Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

輝かしい満天の星

2022-01-14 | マスメディア批評
朝早い放送を待った。7時45分だから車で通勤中の人も多いだろうか。ベルリンからの放送で、前の晩のフィルハーモニーでのオペラ「イオランタ」の演奏会形式上演の批評だった。

こちらの興味は急遽飛び入りしたアスミク・グリゴーリアンとキリル・ペトレンコの初共演ぶりである。グリゴーリアンをフランクフルトで最初に聴いたときにこの歌の細やかさを引き出すにはペトレンコの指揮以外にはないと思ったからだ。既にその時にバーデンバーデンでのデビューは決まっていた。だから当夜の歌手との集いで一体ペトレンコと何をやるのだと質そうかと思っていた.。復活祭以外に彼女が出る可能性はもはやないと予想していたからだ。つまりペテルスブルクのマリンスキー劇場一座の土佐周りに付き合う時間などはもはやないと認識していたからである。

「オネーギン」とかまた昨年演奏された「マゼッパ」とかを考えたのだが、結局「スペードの女王」と分かった。その四月の初共演の予定が三か月早まった。

さて、その放送を聴いてもグリゴーリアンの歌唱を扱って、「管弦楽を容易につき抜けてくる透明な歌声とそのダイナミックスの細やかさに触れて、ピアニッシモでも耳に届くが、ひょっとすると心に届かないかもしれない」と地元放送局の評論としていた。全くオペラを分かっていない人で、精々歌曲ぐらいしか分からないのだろうと察知した。

そして、同じ局の違う情報波では絶賛の評が語られる。そして水曜日初日の音が流された。なんと会場に響き渡るグリゴーリアンの声、これならばペトレンコも可也ダイナミックスレンジを広げられる。それは上の評でもあったので、「マゼッパ」以上に鳴っていた様である。

音楽の要素における音量に関して、高尚な高度な表現としてはピアニッシモ方向には広げても意外に上に開くことはあまり考えられないことがある。理由はそれだけ歌えない鳴らせない現実があるからであって、これが音楽劇場でも大きな劇的要素の制約にもなる。いつも語るように、ミュンヘンの大劇場で声を其処まで出せる歌手は技術と声を持っている片手で数えるぐらいの歌手しかいない。グリゴーリアンが語る、「リリックに歌っても求められるドラマ性」としていたものである。しかし最終的には歌を開き切るには指揮者の技量が問われる。まさしく初共演で期待されたところでもあるのだ。

そしてグリゴーリアンの歌が「潤いを帯びて苦悩に、力強く、そして優しく、最後には歓喜へと、他の歌手もついて来いという具合になって、あまりに多彩で素晴らしい満天の星の一時」となったとある。

なるほど先ほどの批評でも、「西欧ではペトレンコの鉄のような冷めた響きの中から熱いものが沸き上がる表現は聴かれない」としているが、まさしくグリゴーリアンがリリックの声でドラマティックにとするそのものでもある。更に当日も彼女の呟きでは「父親がどうしても期待していた役がこのイオランタであった」と態々繰り返している。

終演のその表情を見れば満足のいく出来だったことは分かるのだが、これからがペトレンコ劇場の幕開けであって、中継のある土曜日へと金曜日を挟んでもう一つステップを上げっていくことだろう。触りのところを聴いただけで私などは心臓がパクパクしだすので、一体どういうことになるだろうかと恐ろしいぐらいである。



参照:
90 Minuten musikalisches Glück: "Jolanthe", Maria Ossowski, RBB Info vom 13.1.2022
Kirill Petrenko dirigiert Tschaikowskys "Jolanthe", Kai Luehrs-Kaiser, rbbKultur vom 13.1.2022
復活祭に向けての準備 2022-01-12 | 文化一般
透徹した眼力なくとも 2022-01-08 | 女
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