久しぶりの落雷停電だった。無料券で18時過ぎからのディジタルコンサートホールを生中継から、過去アーカイヴへと移って流し続けていた。23時30分は過ぎていたか、ブラックアウトになった。早速、デスクの前のボードのヘッドランムプをつけて、いつもの蠟燭に火を灯した。遠雷であったが当分回復しそうにないので、就寝することにした。それでも零時を回っていた。
やはりWLANも切れ、電話も掛からないとなると為すすべもない。タブレットに入っているフランス映画などを観ながら大人しくしていたが1時半ぐらいかに点灯した。その時のことを考えて、もう一度電源が入った時の危険性をチェックして起き上がろうと思っていた時だ。結局階下のラムプを消し忘れていた。やはりそういうことは仕方がないので、消し忘れるのが普通だと思う。炊事時に地震などの時は誰でも消し忘れるだろう。
それで安心して就寝したが,少なくともその間冷蔵庫には電気が流れていないことも先ほど気が付いた。幸い雷雨があって十分に冷えていたので関係はなかったが、夏の暑い盛りならば、生鮮食料品の痛みも早くなっただろうと思う。
さて、生中継は先ずは怪我の指揮者ペトレンコが普通に歩いて出てきていて安心した。高椅子に腰を落とす感じで、右足のギター奏者の足台のような物を使って、結構立って指揮もしていた。流石に最後の答礼でチェロソロ奏者を立たせるのを忘れる程痛かったっ様で、踏ん張り過ぎていたようだ。
例年の事で、二回目のザルツブルクで少し抜いて指揮をしてもらえばそれでいいだろうか、ルツェルンでしっかりとやって貰いたい。音楽的な細かなことはもう少しお勉強して、実演後のネタとして置いときたいが、印象は結構強かった。
なによりも余り動き回らないので、身体の軸が安定しているようで、落ち着いた音が出ていた印象がある。良し悪しではないが、何か今後にいい影響を与えそうで楽しみである。ペトレンコ指揮の音楽の最大の利点は引きづらないことで、テムポを上げたから解決するものでもなく、早くても弾きづる指揮者も少なくない。反面、曲によってはもう一息入れたいと思わせることもある。特に独墺系の核レパートリー指揮で思わせることであるが、今回のマーラー作曲第七交響曲では、それは一つの曲の特徴として作曲家の当時の状況として活きていたと感じた。
そしてコロナ後初めての独伝統配置での響きは素晴らしく、ミュンヘンで絶賛されたライヴ録音のCDを彷彿させた。これだけいい響きのベルリナーフィルハーモニカーは初めだ。ピッチも何か安定してきているようで、疑問点が悉く解決されて行っている。弦楽の上手さは米国のビッグファイヴのそれを超越して更に木管が絶妙につけている。響きに関してはやはりフィルハーモニカー自身が語っているように、「スペードの女王」での奈落の響かせ方が、ビフォアーアフターで効いてきているようで、素晴らしいとしかいいようがない。
独伝統的配置がよく鳴るシューボックス型のルツェルンの会場でどのような響きとなるか今から余りにも期待が膨らみ過ぎる。
参照:
ベルヒテスガルテン眺望 2022-08-12 | 音
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
やはりWLANも切れ、電話も掛からないとなると為すすべもない。タブレットに入っているフランス映画などを観ながら大人しくしていたが1時半ぐらいかに点灯した。その時のことを考えて、もう一度電源が入った時の危険性をチェックして起き上がろうと思っていた時だ。結局階下のラムプを消し忘れていた。やはりそういうことは仕方がないので、消し忘れるのが普通だと思う。炊事時に地震などの時は誰でも消し忘れるだろう。
それで安心して就寝したが,少なくともその間冷蔵庫には電気が流れていないことも先ほど気が付いた。幸い雷雨があって十分に冷えていたので関係はなかったが、夏の暑い盛りならば、生鮮食料品の痛みも早くなっただろうと思う。
さて、生中継は先ずは怪我の指揮者ペトレンコが普通に歩いて出てきていて安心した。高椅子に腰を落とす感じで、右足のギター奏者の足台のような物を使って、結構立って指揮もしていた。流石に最後の答礼でチェロソロ奏者を立たせるのを忘れる程痛かったっ様で、踏ん張り過ぎていたようだ。
例年の事で、二回目のザルツブルクで少し抜いて指揮をしてもらえばそれでいいだろうか、ルツェルンでしっかりとやって貰いたい。音楽的な細かなことはもう少しお勉強して、実演後のネタとして置いときたいが、印象は結構強かった。
なによりも余り動き回らないので、身体の軸が安定しているようで、落ち着いた音が出ていた印象がある。良し悪しではないが、何か今後にいい影響を与えそうで楽しみである。ペトレンコ指揮の音楽の最大の利点は引きづらないことで、テムポを上げたから解決するものでもなく、早くても弾きづる指揮者も少なくない。反面、曲によってはもう一息入れたいと思わせることもある。特に独墺系の核レパートリー指揮で思わせることであるが、今回のマーラー作曲第七交響曲では、それは一つの曲の特徴として作曲家の当時の状況として活きていたと感じた。
そしてコロナ後初めての独伝統配置での響きは素晴らしく、ミュンヘンで絶賛されたライヴ録音のCDを彷彿させた。これだけいい響きのベルリナーフィルハーモニカーは初めだ。ピッチも何か安定してきているようで、疑問点が悉く解決されて行っている。弦楽の上手さは米国のビッグファイヴのそれを超越して更に木管が絶妙につけている。響きに関してはやはりフィルハーモニカー自身が語っているように、「スペードの女王」での奈落の響かせ方が、ビフォアーアフターで効いてきているようで、素晴らしいとしかいいようがない。
独伝統的配置がよく鳴るシューボックス型のルツェルンの会場でどのような響きとなるか今から余りにも期待が膨らみ過ぎる。
参照:
ベルヒテスガルテン眺望 2022-08-12 | 音
人生における省察の日 2021-09-09 | 音