Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

夜の歌のレムブラント

2022-10-22 | 
承前)二週間と少し経つと再びマーラーの第七番をキリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーで聴く。その前に改めて、楽曲に関してより深く、しかしより広がりを以ってお勉強しておきたい。

先ずはルツェルンでの当日の公演前レクチャーでの認識は可也の大風呂敷で興味深かった。途中から聴講したので、第一楽章に関しては聴きそびれたのだが、真ん中の夜の音楽のところでレムブラントの「夜警」についての話しになった。その話しは面白かったのだが、それが何処から来たのがよく分からなかった。調べてみた。

この曲の楽譜の前書きにグローリアと書いてあって、それは明らかとして、実は作曲家自身がこの夜の曲二曲を「夜警」と比較しているというのが根拠の様だった。それは1920年のパウル・シュテファンの書籍に述べられているようだ。それ以前にアルマ・マーラ-の屡取り上げられるアイヘンドルフのドイツロマン主義における噴水の流れに身を任したというのともまた異なる。

そしてそこで講師のシュテール女史から話されたのは、「夜の彷徨」とされる二楽章におけるホルンの掛け合いである。少なくとも夜警における登場人物の二人が暗闇の中でホルンを吹きながら位置確認をしていて、そこに夜の鳥のさえずりが絡む、それを聴いているというのである。ホルンと言えば狩りやポストホルンばかりを想像してしまうのだが、ここでは夜警の信号となる。

これは一つの疑問へのとてもいい回答になった。マーラーにおける軍楽のトラムペットはよく知られていて、それは子供の時の故郷の近くのバラックからの環境音だったとするのが知られているところである。しかしここではホルンがなぜか吹かれている。それも特別な意味合いをもたらされて、その疑問にであった。

勿論、そのレムブラントの「夜警」からの影響は、「描き師」が苗字である作曲家にとってどういうものであったかまでは分からない。しかし、この楽章でも出てくるユダヤ人音楽クレッツマーのエピソードも他の交響曲において頻繁に登場するものであって、実際に起床ラッパへと続いている。当然の事ながら本歌取りの様に他の作曲へと求めていくと更に複雑に帰すことになるのであろう。

同様に「夜警」へと目を向けるとそこからの幾多の小説や映画まで出来ていることからすれば途轍もなく沢山のエピソードへと連なっていくことになり、到底本旨である夜の音楽の闇を抜けることすら危うくなってしまうであろう。

しかし、そうした言語的な認知も一つの観念連想の一つであるとすれば、やはりこの盛り沢山のこの楽曲の抒情的な局面を形成していることも間違いない。要するに鳥の鳴き声やカウベルの響きが何か具象的であり特別な意思を持たないのと同じくして主観的に響く音楽がそこに存在する。

四月の復活祭における「スペードの女王」が脳裏に残っている限りは、そこにおけるヘルマンがベットの中で耳を澄ませているその心理的な夜の気配でしかなくて、この曲においても大きく影響を受けているチャイコフスキーの創作からの重要な要素であったことは容易に想像される。(続く



参照:
「夜警」、時空を超えて Beyond Time and Space、桑原靖夫のブログ
米国お披露目ツアーへの弾み 2022-09-04 | 文化一般
誘う夏の夜の音楽 2021-05-30 | 音
コメント (2)
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