Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

何時の間にドイツの森に

2022-09-15 | 文化一般
「魔弾の射手」のお勉強だ。動画資料のハーン指揮コンセルトヘボーのが面白い。演出は悪魔の進行みたいで、なんとも言いかねるが、その指揮はやはり間の取り方が絶妙で、アウフタクトが効く。ぺトレンコのアシスタントとして、復活祭の「フィデリオ」をつけていたようで、なるほどペトレンコが出来ないような間で稽古をつけていたのだろう。なによりも歌手が歌詞を歌いやすいと思う、だからテキストがよく際立つ。合唱出身ということで、それだけでもおおきな長所である。

反面、管弦楽に細かな指示をするだけの指揮は出来ていないようで、それは犠牲になっている。しかし十分に音楽的で響きも美しく、ミュンヘンで振った人気のマナコルダがお話しにならなかった。

そうなるとどうしても考えてしまうのが、今回振るエンゲルの若い時分の指揮との比較であるが、テムピの安定感も若干問題で、同時にやはり読解力がハーンには若干欠けているように感じ、危ないバランスのところも出てくるが、声の魅力が多くを埋め合わせる。オペラ指揮者として今回の飛び入り指揮のようにいい歌手を指揮できると可能性が高まるのは間違いない。その点では明らかにフランクフルトの監督となるグックアイスよりもいいように思う。

Wikiを見ていると原作のお話しは、ヴェーバーが行ったマンハイムからの遠足でのハイデルベルクのノイブルク修道会に伝わっているようで、そもそもは怪奇話である。どうしてもネッカー周辺でグリム兄弟が集めていたニーベルンゲンの神話とかを印象するのだが、より身近な昔話である。元々の舞台はライプチッヒ周辺らしいが、ヴェーバーは脚本のキントと舞台を三十年戦争後のボヘミアに移している。やはり、出来るだけ現実感を弱めたということなのだろう。

もう既にここだけで一つの回答がなされていて、ザクセンやテューリンゲンのドイツの森のイメージとかするものは、19世紀の中ごろの妄想の広がりで形づけられていった印象という事である。その一方で、「オベロン」であるとか、ヴェーバーはそちらの方での試みをしていて、所謂独ロマン主義とされるものには違いない。

因みに上の上演は学芸会のような英語芝居で曲が繋がれているもので、外国での上演ということもあり台詞がごっそりとそれに置き換えられている。往路の車では台詞付きの完全版を流していかないと駄目だと思った。丁度走行時間で楽曲が終わりそうで丁度良い。

それにも拘らず、上の演奏は矢張り優れていて、最後迄流せば何らかの強い印象は得られるのではないかと思っている。同時に、マルタ―ラーが演出するとすれば、台詞をどうするのか、そもそもどのような枠組みでこの作品を上演するのかなど、まだまだマルタ―ラーファンではないのでよく分からない。但しエンゲルの指揮は可也期待出来るのではないかと思う。

先日買い足しをしたエンジンオイルを入れた。下の限界線と丁度ぐらいだったが、大体の減り方は分かったので、200ml程を入れておいた。これで今回と週末の試飲会、そして来月冒頭の迄ぐらいは綺麗なオイルで走れるだろうか。



参照:
身体に堪える今日この頃 2016-09-15 | アウトドーア・環境
魔弾の射手から守護者へ 2022-09-11 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする