Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

二十世紀前半のその感覚

2022-08-18 | 文化一般
演出家のマルターラ―がチャールズ・アイヴスの交響曲を引き継いだ。2018年のルールのビエンナーレでの公演である。未完のユニヴァーサル交響曲こそが将来の宇宙人若しくは人間が当時を振り返ることになる作品だった。まさにシムフォニーである。

音楽的には、交響曲四番や四重奏曲、そして当時のブラス音楽、ピアノ曲、そして「答えの無い質問」で終えるように指揮者のエンゲルが繋ぎ合わせた。なるほどこの公演の今回再放送されたヴィデオを観る限り、この内容を把握するには将来あるべき高度な頭脳が必要になるだろう。その現場に観客としていればその表現の中に含まれてしまうのだろうが、客観的に観察するのは遙かに難しい ― そもそも昨年の「ジュディッタ」でさえ挿入曲目を把握している人は通人でしかない。

ドイツェヴェレの批評が書くようにセンチメンタルとなる所をユーモアが解放するような構成になっていて、作曲家アイヴスの本望であった開かれた作品がその儘引き継がれることになっている。その乾いた思考と感覚がマルタ―ラー演出の最大の魅力である。

個人的には昨年ミュンヘンで新制作された「ジュディッタ」へとここでのフィギュア―や舞台装置などが流用されていることで、それどころか同じ面々のキャラクターが芝居をしていることから、更に多くの情報が飛び交うことになっている。

如何に芸術が創作されるとき、無垢な態度でそれに挑むことが難しいかでもあり、中途半端な知識や見識は創作物に対しての理解を阻害することにはなっても深めることにはならない好例でもある。

本当に創造的な芸術活動は、過去の認識では定義出来ないからこその創造性であって、そうした生半可な知識が理解を妨げるということになる。まさしく作曲家のチャールズ・アイヴスが書き残したものはそこにある。

マルタ―ラー演出を体験したのは昨年の10月が最初だったと思うが、ザルツブルク音楽祭で何があったかは思い出せないのだが、少なくともモルティエ博士の遺稿集には九回も名前が載っている。個人的には2005年のバイロイト音楽祭での「トリスタン」演出の時に名前を聞いている。

昨年の「ジュディッタ」も撮影されているがその映像化はまだ未公開である。来る二月の再演時ぐらいにリリースされるだろうか。今回の再放送の映像は既に二枚組DVDとして発売されていて、バイロイトでの映像も発売されているが、通常の上演よりも音楽劇場向きの演出家に違いない。

確かにこの上演でアイヴスの曲を聴くとその開かれた作品の在り方が手に通るように分かる。そしてパイプ椅子を前後させて鳴らす場面だけでなくて、アイヴスの音楽が描く狂気性にも思いが回る。まさしく20世紀の前半の宇宙そのものである。



参照:
卒無く間隙無しに 2022-02-04 | 料理
ジュディッタ公演内容詳細 2022-01-28 | 音
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