Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

隔世遺伝かはいざ知らず

2022-09-08 | 
ヴォルフガンク・リームの「変身」三番と二番をお勉強している。先日中継されたベルリンからの演奏でも明らかなのだが、アルバンベルク風と言ってもいいような作風で、作曲家の嗜好は分かるのだが趣向が分からない。それ程昔の曲ではなく、精々ここ15年程の創作で、連作化されている。

同時代のご近所の作曲家なのでそれなりに新曲初演なども接しているのだが、大編成の創作でのこれはその趣旨がよく分からなかった。可也旧守的な印象を否めなく、伝統をどのように先へと進めているのかがなかなか見えない。

プログラミングをした指揮者のヴェルサーメストによると、ルツェルンではブルックナーの第九の未完成版を休憩後に演奏する。そして、アルバンベルクはブルックナーの直系であると結論している。

なるほど、そのブルックナー交響曲九番の12音技法的な創作は新ヴィーン楽派に繋がるのだが、例えば故ギーレン指揮の演奏会では休憩前にシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲をおいていた。しかしここではリームとの繋がりでどうしてもその音響へと先ず関心が向かうので、一捻りになっている。

メストのプログラミングが上手く嵌まるのかどうかは現時点ではよく分からない。少なくともベルリンからの中継の印象では、シューベルトはやはりどうかなと思った。そのシューベルト自体は聴いていないのだが、「ファンタジ―」などの曲に比較すると、やはり大ハ長調交響曲は少し違う。

反対にここでのリームの作風自体が、そうした「ファンタジー」的な流れ感が無くて、楽器法的にもベルク同様の受け渡しが強いように思う。勿論、楽譜としてピアノ楽譜に戻して分析的に再思考しなければいけないことは分かってはいる。恐らくメスト指揮の演奏実践によるものだろうが、会場に来ている作曲家自身はどう感じるだろうか?

期待されるのは、やはりクリーヴランド管弦楽団によるブルックナーの演奏であって、ハムブルクのエルフィーでの批評によると、ツアーの課題であった、会場に合わせた金管の咆哮など本拠地では不可能そうな本格的な演奏が出来ていたようで、世界一の楽団と賞賛されている。
Michael & Friends: Mit Franz Welser-Möst


今回聴く九番と先の四番のブルックナーで混乱するといけないので、語るまでもない演奏会のガイダンスの内容をメモしておこう。ブルックナーの四番の解釈として、ホルンの狩人と紹介していて、例の回転リズムなどは狩人の串刺しを回すリズムとの説明があって驚いた。前日のレンブラトの夜警の十三人の掛け合いのホルンの二人に対応していて興味深かったのだが、少なくともハーディングは空を舞うだけで、その様なイメージを指揮できるほどの腕を持っておらず吃驚した。練習でやったこと以外には自動操縦の操縦桿を握る以外には何もできない指揮者であった。要するにガイダンスは虫けらから創造の神迄を扱ったブルックナーの創作という意味だった。



参照:
ブルックナーの真価解析 2013-12-17 | 音
文化の「博物館化」 2004-11-13 | 文化一般
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