Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

グリュナー・ベルティナー - ドナウの辺にて

2004-11-21 | ワイン
2004 03/24 編集

リースリングでもシャドネーでもない葡萄種。前者の強い個性も酸も無いし、後者の風味も軽さも無い。適度な酸味と立派な味と言うべき。冬の霜に強いが果実が熟れるのに時間がかかるので、オーストリーが北限という。粘土質で土壌が熱を持つのが良い条件という。ドナウ河がヴィーンに流れ込む前のヴァッハウやクレムスが有名な産地である。たおやかに流れる河からの十分な湿気と谷にこもった熱気とが良いワインを育てる。フルーティーな若いワインからスモーク風味の長期保存に耐えるワインまで出来る。「青きドナウで」ワルツの「有限の調べを口惜しみ」ながら、炭焼き料理や上品なサラダなどを楽しみたい。
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看板娘ナタリーの思い出

2004-11-21 | 


彼女が樽から注いだ あ ま い 泡立ちのピルツナー・ビーアが懐かしい。天真爛漫で実年齢よりも精神年齢は五つほど若かった。童女のように新鮮な彼女を目当てに、若者だけでなくおじさんまでが日参した。マジャールと南仏の混血である彼女は、小柄でブラウンの髪に、目にはマジャール人特有の灰色系の濁った銀河の中にいくつもの小さな星を輝かしていた。鼻筋の曲線は、弦楽器のS字孔にも似て弧を描いて、横顔のシルエットに長く筋を引いて独特なアクセントを与えていた。ゲルマン系の特徴ともスラブ系のそれとも違う骨格は、母親のラテン系の血を継いでいて、マジャール風のコンパクトな質量感も皆無であった。

常連さんと毎晩ゲームなどに興じて、甲高い声を深夜の店内に張り上げていた。早朝三時まで食事が出来たので、遠方から帰るときは彼女のビーアが楽しみで眠気を払いつつ車を走らせたのであった。我々が彼女にチョッカイをかけると、いつの間にか親父が草履がけで厨房から出てきていて、彼女との間に仁王立ちするのであった。いつも親父は客に聞こえるように娘に言った。「あいつ等はな、お前を狙っているだけだぞ。狼だぞ。」。いつも黙って大人しく聞いていた娘もある日、父親との会話の中で、「お父さん、どうしてそんなことを言うのと、」と相互理解に亀裂が生じ出した。既に親父と離婚している彼女の母親も、若いポーランド人の新妻の働く店にチョコチョコと顔を出すようになった。それから暫くして、彼女は他所で働くようになって客足も落ちた。親父は、娘を手元から放して「良いのか悪いのか分からんがな。」と自己に言い聞かせるのだった。心なしか親父の注いだビーアの泡が塩辛かった。しかし頻繁に店を訪れる娘は、明らかに束縛感から解放されていた。

父娘の原風景を見るような話だ。親父さんの自らの女性関係とそれを目の当たりにしていた娘の葛藤に、少なからずホームドラマを見た。「お父さん、心配だったね。男は皆、あんたと同じだからね。」とお返しして、ナタリーの幸せを祈るのである。
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赤ワインにレバーとザウワークラウト

2004-11-20 | 料理


ザウワークラウトをレバー料理に使ってみた。本当は高価な子牛のレバーが良いのだが牛レバーでも問題ない。グーラッシュの場合と違い煮込まなくてもよいが、オーヴンを使いたい。先ずはレバー肉を細く棒状に切る。オイルで炒めて火を通し味付けする。バターの味を染み込ませても良い。塩胡椒に好みの香辛料やワインで味を調える。そこに準備してあったストックなどで煮込んだザウワークラウトを上に乗せオーヴンにかけ、双方が馴染んだところで出来上がりである。十五分弱の準備時間、十五分強の調理時間である。

さてこのキャベツを細切りにして熟れさせた漬物は、中国がオリジンだと云う。そしてモンゴルの来襲によって、欧州に伝えられたようで東欧でより多く出会うことが出来る。更にユダヤ教会がこれを取り入れてアヒルやガチョウの肉と供される。そして冬の間の栄養補給源として中北欧で定着した。現在ではドイツ、オランダ、ポーランドで最もよく食される。フランスでは、一人頭年に800グラムに満たない消費である。アルザス地方の名物シュークロートの消費を差し引くと殆ど食されていないと云うことになる。ザウワークラウトの西限である。内臓肉を使った上の料理は全くオリジナルかもしれないが、理に適った料理なのでアルザスからロレーヌさらにブルゴーニュへとかけてフォアグラの産地でそれらの肉で料理されている可能性も捨てきれない。もし地方料理として存在するならば民俗学的に興味深いテーマだろう。

ワインコーディネートに直感を働かして、この料理にブルゴーニュより南の赤コテ・ド・ローヌを合わせた。安物のワインなので十分に料理に使うことが出来且つ飲むことが出来る。もちろんボジョレーヌーボでも良い。
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マジャールのグーラッシュとトカイ

2004-11-19 | 料理
2004 02/19 編集

オーストリー・ハンガリー二重帝国の歴史は、食卓の上に痕跡を残す。ハンガリーの煮込み料理グーラッシュは、同じ神聖帝国乍ら、ドイツではレストラン料理として馴染みが薄い(家庭では安い肉を煮込む)。ドイツではグーラッシュズッペなるスープは至る所にあるが、国土を西へ行くに従いミルク煮込みの、フランス風ラグーが主流になる。豚に比べ牛肉の消費が少ないことにもよるようだ。オーストリーでは、牛のグーラッシュは一般的だ。このハンガリーの平たいパプリカ(ピーマン)を使う料理は、ドライブインの定番なほどの民族料理である。パプリカの辛みは西欧では本来馴染みが無く、マジャール人がアジアからもたらしたようなエキソシズムが漂う。キリスト教化したマジャールは、トルコ人の欧州進撃の防御にもなった。数々の武勇伝があるようだ。印欧語にもスラブ語にも属さない中央アジア起源のマジャールは、姓の次に名を名乗る。もともと制圧されにくい放牧民族であったので独特の立場や文化を今も保つ。

ワイン街道にもマジャールの親父の店があった。共産圏時代には、ブタペストで国賓のキッチンの使い走りもしたコックである。同志中国人の女に附いて北京も観光した。南フランス人女と結婚後、二人の子も成長すると、今度は若いポーランド人を嫁にした。一人娘ナタリーに給仕をさせながら、若い嫁さんとキッチンを切り盛りした。夜中、3時ごろまでカジノ客を相手に食事を出した。ベークドポテトの出来上がりは最高だった。その味付けと食感は、芋嫌いにも受け入れられた。ここの自慢料理がグーラッシュであった。土地柄と値段を考慮して、豚仕立てだったが本物であった。ナタリーが注ぐピルツナー・ビールがすすんだ 。メニューに載っていなかったのが、ザウワークラウト入りのグーラッシュだ。ザウワークラウトを二日二晩煮ると、こなれた円やかな味になる。パプリカの辛さも酸味も全てが調和してしまう。伝統を感じさせるおふくろの味であった。看板娘ナタリーもいつしか独り立ちして行き、夫婦二人体制になり営業時間も昼夜に変えた。店を仕舞う前に、「ナタリーも27歳になってね。」とお別れに娘がハンガリーから持ち帰ったトカイを開けてくれた。いつかゆっくりと二頭立て馬車で大陸を走りたいというのが年来の夢であった。今ごろは、中央アジアへと繋がる大平原を東へ東へと2馬力の車を走らせているのだろうか。
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新雪情報

2004-11-19 | アウトドーア・環境


谷にも雪が降りそうだ。しかし氷河スキー場のインフォメーションによると未だ十分な新雪は無い。昨年11月15日の写真を振り返ると、今年は少し遅いようである。先週の寒気も新雪を十分に降らす事はなかったらしい。何れにせよ天気予報と雪情報を監視しながら、口実をつけてアルプスに行く機会を今か今かと待ち構えている。

出来る限り早い時期に一度滑りに行くと、そのシーズンは好機会に恵まれる可能性が高くなる。新雪の時期は、斜面に石などが出ている可能性があり決して快適ではない。しかし陽を拝むことも乏しく運動量も落ちる暗い11月の里暮らしから、霧を抜け雲を抜けて海抜3000メートルの高所へと至ると、往々にして雪化粧した山々を照らす初冬の日差を浴びることが出来る。綿菓子のように上からそっと置かれた白原に起って、彼方の谷向こうから大気の遥か彼方を仰ぎ見る時、宇宙の調和が垣間見える。強要される深呼吸に急に冷やされた肺を庇って一息つくと、必ずや新鮮な気持ちに満ち溢れる。こうして寒い冬を精力的に乗り切るのである。
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リンドウ - Der Enzian

2004-11-19 | その他アルコール
2004 03/05 編集

高山植物として有名なのは、エーデルヴァイス、アネモネとエンツィアンだ。それぞれ白色、黄色と青色と美しい。エンツィアンは、ラテン語ではジェンタンである。生薬として服用されるかどうかは分からないが、シュナップスとなる。エンツィアンを愛飲している女性を見た事はない。男性、特におじさん向きの味と香りである。植生地の多くは、冬はスキーの深雪斜面、夏は牧草地である。深雪フリークに踏めれ押し付けられ、雪が解けると牛に毟られ養分を降り掛けられる。強い日差しの下で大鎌で刈取られる。ドイツではアルゴイ地方が産地である。BSE牛がかつて見付かった。不安だった。


参照:
お花畑に響くカウベル [ 音 ] / 2005-06-23
湧き騰がる香りと血潮 [ その他アルコール ] / 2006-03-04
国境での酔態万華鏡 [ 生活 ] / 2006-03-25
白い花は黄色かった [ アウトドーア・環境 ] / 2006-08-04
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ゴットフリード・W・ライプニッツ

2004-11-18 | 数学・自然科学


1646年にライプチッヒの法学教授の下に生まれて、両親を早く亡くしながらも、自宅図書室で多くを学んだと云う。8歳にして絵付きの図書でラテン語を独学し、数年後にはギリシャ語もマスターしたといわれる。当然の事ながら15歳で地元の大学に学び、18歳で哲学のマスターを習得するという環境にも恵まれた早熟の大学者である。哲学、数学さらに法学においてその後に与えた影響は大きい。特に、数学の微分の方程式は、未だ大変多くの人が直接間接にお世話になり、数学の試験の重要な問題を提供して受験生の頭を悩ませる。

1996年に生誕350年を機に新資料の整理と再評価が行われたが、彼の多彩な経歴と膨大な資料から簡単にその人間像を掴みきることは難しそうである。中世風の博学者とは時代も違いどの研究部門も質が違い、学窓に留まらず精力的に多方面で最新の成果を吸収していくので、現代の専門の分化した研究者達を悩ますのかもしれない。外交官としてもルイ太陽王の下に駐在して、王のドイツへの覇権意欲をエジプトへ向けさせる任務を負った。そこで当時の錚々たる物理、天文、数学者と知り合い科学アカデミー会員となり、続いて滞在したロンドンでも王室アカデミーのニュートンなどの躊躇を受けながらもメンバーとなっている。そこでのボイルやホックとも知り合いさらにパリへ戻りファン・ヒューゲンスの勧めでカヴァリエ、デスカル、パスカルの業績に触れ、本格的に演繹法を習得する。さらにオランダでスピノザ等を訪ねて、当時の重要な学者思想家達とその後も書籍を取り交わすことになる。1676年には仕えていたマインツの伯爵の死で、パリ大学の教授ポストもとれずにハノーバーの宮廷に仕えることになる。そこでヴェルフ家の歴史などの調査の任務を受けて南国に調査旅行、ヴァチカン図書館で彼が非カトリックのため就職却下されるなどありながら、既に1675年に出来ていた微分の研究を自らの出版する雑誌に投稿するまで暫く待たなければならない。

微分の合成の法則等を三角法のタンジェントへと戻ってシコシコと計算するライブニッツの下書きや計算式も多数残されておりその一部は新たに資料に加えられて、以前はネットでも公開されていたように記憶している。それでもその法則の一般化や上の経歴から察せられるように、彼はドイツでは大変に異色な学者という印象は拭えない。その一般化された公式をもって自己満足をしている見解や新旧教の仲裁に入る宗教観などをみると、ヘレニズム的な幼少時からの文化体験とあくまでも抽象的な論理の取得がなされている。彼の無限大(小)の概念と虚数への関心と展開がよく取り上げられるが、タンジェントを用いての定理付けとその後の一般化の展開の段階で、既にその後を導くだけに十分な思考の飛躍が認められるのではないだろうか。その後の生前に出版された三冊の哲学書等は、むしろ肩の力を抜いて執筆したのではないか。1716年の埋葬には内輪のものしか集まらなかった様に、生前には学者としての業績は少なくある種のアマチュアリズムを尽いたお陰で、ニュートンなどの職業物理学者には出来なかった数学者らしい業績が見つかる。彼の近代性を指摘出来るかどうかは分からない。しかし抽象概念も悉く言語化するドイツ語文化圏からの輩出としては後年の一部物理学者などを含めて、極めて珍しい抽象家だと思う。
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ヨハネス・ケプラーのワイン樽

2004-11-17 | 数学・自然科学
2004 02/19 編集

天文三つの法則で、ガリレオの地動説を理論的に援護し、ニュートンの万有引力を準備した天文学者兼数学者(1571-1630)。観測結果の精度が出ない間、光学系の研究も進める。視力に関しての論文は、最初期のものという。シュトッツガルト近郊のヴァイル・デア・シュタットの兵卒と旅館賄いの長男。幼くして、数学の才能を示し、当時の高名な天文学者のいるシュヴァーベンのテュービンゲン大学に学ぶ。ギリシャ語からヘブライ語の文献へと学識を広げる。新教的信仰の中にコペルニクス的宇宙観をもち、ピタゴラスやユークリッド数学を用いその構築を厳密数学的に追求していく。蜂の巣からの多面体の解析も業績。火星の観測から楕円軌道を推測するが、第三法則の出版まで10年近くの歳月を要する。その間、思想の革新性からグラーツへの移転を余儀なくされる。観測精度不十分のため高名な天体観測者チコ・ブラーエを訪ねプラハへ転居。二度目の妻を娶り、挙式を挙げることになった。彼は、晩餐のために樽でワインを大量に注文する。その際、形状の違う樽に関わらず穴から棒を突っ込み量を測る方法を見て疑問に思う。三日三晩の試行錯誤の末、厳密な計測の計算式を編み出す。微細な曲線部分は、微分の概念で計算していく。これら計算式や素材などは現在でも観覧できる。

彼の更なる研究は、こうして完成されていった。ガリレオの地動説に即、賛辞を送った彼は、ガリレオの父であるヴィンツェンツォの音楽論文を彼の著「宇宙の調和」で扱う。その音楽論文は、ヘレニスム的思考に立ち、中世教会調を元にした多声からの脱皮と12音や5度8度4度などの音響的調和を解析する。デカルトに尋ねるまでもなラモー以降の和声理論に直接の影響を与えた。この「宇宙の調和」を基に20世紀の作曲家ヒンデミットがオペラ(管弦楽)を作曲している。

ワインの内容量に疑問を差し挟む事になった、シュヴァーベン地方の合理性と倹約と実験精神は、現在も同地方のメルセデス社他の機械産業や教育・研究施設に脈々と流れるのを容易に見出すことができる。
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人工衛星のインターネット化

2004-11-17 | テクニック


航空機内でのインターネット利用は目新しいことではないが、全クラスで使えるようになるのは初めてらしい。サテライトと航空機の安定した交信方法や航空機システムに与える無線LANの影響などは技術的に興味ある点である。このインターネットポータルを提供しているのはシステム開祖ボーイング社の子会社であり、クレジットカードなどで清算される。ラップトップの無線LANカードがIEE802.11b仕様であればよい訳だ。このシステムを繋ぐのが地球自転と同期して見かけ上静止している三万六千メートル上空の10個の静止衛星と云う。電子メールなど多種の利用法があるが、10時間前後の短い旅行時間では使い方も限られる。

先日、メガジャンボ機A380が既に3機完成して試験飛行の準備に入っていると伝えていた。最長の旅客機A340-600のようなエレガントな飛行が楽しめるかどうかは知らないが、安定した飛行挙動と低燃費・騒音振動でヨーロッパテイストの航空機が期待される。特に向上する居住性は、制限の中で許す限り嘗ての客船に近づいている様だ。その大きさから受け入れ側の飛行場の整備が世界中で急務となっている。上の一号機を納入するシンガポール・エアーラインならずとも世界中で駐機所の改造が進んでいる。整備施設も一回り大きな格納庫が必要となり新設も検討されている。ミュンヘンの新第二ターミナルは、2006年のワールドカップ開幕の日にA380の初就航を祝うということである。

航空機内のエンターテェイメントの考え方は今後も変化していくと思われる。飛行は航海と違い地球の裏側への長距離飛行とノンストップ到達という理論的時間の上限が存在する。だから飛行は時間が限られる。上の有料のシステムよりもホテルロビーのような無料の軽微でインディヴィデュアルなシステムへと、嘗ての強制的な映画上演から個別モニターになったように変化するだろう。コックピットの技師が消え、キャビン専用に情報工学の技師が飛行する現実は些か滑稽であるが、どちらも高速度の情報処理の賜物であることに変わりない。
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特別なアトモスフェアー

2004-11-17 | テクニック
2004 10/16 編集

2008年から就航予定のボーイング社世界共同製作機7E7の記事を読む。欧州のエアバス社がA380という超ジャンボ機を開発して、アメリカのボーイングが超音速機開発を断念して、軽快な長距離機を開発するというのは興味深い。流石に古くなった大ヒット商品ジャンボ機から、B767を挟んでここ暫く対抗馬に押され気味だが、新たな市場を開拓して巻き返しを図る。

航空機に永く殆ど乗らなかったので、かえってここ数年の技術の向上には目を見張る。一万メートル上空でのシャンペンの素晴らしさを1月にも語ったように、最新のエアバスの低騒音や居住性はかつてのジャンボ機と比較出来ない。さて、新しいボーイングのスカイライナーは材料素材を開発厳選することによって、更に低排出を目指すようだ。コンピュータグラフィックからも嘗てのグロテスクな重厚巨大高排出から脱出して全く正反対の方向へ進んでいる。新開発の材質でキャビンの気圧を高めて居住性を高めるという。現在の航空機が標高約2400メートルに合わしてあるところを約1800メートルにまで下げる。自身高度の影響に敏感なので、この違いを考証してみたい。ボーイング社はオクラホマの大学と共同研究したらしいが、この高度600メートルに相当する気圧の差は、更に多くの人にとって快適を意味すると想像できる。しかし高度順応力には個人差もあり、自らの経験からすれば2400メートルに相当する気圧は決して不快ではなく特別なアトモスフェアーを醸し始める領域である。そもそもこのキャビンの気圧も普段の生活域と相対的なもので、インターコンチネンタルな旅行では出発地と到着地の気候差や時差ほどに大きくは無い。

前回も書いたように少し乾燥した軽やかな空気の機内は素晴らしい飲酒の環境となる。シャンペンが薄い気体の中で地上より勢い良く広がっていくのに比べ、フルボディーのワインは地上に比べ更に重みを増す感じだ。微妙な香りを楽しむには、今ひとつ空気が馴染まない。アルコールの気化の仕方に左右されるのだろう。ビールは、シャンペンほどに機内では美味しくない。これは普通ビールは香りで楽しまないからだろう。上の600メートルの高度差は、何よりも飲酒環境を変えるかもしれない。特別な雰囲気は減り、本格的に飲食出来るようになると、航空機自体が量より質へ技術革新する中、飲食は質から量へと進んでしまいそうでこれも心配である。
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嗜好品のエキス

2004-11-16 | 料理


と言っても、ノンアルコールのティーである。以前は自宅でコーヒーを控えていたのだが、最近は朝にミルクを入れて飲む。何度かこの黒い粉を淹れる事に凝って、その都度飲み過ぎて胃を悪くしたものである。ミルクのお陰でコーヒー中毒にもならず、心意性の胃潰瘍も併発していない。日本茶も煎茶から抹茶までと欠かさない。煎茶は人に倣って、飲酒の後の寝る前に飲む。適度なカフェインが効きアルコールの興奮が落ち着いて寝つきが良くなるようだ。薄茶は余り頻繁に淹れないが取って置きにしてある。作法お構い無しに美味しく点てる工夫をしている。抹茶の質や新しさにも依るが茶の甘味は独特で格別であり、強いカフェインの効く瞑想の一時を過ごせる。紅茶も葉をポットで淹れると注ぎ切ることが中々難しい。客人などがいなければ、葉の入った中の筒を茶が出たら直ちに取り外す方式で最高級のダージリンまでを淹れる。上手く入れることが出来る。

元々ハーブティーには興味が無かったのだが、炭酸入りの水を購入して飲むよりも安上がりで且つ楽しめることが分かり、何種類かは買い置きがある。先ずは何よりも、ハーゲブッテという鳥が突く様な赤い実のバラの実から出来たティーである。その実の色のように大変酸っぱく馴染みが悪いので、ハイビスカスが混ぜてある。これを公証人の事務所で初めて飲んだ。「利口者」という苗字のこの公証人は、ドイツ人には珍しくユーモア溢れる外見を持っている。面長で長身の彼は、それでも角々しくも痩せぎすでもなく、お年の割りに足取り軽く飄々としている。芝居やオペラブッファ等でおなじみの公証人タイプだが嫌味が無く頬を赤くした笑顔が天真爛漫だ。その彼が席に着き公証の内容を読み上げるときに自ら口にするのがこの赤く透き通ったティーである。独特の節をつけて、ところどころ電撃の如く端折りながら、一同の顔を窺いつつ質問を交えてガラスのポットのこの液体を振る舞い、自らも咽喉を整える。僅かの清涼感以外に殆ど効用もありそうにないが、鳥が突く如く、ピーチクパーチクと囀りのエキスが入っていることはこれで確認出来た。これを真似てティーバックでポットに淹れると、何時も彼の公証人先生のお顔が浮かんで長い座業の合間の気分転換にはとても好いのである。
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英国の相続遺産

2004-11-15 | 料理
2004 07/11 編集

英国から様々な紅茶の入った包みを受け取った。ダージリンを中心にアールグレイ等である。ヒマラヤ産のこの高貴な茶だけでも5種類あるので、淹れながら比較していきたい。ティーバックは便利だが、時間が許せば葉っぱからポットで淹れたい。御用達のブランドに並んで、日本橋三越のお手本であり続けるデパートの商品も混じる。御用達マークが付いていないのに気がつく。其の中でも最高級の商品は、包装を見て驚かされ、その誇大包装に思わず吹き出してしまう。英国人のアイデアなのか、エジプト人のか、日本人のものなのか分からないが、大変滑稽である。先ずは、これは外見からパスして、月並みなのもパスして、中間の木箱入り「新茶」から始めよう。

木箱を開けて先ず驚くのが、葉っぱの色と形状である。お茶の緑色と丸まったままの葉っぱが見て取れる。なるほど冬明けの初スコール後の採取という講釈が理解できる。いろいろと淹れ方を工夫してみる。ダージリンに濃くと香りだけを求めると期待はずれとなる。短く、軽めに出して、レモンを付け加えてヒマラヤの清涼感を楽しみたい。水の違いと沸かし方は、いま少し研究を要する。

英国人のあるワイン専門家は、食間の飲み物に話題が触れるといつも紅茶の話になる。彼に言わせると、食事をワインに合わせるのは良いが、高級なワインになるほど選定が難しくなるので、食事にはワインではなく、全く問題ない紅茶を合わせるというのだ。良い紅茶が切れている期間はコーヒーで過ごしてきたが、コーヒーでは食事の相伴に大抵ならないことに気が付く。紅茶ならば、上の彼が言うようにミルクを入れても多くの食事から浮き出ないかもしれない。カレーにチャーイだけではないことを確認してみたい。



参照:嗜好品のエキス [ 料理 ] / 2004-11-16
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簡潔さと的確さ - H・ハイネ (1797- 1856)

2004-11-15 | 文学・思想


コブレンツから川向こうのローレライ側をさらにボンの方へ向かうと後期バロックの城がライン川沿いに建っている。そこで音楽会があったので参上した。ローレライの岸壁が落ちる曲がりくねったラインからは少し離れたところを通るアウトバーンは、微妙な高低差とカーブが多い路線なので無制限のところは少ない。そして当たりは冷えて霧が出てますます暗くなってくる、しかし適当に飛ばせるので眠気を誘う。ハイネの詠った伝説の金髪の美女は今はここへと所替えをして来ている。

迂闊にも詩人ハイネしか知らなかった者は、彼の文章の簡潔さと的確さに感心させられる。現在のジャーナリズムにおける特に文化欄の書き方の創始者であるということだ。皮肉や風刺やパロディーの分析にとどまらず、言語のもつ文化的記号の意味を巧妙に操って読者の視点を左右上下自在に思うように操る。そしてその詩も、当然のことながら読者の六感に訴えて思い通りに狙った効果を上げる。このように見てくると、1831年パリ移住後の活動、1832年のハンバッハー・フェストにコメントを寄せ、1835年以降国内出版停止された思想家としての活動と詩人としての活動が初めてハイネの業績の全体像として無理なく合致する。

さて音楽会の方は、来年東京デビューをすると言うシュタットフェルド君と同じく売り出し中のアマール四重奏団の競演で、ボヘミアの音楽をテーマに三日間連続の催しであった。ボヘミアの多重文化の中で作曲家たちはどの視点で何をどのように表現したかを垣間見せる趣向。マウルス博士の要点をついた進行で、演奏者にも様式や時代に依らない解釈へのフレクシブルな対応が求められた。ハイネの文章のような狙い通りの受け手の反応を期して、若い四重奏団の正確な譜読みによる様式感が、それより若々しく悠然とした自家薬籠中のピアノを援護した。因みにハイネの詩による歌曲も有名だが、シューマンよりもシューベルトやメンデルスゾーンの「歌の翼へ」の方が知的な面で合っているように思う。



参照:
行進しても喉が渇かない [ 生活・暦 ] / 2005-04-25
荒野に生えた葡萄 [ 歴史・時事 ] / 2005-04-29
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ハムバッハー・フェスト /Das Hambacher-Fest

2004-11-14 | 文学・思想
2004 02/18 編集

アップデートしたTasting/試飲頁のワイン畑として出てくるハムバッハー。1832年にこの地で起きた騒動は、フランス革命精神を手本にその後フランクフルトなど各地に飛び火する。先大戦後、ドイツ連邦共和国のイデオロギー的象徴となった。当時の関税に反発してノイシュタットの教会広場に集まった群集は、ハムバッハー城を目指して行進した。民主主義(権利団結)と自由(主義)の運動。校外学習の目的地としてだけではなく、主要国元首の訪問地としても有名。



参照:
投資家の手に落ちる報道 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-01
ドイツ連邦共和国国歌
連邦政府公式見解
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伝統文化と将来展望

2004-11-13 | 文化一般


傍らの新聞の文化欄が、バイエルン放送協会の放送オーケストラ解散を報じている。アメリカ占領下で文化促進として発足した。兄弟組織の交響楽団に対して、ミュンヘンの土地柄、オペレッタや大歌手の伴奏などを専門として放送やレコード録音で世界的にも有名である。聴視料の値上げを避けるための処置としての解散といわれると大多数は納得する。可も不可もない文化行政は淘汰されていく。記事は、バイエルンの文化行政や趨勢にこれでなんら変化がない事について言及する。大指揮者チェルビダッケを政治家が奉りたて、君臨した時のことを揶揄する。歴史ある民間交響楽団ミュンヒナー・フィルハーモニカーに非効率の凡才巨匠を迎え、ただ彼が作品を物に出来るまでの練習時間を与えていただけだと手厳しい。

文化行政は、納税者には分かりにくい。全ての人が文化を享受していても、伝統的であればあるほど空気のように意識させないからだ。文化の定義など高尚なことは云うまい。公的な資金が使われる限り納税者を納得させるだけの説明が必要である。そこに文化の恒常性が議論されたり(もしくは言及されなかったり)、権威付けが行われるとき眉に唾をつけなければならない。経済的・商業的に成り立たないからこそ公的援助が必要となる。援助の必要な文化は全て二極間に位置するだろう。一つは有形無形の伝統的な文化を博物館に陳列する行政、一つは将来の発展ために嘗ての王侯貴族のように庇護する行政となるだろうか。ユネスコの文化遺産指定などは前者で、人材育成や同時代芸術・文化の振興などは後者に当たる。

援助の正否の判断は難しいが、「文化的な主張」無しに容易に町興し的な地域促進案や只伝統への回帰が叫ばれるとき注意をしなければならない。何故経済的援助が必要なのか、将来的展望はあるのか等、仔細な好発想よりも大局的な見解が明確に主張されるべきである。再び記事に目をやると、統合後ベルリンだけで二桁に上る楽団の解散と統合、そしてそれぞれの楽団員の幼少時代からの修行に合致しない給与と非経済性と、ここ半世紀云われて久しい非能率な形態の大管弦楽団の存在意義と博物館展示への潮流が示される。ミュンヘン、バイエルン、ドイツ、欧州において、その伝統文化の意義の見直しと将来への展望が新たに必要とされている。
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