月曜日には久々に頂上往復を果たした。どうも前回は5月だったようで、その時のタイムよりも大分悪くなっている。2月に足の調子が悪くなってから三回目ぐらいなのかもしれない。何とか最初の急坂だけは爪先足立蹴りが堪えたが、その後は問題がなかった。やはり坂の角度によるのか。それでも始終抑えて走っていた事は間違いがない。
気になっていたのは、一時間ほどの走りでも、上りの20分過ぎからのばて方なのだ。なぜならばその様な運動は7月のキムゼーアルプス以来怠っていたからで、平素の30分ほどの運動とは有酸素運動の質が違う。それに気が付くのは、幸いなことに上りではなくて、折り返し下りの汗の質だった。べっとりとした汗が出てきていた。誰が考えても運動の質が違うと分かる。そこまでやらないとスタミナもつかない、脂肪も燃えないだろう。しかし帰宅しての体重はそれほど減っていなかった。
上りにも考えていたのは、夕食で豚の肩肉だった。いいキノコが冷蔵庫にあったからだ。すると上から下りてきた家族ずれに挨拶して、嫁さんの後ろに隠れるように下りて来たオヤジの手元を見て思わず驚愕の声を上げてしまった。結構大きめな籠にシュタインピルツが一杯だった。するとオヤジが照れたような高笑いをしていた。見つかってしまったという気持ちだろう。いつも走っているコースの途中で穴場があるとは知らなかった。走りながら考えていたが思い浮かばない。知っているのは南プファルツの岩場の根元だったから名前の通り岩の根元にある。その様な岩場が思い浮かばないのだった。
帰って来てから、動いているベルリンからの中継の録音に加えてクロンベルクからの中継を流した。少し気になっていたがヴィデオ中継の方は其の儘オンタイムで最初を観損なった。前日に会場で禿頭をさらしていたエッシェンバッハが指揮で、冴えないと書いたのだが、やはり指揮者としてのスタイルがカラヤン時代の感覚が強くて、その衣装でも其の儘スター気取りの感じが抜けない。現在の中堅からヴェテランの指揮者でそういう態度をとっているのは皆二流で、ブランドとタイアップしているなんて馬鹿にしか思われない。音楽家にその様な夢も何も誰も求めていない。歌手でさえそうなっているところで、本当に冴えない頭である。
しかし前日のハムブルクの団体とは違って、HR交響楽団の演奏は悪くはなかった。前者も十年以上前にはティテュス・エンゲル指揮でも成功もしていたようだが、団員も老齢化して商業的になるとつまらなくなるのだろう。顔ぶれにドレスデンのシュターツカペレで弾いていたザクセン美人風の人がいて、どうも移籍したらしい ― 実はカナダ人で、クシュマウルのところにいた様なので弓遣いがなるほどと思った。座付き管弦楽団ならではの一節万両とはならないだろうが、復活祭等に名手パユの代わりに出るお弟子さんのフルートの女性やら放送交響楽団の割には結構多彩な感じになってきた。
それでもお目当てのテツラフのブラームス協奏曲でのヴァイオリンソロは良かった。それ程感心はしないのだが、やはり語り掛けの芸がとても力強くて引き込れる。会場の最前列では今度はミュンヘン優勝の岡本が聴いていたが、中々ああいう風には弾けないだろう。コロナ前にもフランクフルトでリサイタルを聴いたのだが全然悪くはなかった。こうした演奏家になっていくのはとてもいいことで、まさしくエッシェンバッハなどが為せなかったことではないか。それが音楽家としての姿勢ではないか。(続く)
Frankfurt Radio Symphony Live: Christian Tetzlaff & Christoph Eschenbach with Brahms & Dvořák
参照:
基礎となるのは環境 2022-10-04 | アウトドーア・環境
持続的多様性のある味 2022-05-12 | 料理