Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

文化の「博物館化」

2004-11-13 | 文化一般
2004 05/09 編集

ベルリナー・フィルハーモニカーがフォン・カラヤン音楽賞をとって、その授与がバーデンバーデンで昨日行われた。プレゼンターの作曲家リーム氏は小講演をした。いつもながらの殆ど哲学的表現ながら、今日の文化に対する見解を上手く示した。特に伝統とその今日における享受を、音楽の聴衆と演奏者さらに著作権者の「対話」に、そして歴史的発展と現状に注目させることで、的確に定義した。ここにおける伝統は、送信側の伝えられた技術とかではなく、受け止め側の社会に立脚しているというのだ。氏の言うヴィットゲンシュタインを引用しての「住所不定」の音楽における考察を文化一般に拡大していくと、文化の地域性や地域の国際化等の議論のひとつの見解となる。このベテラン作曲家の思考は決して最前衛を行くものでないかもしれないが、それだけにより多くの人を納得させる。

話題のエリート学校政策をリーム氏に非難された同席していた州大臣トイフェル氏が、英才教育の実績で反論もするが、「現在ベルリンで、唯一真っ当な機関はこの楽団だ」と会場を沸かすとき、文化行政の難しさを想起させた。

さて楽団は、すべてを完璧に掌握した恐ろしく真剣な監督ラトル氏の円熟した指揮のもと、その文化的意義を具象化するかのように近年にない充実を示した。リーム氏の謂わんとするコマーシャル化され朽ち果てた価値を、文化的な意味合いにおいて、危機感の中で取り戻したようだ。凄みや憑かれたとこのない、このような求心的で緻密な魅力を示すことはこの半世紀で殆どなかったのではないだろうか。アメリカ文化やハプスブルク文化に対抗して「保護すべき」存在価値を十分に示した。経済論理の中ですべてを捉えなければならない今日、このような「市場経済から逸脱する価値」を設定する危険と文化の「博物館化」を避ける義務を聴衆も政治家も担っている。
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子供提灯行列

2004-11-12 | 
今日11月11日は、方々で提灯を下げた子供たちが夜の町に繰り出す。各地で「ザンクト・マルティン、ザンクト・マルティン」とか「ラテルネ、ラテルネ、陽も月も星も燃えあがれ、でも僕の提灯は燃えないで」と口ずさみ乍、父兄同伴の下小学校や幼稚園へと向かうのが見られる。そこで篝火を焚いて踊ったり歌ったりするのである。聖マルティンが397年に埋葬された日である。自らのコートを半分に破って渡した乞食がキリストとして現れた伝説に始まり、故郷フランスのトゥールに戻って隠れていた彼をアヒルが騒いで司教に当選させたりの物語が有名である。今日はアヒルが多くの家庭やレストランで晩餐の食卓に上る。牧童や粉挽きやワイン農家の守護神としても有名で、丁度この時期新しい樽のワインの味見もあるようだ。

この日をシュヴァルツヴァルトの谷で過ごしていた時、小さな友人のフランクに小学校に連れて行ってもらった。寒い中を厚着して歌って踊ってと元気な子供たちと漆黒の闇の中に声を合わせる親御さん達は火の粉を上げる篝火に照らされてうっとりとした表情をしていたのを今でも覚えている。その中でも、北ドイツからの民謡らしいが、「提灯を持っていこう、消えたらお家に帰ろう、ラビメム、ラバメルム、ブン、ブン」というのが耳に残った。こうして提灯製作から始まったイヴェントが終わるのだった。今日初めて知ったのだが、前日に祝う所もあるようだ。マルティンでもルターの誕生日らしい。雪がちらつく地方も多い。
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1997年の辛口リースリング

2004-11-11 | ワイン


甘口のリースリング・ファンには渇望されるモーゼル中流域の醸造所。因って主要マーケットは海外、とりわけ合衆国。害虫に強いアメリカ産リースリングを使わずに、元来種のリースリングの苗に拘る。果汁の発酵過程においても、サルファイトを使わずに止まるまでゆっくりと冷やしていくという。近年の辛口ワインのカテゴリーの行き過ぎには疑問を呈しているようで、他の多くの名門のようにフランス風の畑ごとの等級化と新しい秩序に協調していくものと見られる。

当家奥様に言わせると、辛口ワインの在庫は限られるということだったが、その辛口でその実力を窺い知ろう。印象はそのヴィンテージよって大きく異なることも予め断っておかなければならない。

J.J.Pruem
1997er Zeltinger Sonnenuhr, Spaetlese trocken

このワイン、決して7年の経過を感じさせない風味がある。これをフィルン初期というならば雪質で説明しよう。この状態は、春先の手付かずの斜面の雪である。重力にしたがって上から重みがかかり、その表面は粗目雪となって内部の層を押し付けている。フリーライダーで滑ると深くシュプールがついて、一度踏み荒らされると滑走不可となるような雪質である。つまり、モーゼルの酸は健在で新鮮味さえ保持している。流石である。典型的なグレープフルーツ風味にその地盤から来るミネラル風味が乗る。辛口で糖価が低い分、明らかに低いアルコール度に関わらずグレープフルーツ風の苦味が目立つ。酵母の影響もあるかもしれない。これが咽喉越し過の後味に繋がっているようでもある。辛口愛好者には、これが残念。全体の印象は、雪の如くぎっしりと詰まった重厚な中にも未だに静かに閉じた処女性をもっていると云えようか。

辛口愛好家は、ヴィンテージを選んで好みのワインを探すことになるので決して容易ではないが、再び試してみたい。そのようなヴィンテージの甘口が、特別な価値を持つことは容易に納得できる。眩しく青空に陽を照り返す斜面に、唯一のシュプールを振り返る如く満悦した。
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甘口ワイン /Der liebliche Wein

2004-11-11 | ワイン
2004 01/24 編集

アイスヴァインだとか糖比重の高い遅摘みの葡萄でなくとも甘口ワインに仕上げる事が出来る。甘い果汁を醸造後に足して「味を調える」方法をとらないまでも、限られた糖比重の中でアルコールへの発酵を押えてその甘みを維持するのである。こうして作られた甘口ワインは、口当たりがやわらかで飲みやすい反面、辛口への醸造に比べてアルコールが弱く、香りも弱い。風味良い甘口を作る事は難しい。更に食事の相伴としてのワインを考えると選択が限られる。日本や中国などの「甘み」や「甘い酸っぱい」食事や米の甘みが支配する食習慣のある地域において甘口ワインが好まれる傾向があるのはこの理由だ。

先日のモーゼル中流域の2002年ものは、前年度と違い酵母の香りに気が付く。ゾンネンライ、ゾンネンウーア、ヒンメルライヒ、ブラウネベルガーなど名だたる斜面に置いても辛口だけでなく甘口のワインの為の葡萄が育つ。ストレートに醸造して、ダイレクトに年毎の個性が出る辛口を避け毎年上質の甘口を送り出す醸造所もある。それらは、上に述べた食生活の違いからも国内ではあまり消費されていないようだ。更にワイン商にとり興味深いのは、上質の甘口は経年変化が少ない(新鮮なワインに長所がない)ので、フランスのネゴシアン達のようにヴィンテージものを扱う事によって利ざやを見込む事が出来る。この辺にも生産性の悪いワインに携わるモーゼルの人たちの知恵が見て取れる。
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モンブラン越えのチリワイン

2004-11-10 | ワイン
2004 01/30 編集

地中海からフランクフルトへの飛行は、僅か8000mの高度でモンブラン越えをする。その標高差は、3000m弱である。フランスワインでなくチリの赤ワインが振る舞われる。飲みたいだけ呑み、ルフトハンザのスチュワーデス(客室乗務員というよりも夢があると言っていた)の彼女達がわざわざ炭酸抜きの水を尋ねてくれるのがとても嬉しい。「君たち、フランスで十分遊んできているね」とつい要らぬ事も言いたくなる。国内では評判の思わしくないナショナル・フラッグのサービスだが、クラスによらずいつも好き勝手にやらしてくれる。BAなどより、単刀直入なのが良い。
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スチュワーデス賛

2004-11-10 | 


初めてフレクエンターになるほど、否応なく航空機を使う機会があった。魅力的なスチュワーデス達の話をしよう。特に飛び慣れていない我々にとっては、彼女達は心強い同行者なのである。飛行には、事故やテロの危険性を度外視しても必ずや潜在的な飛行恐怖が伴うものである。その旅行の高度と速度は、非日常そのもので、登山やパラグライダーもしくはアウトバーンのそれを遥かに超えている。それに加え短時間で遠距離へと一挙に目的地へと移動することは、時差や気候だけでない非日常の大きなダイナミズムを生み出す。その緊張を緩和させてくれるのが彼女たちである。残念ながらなぜか親切な男性の客室乗務員たちでは補えないものがある。

小柄なダークブロンドの彼女がとりわけ印象に残る。その体格から初めはあまり目立たなかったが、様子の分からぬ乗客にも等しく笑顔を絶やさず実務的に手際よく事を運ぶ様子を見て目を瞠った。そして彼女のてきぱきとした手つきは大変魅力的だった。その10時間越える飛行の間、僅かの時間を除いて殆ど客室から姿を消さなかった。何時の間に横になっていたのだろうか。こちらが酔いつぶれて再び目を覚ますとリフレッシングを届けに来たのには恐れ入った。それが終わると今度は朝食と絶えず忙しい。それでも着陸後に少しお話が出来た。親近感を覚えていたので前回の飛行でお会いしたような気がすると言うと、飛ぶ路線は選べるので様々な所へ飛んでいるが、確かにその時期にもその路線を飛んで会っているかも知れないと言う事だった。「でも、こんなに感じの良い、可愛い人を見違えることないよね」と口説き、彼女の同僚たちと爆笑のうちに再会を期した。

共同運航する会社の日本の女性も非常に感じが良かった。大分後になって気がついたのだが彼女の本拠地の空港で、様子が全く分からずウロウロしている時から色々とお世話をして頂いた。搭乗するとそこは別世界である。窓の外の世界は突如として、急に実感のない過ぎ去った世界となってしまう。呆然としていると、ブロンドの初々しいスチュワーデスがコケットにまたその不慣れで何とも可愛らしい手つきで、ライフジャケットの説明を始める。彼女の健康的な若々しさに、こちらも目的地へ向けて俄然生気が漲るのだった。さて大和撫子の彼女の方は、身のこなしが何とも優しくしなやかだ。そしてその手つきが小笠原流とは言わないが殆ど様式化されていて美しい。こちらの方へも遠足で来た事があると言うので、「是非、再び遊びに来てください」とお別れした。

普段は女医さんで、ストレス発散のため副業にスチュワーデスをしているという話をどこかで読んだ。航空業界も生き残りに務めており、条件としてはもはや興味ある職場でなくなったが、その仕事内容以上に夢のある職場としての地位は失っていないようである。そして、昔の船旅の「板子一枚下は地獄、死なば諸共」ではないが、飛行機の旅はやはり特殊な密室環境にあって、尚且つ離陸地と着陸地の両方の空気の間を場所と時間を越えてトランスさせてくれるのである。その変換において、触媒の役を担ってくれるのが愛すべき彼女達と云えまいか。
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ゴミ収集袋の無料供給と排出抑制力

2004-11-09 | 生活


ゴミ収集ポリ袋を役所に取りに行く。無料であるが、この袋を使ってしか三種類に分別された紙類やビン類や不燃物などのゴミを出せない。指定されているので袋は好き勝手な量だけ購入して買い置きすることが出来ない。必要なときに取りに行かなければならない。一度にもらえるのは二ロールで、30袋ほどである。我が行政区がこのシステムを採用してから、十年程経過している。このシステムの大きなメリットは以下のようである。

• 一度に受け取る袋の数が限られているので、ゴミの量を自ずと節約する。
• 袋は同様にリサイクルされるので、全てがシステムとして循環している。
• 袋を購入することによるゴミの増加を防げる。ゴミのためのゴミの削減。

日刊新聞を定期購読して、さらにワイン等の瓶が多いのでそれだけで定期的に袋を取りに行かなければならないが、それでも二三ヶ月に一度ほどである。一般家庭のゴミ排出量はこの域を大きく超えない。万が一超えるとなると、それは業務上などの特別な場合が考えられる。事業主には別にゴミ処理費用が徴収される。他所の地域から来ている者が袋を欲しがって断られたり、また無料の袋を様々な用途に流用する例が増えたようで、先日初めて署名を取られた。こうして未だに運用面で改善され続けている。
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"cui-cui","pip-pip"/抽象的な言葉

2004-11-08 | 


ピーチク・パーチク。オノパトペの文化による違いは、その言語とその機能の差異であろう。脳神経学会での「鳥の鳴き方の学習」についての講演の話題が目に入ったので、さらに二三件のサイトを覘いてみた。無料のアブストラクトでは、特に目新しい情報は見つからなかった。一般の興味が高い話題だからこそ中身は有料である。鳥は十種類ほどの歌のレパートリーを持って、内外の状況や目的により歌い分ける。鳥の種類によってはその何倍かの歌い分けをする。方言も古くから知られていたが、それを新たに覚えるプロセスが脳神経機能として解明されてきているらしい。

鳥の鳴き声に関しても、音楽学として研究されている向きもあるようだが、モーツャルトのトリルをオノパトペと認定しても仕方なかろう。鳥に関しては、近年ではフランス人メシアン氏の採譜と音楽化が有名である。数多くの作品に明確に音化された。それに戸惑う人も多いようだが、彼の晩年のオペラ「アシッジの聖フランシス」の中で飛び啼き交う鳥は、なんと霊感に満ちて雄弁に語ることだろう。らい病者に奇跡を起こし、鳥に説教して、聖痕を得て死をもって永遠の生を受ける聖フランシスが描かれるが、具象的な天使の歌声以上に抽象的な鳥の鳴き声は遥かに多くを啓示する。

サウンドスケープ(音風景)として環境音の分析とそれへの関心は、ここ五十年ほど徐々に高まってきた。しかしオノパトペと同じく、その受け手の文化的背景を土台としてしか把握出来ないことも多い。雨だれや潮騒の音も、自然の情報以外の文化的記号を持つことがある。汽笛や百八つの煩悩を打つ鐘が響く風景から、その意味作用を超えて違う文化的記号を引き出すこともある。映画の背景音などは当に此れである。抽象的な鳥の歌が文字情報に解釈された時、その「鳥文化」はそのサウンド情報を全て失う。抽象的な生物の鳴き声に具体的な意味を理解するとき、聖フランシスが語り合った鳥語は、人類の認識を超える何かを教示してくれるのだろうか?
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ドイツワイン三昧 第三話

2004-11-07 | ワイン
 2004年2月編集

名前
ミュラー・カトワール

場所
ノイシュタット アン デア ヴァインシュトラーゼ

特記
フランス名前から分かるようにカルバン派ユグノーの家系。 1744年以来の九代目。中小規模高品質の醸造所としても近年脚光を浴びた。その後の品質も安定している。

履行日時
2004年1月30日

試飲ワイン
2002年ハムバッハー・レーマーブルンネンの辛口リースリングキャビネット、
2002年ムスバッハー・エーゼルハウトの辛口リースリングキャビネット、
2002年ハルター・ブュルガーガルテンの辛口リースリングキャビネット、
2002年ハルター・ブュルガーガルテンの辛口シュペートレーゼ(樽1)、
2002年ハルター・ブュルガーガルテンの辛口シュペートレーゼ(樽2)、
2002年ギメルディンガー・マンデルガルテンの辛口シュペートレーゼ、
2001年ハルター・ブュルガーガルテンの辛口シュペートレーゼ、
2002年ハルター・ブュルガーガルテンの辛口ムスカテラー種、
全八種類。

感想
キャビネットでは、ブュルガーガルテンが辛さを強く出していた。エーゼルハウトはコンパクトで舌の上で踊り小惑的、レーマーブルンネンはノイシュタットの谷の南側になり南ワイン街道の地質の特徴が出ているようで味は浅いが風味が最も良かった。2002年のブュルガーガルテンの二種類のシュペートレーゼは、原料が殆ど同じながら時間的に片や短く、片や長く醸造されている。因って前者の方が胡椒のようにぴりっとする感じで、後者は丸みがあるが酵母臭の後味が残る。シュペートレーゼ三つ目のものが新鮮で口中ダイレクトに当たるワイン。 2001年のブュルガーガルテンと比べると明らかに香りの広がりと軽さに欠ける。ここの醸造所でも2002年は、醸造の妙が試みられた。決して悪いヴィンテージではないようだが、大規模醸造所に比較するとばらつきが出やすいようだ。 2002年の辛口ムスカテラー種のワインは、高品質だが食事を選ぶかデザートワインにしたい。

総論
古い抵抗力のある株を使って、日照り・病気などの外敵に備えるとともに環境保護を達成する考え方はこの10年ほどで普及した。その徹底が示すのか、品質が安定している。この纏まりのある個性を良しとする人は、今後も迷わず御用達ブランドとするだろう。価格設定も手頃だが、日常消費品にはすこし高価。大事にとっておいて時々消費するワインだ。酵母処理・除去後にそっと寝かして瓶詰めするというので、ヴァインシュタインの沈殿を見やすいようだ。ここの充実感のある味覚はここにも起因しているようで、角が立たない豊満感が特徴。

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1998年の辛口リースリングワイン

2004-11-07 | ワイン


結論から言えばフィルン*となっていた。色は金色へと近づき、蒸せた藁のような匂いとレモンに蜂蜜を乗せたように甘さに続き酸が、それからアルコールの苦味の後に再び糖が口蓋の奥に後を引く。決して不快でないのだが、以前の味を知っていて期待していたので差は大きい。瓶詰め当初は、酸もはちきれんばかりに強いアルコールに包まれていて、内容の豊富さと香りのまろやかさが、薔薇の花弁のようにお互いの要素を固く抱きあっていた。記憶するその印象からすると、糖の出方はもしかすると始めから孤立していたかもしれない。それが二三年すると蕾が開き、全ての要素がグラスの中で調和してきた。辛口ワインの醍醐味である香りは、一般的に三・四年が限度である。だが生産者によっては更に永く新鮮さが保たれる。よって辛口シュペートレーゼが六年で古くなっても呵責する者はいない。甘口や辛口アウスレーゼならば長寿の可能性が高い。一般的に98年ヴィンテージのリースリングは、未だ期待出来る物がある。

MUELLER-CATOIR
1998er Riesling trocken, Haardter Buergergarten Spaetlese

*フィルンとは、本来残雪のことを言う。寒いと硬くてシャーベット状で、温度が上がるとぐさぐさに腐る雪のことである。氷河に限らず雪渓でもあり得る。その状態をして古いワインに使うが、必ずしも否定的な表現ではなく、新鮮なワインに対するカテゴリーである。これが、30年以上古くなっても飲用に堪えるとなると、門外不出のワインとなる。辛口リースリングは、もともと糖価が低いので寿命が短い。
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リベラリズムの暴力と無力

2004-11-06 | 歴史・時事


ジャスミンちゃんは、二十歳のトルコの女の子だった。彼女はムスリムながらトルコの中でも可也リベラルの社会層に属していた。だから彼女は、ムスリム以外の我々ともよく行動をともにした。彼女をドイツ料理に誘った時の事を急に苦々しく思い出した。

ムスリムの世界規模の西洋社会への激しい抵抗が毎日のように執拗に繰り返されている。先日も世界で最も進歩的な町アムステルダムで有名な画家ファン・ゴッホの末裔で映像作家のテオ・ファン・ゴッホ氏が原理主義者に射殺された。仕事場へ向かったところをモロッコ出身の若い男に路上で待ち伏せされ撃たれた。さらに儀式則って咽喉を切り裂かれた。犯人は警察との市中の銃撃戦を経て逮捕された。ムスリム原理主義者の凶暴性は、テロリストとして世界中で名高い。ムスリムの法自体が、現代の西洋の法秩序では断じて受け入れがたいものという。彼らのムスリム法に則った生活様式は、寛容をもってしても西欧では頻繁に軋轢を生んでいる。

殺害されたファン・ゴッホ氏は、ムスリム問題だけでなくリベラル左翼として嘗てテレフォン・セックスから死体愛好症までを題材としていたという。今回の悲劇は、二年前に起きたオランダの人気右翼政治家の暗殺と90年代初めに起きた「悪魔の詩」のルシュディ氏騒動の間に分類される。我々は、タブー無きリベラリズムが他者のナイーブな心情をずたずたに傷つけていることに気がつく。他者の精神を研ぎ澄まされた薄刃で音も無く、真綿で締めるごとく、罪の意識無く斬り付けているかもしれない。ある人々にとっては、彼の地で法に認める同性愛や中絶ですら耐えがたく不快なものである。権利を根拠に純粋培養された西洋リベラリズムは、新種の病原菌を持って免疫の無い人々に無差別に襲い掛かる。

ドイツ料理は、ムスリムの不浄の肉、豚肉無しにはなかなか成立しない。ジャスミンちゃんに豚肉で踏み絵をさせるような蛮行を、我々はしていないだろうか。表現や報道の自由が、そのまま暴力となって人々を傷つけてはいないか。決してお互いがお互いに受け入れられる事がないからこそ、十分な配慮が必要なのである。自他の葛藤という点では、男女関係にも似ている。そして今、上の事件の犯人の二重国籍のモロッコ人は、自由で寛容のオランダを追放されることに怯えていると言う。残念ながらリベラリズムでは対応のしようが無い。



参照:
固いものと柔らかいもの [文学・思想] / 2005-07-27
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06 
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キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん

2004-11-06 | 歴史・時事
 2004 03/19 編集

フランス公立学校での、モスリム頭巾禁止が欧州共同体に与える影響は大きい。新学期から全ての宗教的な飾り(十字架、ユダヤ帽子キッパ、頭巾ヒジャブ等)を「観せて」の通学は禁止される。今回の決断が英断でありえるのは、これによって旧植民地出身者だけでなく経済難民などが社会に融和して、セクト間の対立を政治問題化させない時である。夫々が譲歩する事によって、夫々の信仰の自由を冒さないという理屈である。しかし譲歩を奨めていくと無菌室的な社会になりかねない。全ての宗教的装飾を外しても中立的な教育は事実上不可能であり、仮に可能でも教育の意味を根底から失う。

公用語はトルコ語とまでいわれたマンハイム市で立派なモスクが建造された。コーランを四六時中スピーカーで流す計画は、阻止された。もちろんモスク側は、キリスト教会の鐘を根拠に反論した。多数決の裁定にのみ準拠すれば、政治問題化の危険を絶えず孕む例であった。

政教分離の不十分なドイツ、イタリアでは、フランスのようなエレガントな決断は事実上不可能だ。ゆえにバイエルン州での公立学校での教室の十字架、バーデン・ヴュルテンベルク州の女性教師の頭巾問題は、「宗教の自由」憲法のもとに法律の憲法遵守裁定もしくは議会の立法を余儀なくさせる。現在も個人から教会税を徴収して、夫々の宗派に分ける。政府と教会とのこのような関係は両国ともファシズム政権下でヒトラーとムソリーニが直々にヴァチカンと協定した。連合国に敗戦した両同盟国である。さらにドイツの場合は、連合国占領政策下に「第三帝国から転職」した連邦政府役人が、行政を継続した。

宗教と文化と政治の結びつきが強い欧州においても、空想社会主義同様に、幸か不幸か理想郷は存在し難い。社会における信仰告白を伝統的に良しとしないフランスの今回の決断は、プライヴェートでの「信心」とパブリックでの「意志」を識別する意味において、今後欧州統一の基本ラインの中に止揚されるだろう。

欧州における文化は、宗教的にも多様な相互干渉によって発達した。共通意志の基に融和と団結が求められる。共通意志として求められるのがキリスト教的「寛容の精神」である。

最近、カトリック色の強いバーデン・ヴュルテンベルク州で帰化希望者への口頭試験が履行されている。基本的な日常会話に加えて、社会契約が質問される。もっとも社会システムなどの自国民でも答えられない知識や思想・宗教的なものは慎重に避けられる。要は、基本的権利・義務への認識と、「自由」、「団結」、「権利」への意志を基本理念とするドイツ連邦共和国歌に集約できる。これは、度重なる議論の末に「第三節のみ」が1991年に公認された。これは現実への意志であって、未来への理想や歴史の過去には触れない。



参照:リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
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此れはなるほどやはり名言だ

2004-11-06 | 雑感
ブログ開設にあたって、ホ-ムページと同じタイトルをつけた。そしてタイトルの意味を再び考えた。大宗教家ルターに決して親しみがあるわけではないが、此れはなるほどやはり名言だ。

ワインを愛しむには、心開いて先入観なしに受容しなければならない。

を愛しむには、心豊かにして虚心坦懐に表現しなければならない。

そして
を愛しむには、心安らかに許容して共鳴し合わなければならない。

これがこのブログのモットーである。
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