Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ナチ資料館の隣家の展示

2022-10-23 | 歴史・時事
先日試した栗のパンも直ぐに白いものが生えてくる。酵母の関係が大きいのだろうが、栄養価の高そうな物が入っていると足が早い。大きいものは買わないので何とかなるのだが、この時期はまだまだ難しい。

同じ日の安売り品のカマンベールも期限前に平らげて仕舞った。朝食二回分であるので、やはりソーセージ類よりも高価になる。国境を越えてフランスまで行けばその価格で大きな塊が買えるのだが、時間も燃料費もない。しかし味質は全然悪くはなかった。

リヒャルト・ヴァ―クナー音楽祭で有名なバイロイト市が英国人ナチのチェンバレン亭を改装して、ヴァ―クナー家とナチ資料の記念館にすることにした。また隣地を取得して各地にあるようなナチス資料館にすることにしたとあった。11.5ミリオンの結構な予算の市の事業の様である。

バイロイト音楽祭の大きな株主は友の会と連邦政府と州政府そして市である。そのおぜん立ての下で祝祭劇場会社が公演を行っている。大まかにそうした構造で、その公演会社の支配人に現在は作曲家リヒャルトの孫の一人であったヴォルフガンクの後妻の娘カタリーナが収まっている。しかしその契約延長はされず、最後のヴァ―クナー家の支配人とされている。

楽匠の息子のジークフリートの奥さんが未亡人になってヒトラーの助けを借りたことで切っても切れない関係となったようであるが、その負の遺産もこうしてバイエルン国王の援助で建造された祝祭劇場を離れて歴史に留められる。

音楽祭の改革はメルケル政権時の文化相によって強く求められていて、それ以前に祝祭劇場でのスキャンダルからメルケル首相が初日には訪れなくなった経緯があった。要するにヴァ―クナー家のバイロイト音楽祭の中での法的な位置づけを整えるとともに近代化しろという事であった。

その掛け声の中で若い聴衆への働きかけや、ネトウヨ音楽監督の事実上の解雇などの尻尾切りが為されたのだが、然したる能力もない曾孫の裁量には限界があるとなったのであろう。既に法的には、ヴァークナー家の権益には一定の線が引かれていて、なによりもその劇場の文化的な価値の維持には多大な税金が投入されるという事では元々致し方の無いことであった。

実際に戦後には早世の孫であったまたヒトラーにも可愛がられた演出家ヴィーラント・ヴァ―クナーらは音楽祭をカイロなどの海外に移してという試みもあったようである。しかし興行としてはその価値は限られていて、日本でも引っ越し公演は行われているが、実質的に祝祭劇場以外の何もそこには価値は残っていないとする見方が一般的ではなかろうか。

バイロイト音楽祭は明らかに変化していくことは最早不可逆であり、体制もそのキャラクターも遠くないうちに変わっていくことは間違いない。十年以上前にその変化を訴えかけていた我々であるが、漸くという感じである。



参照:
フレンチチーズのお姿 2006-01-24 | 料理
黴の生えた高い民意 2005-04-05 | 歴史・時事
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