Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

音楽劇場指揮者の実力

2022-08-01 | 文化一般
ミュンヘンで最も有名な劇場評論家がシーズンベストを挙げた。先月のズルヒャー新聞に続いてハース作「ブルートハウス」を挙げて、歌手陣から演出、指揮者エンゲル迄と書いた。友人としても、とても喜ばしい。それどころかミュンヘンの劇場を越えてと書き添えている。個人的には復活祭の「スペードの女王」も捨てがたいのだが、音楽劇場表現としてはペトレンコとエンゲルの指揮では大分差がある。

期間を長くとっても年内にそれ程の公演があるだろうか?少し気になるのは今晩から始まるシュヴァルツ演出マイスター指揮の「指輪」がどれだけ新機軸になるかである。いづれにしてもマイスターやエンゲルが将来のバイロイト音楽祭を切り回していくことは殆ど固まっていると思う。エンゲルがデビューするにしても昨年のエアル「ローエングリン」初指揮以降の話しであるから、早くても2025年頃か。2023年に「パルジファル」も新しくなるので、2024年「マイスタージンガー」、2025年「ローエングリン」ぐらいだろうか。

今回のザルツブルク音楽祭でのヴェルサーメストの「三部作」指揮も見事だった。バイエルン放送局は全てが良かったが、指揮だけに傷があたっとして、プッチーニとリヒャルトシュトラウスを履き違えているとまで怒っている。この件に関しては改めて議論が必要である。しかし、メストが示した指揮はもっと大切な音楽劇場としての仕事であった。それに関しては、スタイル以前の問題で、そもそもアスミク・グリゴーリアンに三つのオペラの三人の女性を歌わす企画から二回の休憩が必要になり、その演出の都合で作品の上演順番を変える必要があった。先ずはその時点で正統性を議論してもいいだろう。

2017年にこの作品をミュンヘンで二回聴いた。特に「修道女アンジェリカ」を十八番としているエルモネーラ・ヤホがコンディションが悪かったので再訪したようなものだった。よく覚えているのは二回目の帰路にスピード違反で減点されたからだった。それを消すのに三年掛かった。また喜劇「ジャンニスキッキ」もオールスターキャストで良かったのだが、最初の「外套」を含めて音楽的には異物感が多かった。それだけの名歌手が揃うとどうしてもでこぼこが多くて様式的な統一性も薄くなってしまうからでもあり、演出の枠組みはしっかりしていたのだが、ペトレンコ指揮の音楽自体はあまりに抒情的で劇性は薄かった。

今回の演出のロイが優れていることもあったのだが、ドラマテキュルギー的な位置づけが明白で、その分音楽的にもはっきりした意味付けがなされていた。それはテキストの節々にも色彩がまぶされていたりと、ヴィーナーフィルハーモニカーの木管の音色が見事に表情を作っていた。こうした指揮でこの座付き楽団の演奏を聴くとやはり個々の力量はとても高いことが知れた。その水準は全体としてはともかくミュンヘンの劇場では求められないものだった。その意味から中々これに匹敵する座付き楽団はやはり求め難い。

音楽劇場のそれが分からない時分は、ヴィーナーフィルハーモニカーの演奏ということである程度信頼してザルツブルクに通っていたのだが、今回のような程度の演奏は一昨年のエレクトラではコロナ期間中もあってか難しく、漸くそれを堪能した。ヴェルサーメストはオペラ指揮者としては当代随一の立場であろう。



参照:
Wir fremdeln noch: die erste Saison von Serge Dorny an der Bayerischen Staatsoper, Markus Thiel, Merkur vom 30.7.2022
ブラームスの弟子筋 2022-07-31 | 文化一般
歴史的に優位な音楽語法 2022-07-07 | 音
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