないとビオワインとしての長持ちはそれ程容易ではない。
参照:
既に遅しとならないように 2018-06-27 | 雑感
議論出来ない情報社会問題 2009-11-30 | 歴史・時事
年末年始はなぜか落ち着かなかった。心理的なものも大きいのかもしれないがあまり平常以外の事に手を付けられなかった。一つにはコロナ禍による生活習慣上の弊害が生じてきたと思う。
グランクリュワインも二種類しか開けなかった。飲んでいる余裕感が無かったからだ。一本目は栗ザウマーゲンに合わせて地元のフォルストのキルヘンシュテュック2007年ものである。ドイツで一番高価な地所であるが、醸造所によって数倍以上の価格差がある。その中でも上位で、亡くなった指揮者でもあったエノッフ・ツグッテンベルク家所有のフォンブール醸造所のグローセスゲヴェックスであった。
代々の所有であったが、指揮者活動に投資がいるのか最終的には手放した。息子の元財務大臣も興味がなかったのだろう。首相候補になっていながら、これまたドイツでも有数に古い家系の念願であるである博士号取得にコピーをしていたために政治家を引退したのだった。オーストリアの前首相の様に国家秘密を持ってアメリカの情報局に一時雇われていた。
そのような醸造所だが一時は品質も上がっていたかに思えたのだが、こうして最高のリースリングを醸造するだけの力がなかったのを確認した。長持ちせるために、酵母やその他を多用していた様子で、下に溜まっていたのは酒石ではなくて、粉上の濁りだった。酒石として固まらないということは。
こうした大きなワインは実際に十何年とかの経過を見ないと最終的には価値を査定できない。勿論悪いワインではなかったのだが、それ以上の瓶熟成がなかたっともいえる。逆に若さを保つだけの醸造はしていて、草臥れ感はエティケット程になかった。反対に上手く熟成させるだけの醸造をしていなかったことが明らか。価格的にはお買い得だったので、期待だけさせられたのみで、全く損はしていない。間接的にではあるが、ミュンヘンのオーナーの楽団の資金の極一部になっていただけである。
Enoch zu Guttenberg, Requiem Verdi, KlangVerwaltung
リースリングでも瓶熟成を最初の段階から予想するのは専門家でも経験が豊富にならないと難しい。偶々住居の関係で、門前の小僧ではないが経験だけは大分つけさせてもらった。今年の春は問題なく試飲できる筈だ。
もう一本のラインガウのグレーフェンベルク2016年ももう一つ開いていなかった。またこれも新鮮味は失われていなかったのだが、深みを楽しめるほどではなかった。ブドウの果実の熟成度も重要なのだが、やはり醸造技術も高くないとビオワインとしての長持ちはそれ程容易ではない。
参照:
既に遅しとならないように 2018-06-27 | 雑感
議論出来ない情報社会問題 2009-11-30 | 歴史・時事