FiiO(飞傲)のDACを買おうかと思っている。切っ掛けは旅行中の宿でのライヴ放送録音が動機付けとなっている。七月のザルツブルクは祝祭劇場から30分ほどのところに泊まったので、WiFiさえ動いて呉れれば留守録も不可能ではなかった。しかし10月にアウグスブルクから早めに出かけてとなると、放送の受信だけでなくPCからどこかにデジタル出力しないとデジタルサウンドを録音出来ない。ザルツブルクではノイズキャンセルイヤフォーンを使ったが、充電時間など覚束ないので、USB-DACへ送り出して、それを録音しようかと思う。
HDMI出力を録音しても構わないのだが、20ユーロ程でUSB電源で使えても、何か無駄な配線が増えるような感じで、重量も200gほどになっている。それに比較すれば小さなヘッドフォーンアンプが数倍の価格である。価格差は大きいのだが、ハイレゾでいざとなれば自宅のDACが壊れても一時的には代用可能になる。重要なのはPCから出来るだけピュア―なPCMを取り出すことである。それをLINUXに接続すればPCから思うように回路を区切って使える筈だ。USB接続の大きな利点だと思う。更にそこから電源を取っていることになっている。
移動中のノイズキャンセリングフォーンには特別なDACは必要ないのだが、ミニノートブックを本格的な試聴に使用しようと思えば、サムプル周波数384kHzの32Bitまで使えるのでアンプさえ真面ならば真っ当なヘッドフォーンが使える筈だ。
ワイン祭り初日は久しぶりに喧しかった。最初はバスの振動も耐えていたが、流石にノイズキャンセリング無しではいられなくなった。振動はキャンセルできなくても喧しいのはやはり倍音成分なのだ。200ユーロ以上したが、飛行での使用を考えていたが今や近所のドライヴ以外には欠かせなくなった。安いものである。二週間も他所に宿泊していたら幾ら掛かるか。
それなりの人は集まっていたが、近所からだけ。マンハイムとかの遠方の人や旅行者は殆どいない感じだった。但しPAシステムが9世紀からの市の壁に跳ね返って、壁際の自宅は揺れ続けた。近いに住む人は今年はバンドが来ていないので出かける価値はない。それでもワインフェストは好きだと言っていたが、以前はそんなにいいバンドが来ていたかなと思った。南欧向けとか出しものにもあるようでこちらはよく分からない。少なくとも歌詞とか言語とか何とかでの差異なのだろう。あんなリズムマシーンに様なものに差異があるとすれば音楽以外の要素である。
対抗して大音量でベルリンからのラディオを流したが、なるほどキリル・ペトレンコと相談してのクセナキスの曲の指揮は悪くなかった。ああした曲になれば何もフィルハーモニカーのような上質な演奏団体は要らない。その差が出ない。バルトークはヴァイオニストが上手かった。なによりも指揮者のユロウスキーの口ぶりが一番上手かった。上手過ぎるだけに後半のマーラーでは口三味線程に指揮出来ていないのも丸わかりである。あそこ迄明白に語るならそれだけの音化しなければいけないのだが、本当に楽譜を其処迄読み込めているのか、それともただの指揮者の文学なのかが定かでない。その点エンゲルなどはあっさりと自分のやろうとしているコンセプトしか語らない。評論家のような指揮者は大抵実力が至らない。
参照:
あまりにも美しい音の響き 2022-09-24 | 音
難しい切り替えの指令 2022-09-23 | テクニック
HDMI出力を録音しても構わないのだが、20ユーロ程でUSB電源で使えても、何か無駄な配線が増えるような感じで、重量も200gほどになっている。それに比較すれば小さなヘッドフォーンアンプが数倍の価格である。価格差は大きいのだが、ハイレゾでいざとなれば自宅のDACが壊れても一時的には代用可能になる。重要なのはPCから出来るだけピュア―なPCMを取り出すことである。それをLINUXに接続すればPCから思うように回路を区切って使える筈だ。USB接続の大きな利点だと思う。更にそこから電源を取っていることになっている。
移動中のノイズキャンセリングフォーンには特別なDACは必要ないのだが、ミニノートブックを本格的な試聴に使用しようと思えば、サムプル周波数384kHzの32Bitまで使えるのでアンプさえ真面ならば真っ当なヘッドフォーンが使える筈だ。
ワイン祭り初日は久しぶりに喧しかった。最初はバスの振動も耐えていたが、流石にノイズキャンセリング無しではいられなくなった。振動はキャンセルできなくても喧しいのはやはり倍音成分なのだ。200ユーロ以上したが、飛行での使用を考えていたが今や近所のドライヴ以外には欠かせなくなった。安いものである。二週間も他所に宿泊していたら幾ら掛かるか。
それなりの人は集まっていたが、近所からだけ。マンハイムとかの遠方の人や旅行者は殆どいない感じだった。但しPAシステムが9世紀からの市の壁に跳ね返って、壁際の自宅は揺れ続けた。近いに住む人は今年はバンドが来ていないので出かける価値はない。それでもワインフェストは好きだと言っていたが、以前はそんなにいいバンドが来ていたかなと思った。南欧向けとか出しものにもあるようでこちらはよく分からない。少なくとも歌詞とか言語とか何とかでの差異なのだろう。あんなリズムマシーンに様なものに差異があるとすれば音楽以外の要素である。
対抗して大音量でベルリンからのラディオを流したが、なるほどキリル・ペトレンコと相談してのクセナキスの曲の指揮は悪くなかった。ああした曲になれば何もフィルハーモニカーのような上質な演奏団体は要らない。その差が出ない。バルトークはヴァイオニストが上手かった。なによりも指揮者のユロウスキーの口ぶりが一番上手かった。上手過ぎるだけに後半のマーラーでは口三味線程に指揮出来ていないのも丸わかりである。あそこ迄明白に語るならそれだけの音化しなければいけないのだが、本当に楽譜を其処迄読み込めているのか、それともただの指揮者の文学なのかが定かでない。その点エンゲルなどはあっさりと自分のやろうとしているコンセプトしか語らない。評論家のような指揮者は大抵実力が至らない。
参照:
あまりにも美しい音の響き 2022-09-24 | 音
難しい切り替えの指令 2022-09-23 | テクニック