水曜日のマーラー作曲七番のお勉強をしている。金曜日の批評が出てきていて気になるので、他の録音を聴いてみた。やはり問題は第一楽章が全てだと思っている。今迄の批評を纏めると、その批判は一楽章の冒頭から為されていて、四楽章のフィナーレから逆算しての演奏解釈だというのが典型だ。要するに明る過ぎると、同じ筆者らしきがブラームス作曲二番を指して陽が射さないとしたのと正反対になっている。
その印象が何処から来ているのかがとても気になった。大きな音色的な影響はテノールホルンのぷかぷかと鳴らす印象もあるが、まさにどうしてこうした音色を求めたのかとなる。今回の開幕演奏会のプログラムには執拗に、ドロミテに避暑を動かしてからも、嘗ての湖の小舟のオールを思い浮かべたようにとなっているが、まさにあのぷかぷかはそうとしか思えない。
しかし、手元にある名録音を聴いてみても、ペトレンコ指揮のもの以外ではアバド指揮シカゴが効果的な音を出している。それ以外の本来ならば最も端折ってペトレンコと匹敵する音を出せるブーレーズも引きづった指揮をしていて、彼の晩年のマーラー演奏実践に共通している。要するにバーンスタインのそれを踏襲しているに過ぎない。その中で本人の指揮の屈指の録音であろうラトル指揮のオルドバラでのライヴもよりそこで何かを表現しようとしている。それらの演奏実践こそが批評家の判断基準にあるようだ。因みにミュンヘンでのヤンソンス指揮が代表的とする評者も嘗ていた。
実際にこの導入部の指揮は、可也そうした演奏実践に寄る所も多そうで、とてもこの曲を詰まらなくしている側面もあった。皆が皆そこ迄踏襲しているにはそれなりの理由があるのだろうが、そこまでの必然性は読み取れなかった。水曜日までに何か結論が出るだろうか?それでもぷかぷか感は調性的な不安定さにも付き纏うもので、シェーンベルクが歌曲集などでやった浮遊感にも繋がる。マーラーにおいては浮遊はしていないのだが、それに近い感興はこの楽譜からも読み取れるかもしれない。
シカゴで思い出したが、ショルティが指揮していたマーラーの歌い方や伝統がこのアバド指揮のシリーズには何らかの形で残っているのだろうか。六番の録音でも立派な演奏をしていた。ここでもやはり上手いと感じた。結論には未だに至らないのだが、なにやら糸口は掴めてきた気がする。
新聞の秋の博覧会や催し物の一覧表を見ていたら、バーゼルの劇場でエンゲルがマルタ―ラー演出「魔弾の射手」を指揮をすることが書いてあった。再演かと思ったら新制作だった。批評を参考にしてと思ったら、それが無いので分かった。更に見ていると、室内楽団と書いてあったのが、友人のいる楽団だった。これは平時のこの劇場の演奏よりも面白いと思って、我慢が出来ずに安い席を確保した。前回行ったときはご招待だったので初めて席を選んだ。
そしてその奏者の旦那と会う約束をしていたので、早速アポイントメントをオファーすると、出かける計画となって簡単に決まった。彼とエンゲルでは若干年齢差もあり、狭いスイスと言えどもチューリッヒとバーゼルではあまり繋がりがなかったのかもしれない。お友達のお友達はお友達。嫁さんの割り当てでは初日の招待券はないと、気持ちだけは有り難く頂戴した。
参照:
素晴らしい夏の響き 2022-08-28 | アウトドーア・環境
あれやこれやの試み 2022-08-27 | 雑感
その印象が何処から来ているのかがとても気になった。大きな音色的な影響はテノールホルンのぷかぷかと鳴らす印象もあるが、まさにどうしてこうした音色を求めたのかとなる。今回の開幕演奏会のプログラムには執拗に、ドロミテに避暑を動かしてからも、嘗ての湖の小舟のオールを思い浮かべたようにとなっているが、まさにあのぷかぷかはそうとしか思えない。
しかし、手元にある名録音を聴いてみても、ペトレンコ指揮のもの以外ではアバド指揮シカゴが効果的な音を出している。それ以外の本来ならば最も端折ってペトレンコと匹敵する音を出せるブーレーズも引きづった指揮をしていて、彼の晩年のマーラー演奏実践に共通している。要するにバーンスタインのそれを踏襲しているに過ぎない。その中で本人の指揮の屈指の録音であろうラトル指揮のオルドバラでのライヴもよりそこで何かを表現しようとしている。それらの演奏実践こそが批評家の判断基準にあるようだ。因みにミュンヘンでのヤンソンス指揮が代表的とする評者も嘗ていた。
実際にこの導入部の指揮は、可也そうした演奏実践に寄る所も多そうで、とてもこの曲を詰まらなくしている側面もあった。皆が皆そこ迄踏襲しているにはそれなりの理由があるのだろうが、そこまでの必然性は読み取れなかった。水曜日までに何か結論が出るだろうか?それでもぷかぷか感は調性的な不安定さにも付き纏うもので、シェーンベルクが歌曲集などでやった浮遊感にも繋がる。マーラーにおいては浮遊はしていないのだが、それに近い感興はこの楽譜からも読み取れるかもしれない。
シカゴで思い出したが、ショルティが指揮していたマーラーの歌い方や伝統がこのアバド指揮のシリーズには何らかの形で残っているのだろうか。六番の録音でも立派な演奏をしていた。ここでもやはり上手いと感じた。結論には未だに至らないのだが、なにやら糸口は掴めてきた気がする。
新聞の秋の博覧会や催し物の一覧表を見ていたら、バーゼルの劇場でエンゲルがマルタ―ラー演出「魔弾の射手」を指揮をすることが書いてあった。再演かと思ったら新制作だった。批評を参考にしてと思ったら、それが無いので分かった。更に見ていると、室内楽団と書いてあったのが、友人のいる楽団だった。これは平時のこの劇場の演奏よりも面白いと思って、我慢が出来ずに安い席を確保した。前回行ったときはご招待だったので初めて席を選んだ。
そしてその奏者の旦那と会う約束をしていたので、早速アポイントメントをオファーすると、出かける計画となって簡単に決まった。彼とエンゲルでは若干年齢差もあり、狭いスイスと言えどもチューリッヒとバーゼルではあまり繋がりがなかったのかもしれない。お友達のお友達はお友達。嫁さんの割り当てでは初日の招待券はないと、気持ちだけは有り難く頂戴した。
参照:
素晴らしい夏の響き 2022-08-28 | アウトドーア・環境
あれやこれやの試み 2022-08-27 | 雑感