カザルスフォールムを視察した。外観の完成は未だ来年になるらしい。それでも環境ニュートラルの雰囲気は佇まいにもあり、フランクフルトのアルテオパーに行くならこちらの方がいいと思った。緑も水もあって美しい。そうした自然の恩恵を使ってヒートポンプで賄っている。
気が付いたのはロビーの広さが十分ではないことで、会場廻りが片付くことでテラスやバルコンなどが使えるようになるからだろう。今後に期待したい。
肝心の音響に関しては放送で聴いていた程ではなかった。座席の関係もあるだろうが、あれだけマイクを使えばホールトーンと細かな音とのバランスをとれる。演奏した楽団と指揮者がよくなかったので、到底高度な音楽的な表現は確認できなかった。
最大の問題は、ミナシというイタリア人の指揮が古楽器奏法を使うにしても和声のバランスもとれておらず、ただただ上声部や内声部を出入りさせるだけの演奏としていたことで、バロックから古典派迄全くその機能和声が不明確で、低声部から乗る調性色が小汚く奏でられていたに過ぎなかった。その一方でアルバンベルクの弦楽四重奏曲「抒情組曲」の室内合奏版になると、案の定いい加減なアンサムブルで低音のドローンのような音を鳴らしていたに過ぎなかった。全くを以て身も蓋も無いミナシ指揮であった。
その誤りは、今回ヴィーンの国立歌劇場音楽監督を契約期間延長無しに更迭されるフィリップ・ヨルダンの其れにも似ていて、独墺や先進音楽国以外ではあり得る事なのだろう。一体どのような基礎的な音楽環境がそうした音楽家を排出するのか、それどころかなにが業界においてそうした音楽家がキャリアを築かせる下地になっているのかなどととても大きな問題を提示している。
まさしく、アルバンベルクのこうした曲をあまりにも容易にオペラ「ルル」か何かの様に読み込んでしまう感覚は、もはや野蛮の始まりとしか思えない。会場ではこのアカデミーの審査委員でもある指揮者のエッシェンバッハが座っていたのだで、その様子をちらちらと観察した。
この程度の規模の楽団で、この様にしか振れないシェフってどうなのかなと思った。ハムブルクのエルフィーを拠点にしている室内楽団なのかもしれないが、これならば先日のここを本拠地とする欧州室内合奏団の方が楽器は違うのだがまだ今後も成功するのではないかと思う。結局古楽器奏法での耳辺りの新しさだけで、それ以上のアンサムブルの芸術に欠けるのである。それは指揮無しで、チェロ協奏曲の伴奏をした時にも明白だった。この曲の面白さは、ホグウッド指揮のヴィデオを観ていても、全く異なる所にあるのだが、ソロ共々真面な音楽が弾けていなかった。ソロはアルカンテ四重奏曲の創立メムバーとか紹介されているが、丁寧な音楽家ではなかった。アンコールとしてデテュユーの小曲を演奏したが全く以て表面的な演奏で、ブーレーズの薫陶を受けているといってもさっぱり感覚的に駄目なのである。久しぶりにハイデルベルクで私の前で自身の曲の演奏に耳を傾けていた作曲家の面影を感じた。彼の考えていた音楽ではないと直感的に分かった。(続く)
参照:
引き寄せられた街の様子 2022-10-03 | 雑感
こじんまりとした日常 2019-10-24 | 生活