昨年11月の「マゼッパ」公演の録音を頂いた。バーデンバーデン祝祭劇場で季節外れの「復活祭」として、新制作の舞台が二年続けてコロナ規制で駄目になり、その代わりに極東旅行がキャンセルされた時に演奏会形式で辛うじて演奏された。11月10日と12日に「マゼッパ」が演奏されて、オープニングのシューベルトプログラムとこれまた本来ならば今再演されるべきショスタコーヴィッチ交響曲10番などが演奏された。
先ず録音の雰囲気が、偶々前日に聴いたその数日後のベルリンでの映像とは全く違う。このラディオ放送時の復活祭月曜日には「スペードの女王」の最終公演に出かけていた。留守録音をしていたのだが、朝一番に出かけてユース楽団の運命交響曲などを聴いたので、六時間ほどで放送は消えて仕舞っていて、無音しか録音されていなかった。そのような訳で、今回始めてマイクを通した音を聴く。
今迄の祝祭劇場での音とは大分違うと感じた。一つには会場のホールトーンがたっぷり入っていて、如何にも欧州最大のオペラ劇場の空間の大きさを感じさせる。確かにコンサート向きの録音ではない。それもあって、音像が奥の方乍左右に広がっている。同時に管弦楽が後ろで演奏しているのだが声と上手に混じっている。管弦楽自体がコムパクトに纏まって響く。十分に奈落のような鳴りになっている。
これはベルリンのフィルハーモニーのワインヤード型のホールではありえない響き方だ。これだけでもこの音で確認した価値がある。ここで聴く音は丁度バルコンなどと非常に似ている。バルコンの方がもう少し身近な感じがするぐらいで、むしろ上階に近い。
そしてその内容は、直後に書いていたものを読み返すとまさしくそのもので、音だけ聴いていると、舞台がなくても大きな劇がそこに広がっているのが分かる。本当に素晴らしい雰囲気がある。カラヤン指揮の怒涛の様な響きは抑えられてニュアンスに満ち溢れている。
この録音を聴けて幸いだった。一つにはウクライナで勃発した侵略戦争とこのマゼッパの歴史をどうしても並べてしまうこともあるからだ。そしてその時に書いていた「スペードの女王」への期待と予測が其の儘実現化されたのを知っている。この録音はアーカイヴ化されて、復活祭の歴史として貴重な資料としてアクセスできるようにしておいて欲しい。現在までのところ再放送された形跡はなく、五カ月遅れながら耳に出来たことはとても嬉しい。
また水曜日のルツェルンでの演奏会へとまた新たな興味も生じた。なにより既に言及したようなシューボックス型のホールでの独伝統配置での楽団の鳴り方と、規模の大きい編成さらにその器楽法の妙を鳴らし切れる唯一のホールだと思われるからだ。ベルリンのフィルハーモニーでも喧しいという評も出て来てどうもザルツブルクでも鳴り切っていなかったようで、まさしくこの交響曲の音響的な特徴とそして指揮者ペトレンコが基礎づくりしてきた新ベルリナーフィルハーモニカーがどのように鳴るのか。
ショルティ指揮シカゴ交響楽団のそれを乗り越えるときがやって来たのか。要するに大交響楽団が新たな時代へとマーラーの七番を通して突入していくのかどうか。昨年のスーク作曲「夏のメルヘン」の演奏に既にその道程が示されていたのだ。
参照:
牛刀割鶏にならない偉業 2021-11-11 | 音
人生における省察の日 2021-09-09 | 音
先ず録音の雰囲気が、偶々前日に聴いたその数日後のベルリンでの映像とは全く違う。このラディオ放送時の復活祭月曜日には「スペードの女王」の最終公演に出かけていた。留守録音をしていたのだが、朝一番に出かけてユース楽団の運命交響曲などを聴いたので、六時間ほどで放送は消えて仕舞っていて、無音しか録音されていなかった。そのような訳で、今回始めてマイクを通した音を聴く。
今迄の祝祭劇場での音とは大分違うと感じた。一つには会場のホールトーンがたっぷり入っていて、如何にも欧州最大のオペラ劇場の空間の大きさを感じさせる。確かにコンサート向きの録音ではない。それもあって、音像が奥の方乍左右に広がっている。同時に管弦楽が後ろで演奏しているのだが声と上手に混じっている。管弦楽自体がコムパクトに纏まって響く。十分に奈落のような鳴りになっている。
これはベルリンのフィルハーモニーのワインヤード型のホールではありえない響き方だ。これだけでもこの音で確認した価値がある。ここで聴く音は丁度バルコンなどと非常に似ている。バルコンの方がもう少し身近な感じがするぐらいで、むしろ上階に近い。
そしてその内容は、直後に書いていたものを読み返すとまさしくそのもので、音だけ聴いていると、舞台がなくても大きな劇がそこに広がっているのが分かる。本当に素晴らしい雰囲気がある。カラヤン指揮の怒涛の様な響きは抑えられてニュアンスに満ち溢れている。
この録音を聴けて幸いだった。一つにはウクライナで勃発した侵略戦争とこのマゼッパの歴史をどうしても並べてしまうこともあるからだ。そしてその時に書いていた「スペードの女王」への期待と予測が其の儘実現化されたのを知っている。この録音はアーカイヴ化されて、復活祭の歴史として貴重な資料としてアクセスできるようにしておいて欲しい。現在までのところ再放送された形跡はなく、五カ月遅れながら耳に出来たことはとても嬉しい。
また水曜日のルツェルンでの演奏会へとまた新たな興味も生じた。なにより既に言及したようなシューボックス型のホールでの独伝統配置での楽団の鳴り方と、規模の大きい編成さらにその器楽法の妙を鳴らし切れる唯一のホールだと思われるからだ。ベルリンのフィルハーモニーでも喧しいという評も出て来てどうもザルツブルクでも鳴り切っていなかったようで、まさしくこの交響曲の音響的な特徴とそして指揮者ペトレンコが基礎づくりしてきた新ベルリナーフィルハーモニカーがどのように鳴るのか。
ショルティ指揮シカゴ交響楽団のそれを乗り越えるときがやって来たのか。要するに大交響楽団が新たな時代へとマーラーの七番を通して突入していくのかどうか。昨年のスーク作曲「夏のメルヘン」の演奏に既にその道程が示されていたのだ。
参照:
牛刀割鶏にならない偉業 2021-11-11 | 音
人生における省察の日 2021-09-09 | 音