Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

紙一重の読み替え思考

2022-09-17 | 文化一般
バーゼルでのマルタ―ラー演出「魔弾の射手」初日、予想に違わない公演だった。少なくとも個人的にはティ―テュス・エンゲル指揮でなければいかなかった。しかし序曲が始まってからせり上げられた奈落には少なくとも二人の友人と更に住所氏名など分かる人がいた。正直あまり指揮や演出に集中するには邪魔になる。楽団の中でのその音楽家としての出来栄えを特別評価したいとも思わないからで、これはまさに個人的な感想だ。ベルリナーフィルハーモニカーを客観的に品定めするときとは一寸違う。

公演30分前のレクチャーは満員になっていて、初日に集まる人々はやはり意識が高い。1000席の大劇場は平土間は詰まっていたが、安いサイドなど視覚に問題のある席は空いていた。ざっと入場者数は900人未満だったと思う。因みに、最も安い席を30フランで自分で購入したのだが、予想通り上手の舞台脇のセット内は見えなかったが、写真と下手のセットでその様子は分かった。それ以上に奈落も近く、本舞台への視界は完璧だった。フランクフルトなどでは不可能で、音響的にも小さな劇場の利点である。

序にその劇場の程度を述べれば、今回は室内楽団を呼んでいるので批評対象にはならないが、合唱に関しては芝居も歌も悪くなかった。但し歌手陣はやはりその程度の劇場の水準であった。

しかしそれだけに中々意欲的な制作を為しているようで、例えばブルーレイになっているミュンヘンのペトレンコ指揮「死の街」のサイモン・ストーンの制作もここの劇場のオリジナルだった。その他では同じエンゲル指揮シュトックハウゼンの「リヒトから木曜日」は年間オペラ賞を獲得している。謂わば、ここの聴衆は可也先端の制作にまで免疫があることは間違いない。
Trailer DONNERSTAG AUS LICHT


先ずは「魔弾の射手」フィナーレから語ると、奈落と舞台上の二つのアンサムブルが異なる音楽を奏して終わるという、流石に通常のオペラ上演で初めて経験したのだが、ここの聴衆はまさしくその原型になっているアイヴス作「答えの無い質問」の上演を経験しているようで全く当惑していなかった。自分自身は可也先端にいる劇場の聴衆だという意識があるのだが、ミュンヘンにも通うようになって、保守層になっているのかと思うぐらいに、ここの劇場は先端的ともいえよう。
ルールのトリエンナーレからアイヴス
Trailer: Universe Incomplete, Ruhrtriennale 2018


レクチァ―の内容はどちらかというと、劇場の前回の「魔弾の射手」が2003年だったとか、新制作は二年間の準備期間があったとか、裏話の面と、演出のマルタ―ラーのコンセプト、そして音楽的には管の古楽器だけでなくて、弦も腸弦を使うことにしたという情報が出された。一方、5フランのプログラムは40頁程の小冊子で、舞台写真15頁、内容は劇場とティームのドラマチュルギー二人とマルタ―ラー本人とエンゲルへのインタヴュー、そしてオリジナルの粗筋、ETAホフマン「不滅の生命」、狩りに関するスイスの新聞の小トピック記事転載、そしてアドルノ「紙一重の形而上」である。

このロマンティクオペラが、そもそも文化的にどのような意味があったのか、あるのかの考察無しに公立劇場が取り上げるものではない。そして聴衆もそうした文化歴史的な思考無しにこうした出しものを観賞しても全く意味がないということを示している。一体どこにオリジナルの上演なんてあるのか、そして読み替えなんてされる演出があるのか、少しは体験して下さいということではないか?(続く



参照:
往復499kmのバーゼル劇場 2022-09-16 | 雑感
サウンドデザインの仮定 2022-07-01 | 文化一般
コメント
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