Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

待降節最初の土日

2018-12-02 | 
本日は初めてSSDのシステムでストリーミング録画をする。プログラミングが正しくインストールされていれば従来のHDDよりも書き込み速度が速いので上手く録画出来る筈だ。先ずはテストで試してみなければいけない。もう一つのLINUXで実験的に32Bitで録音も試して見ようかとも思う。先ずはストリーミングが上手く流れるかどうかだ。

アバド指揮の「オテロ」の1997年5月のトリノでの演奏、最初はとても感心したものの二幕では大分荒が見えていたが、後半は更に悪い。なによりも管弦楽が下手で、恐らく現在のミュンヘンの放送管弦楽団程度の実力しかなさそうだ。その一方嘗てのカラヤン時代の楽員が残っているのかどろどろとおかしなアンサムブルをして頗る様式的にチグハグニなっている。特に気が付くのは最も自慢の第一ヴァイオリン陣からしてしっかりと歌い込めていない。

想像するにこの淡泊さは、現在も定年間近で活躍しているザルヴォータではなく、勿論クシュマウルでもないとすると、安永徹ではないかと思う。その影響で弦楽陣がどこまでも今一つなのにチェロが強く出たり、ここぞとヴィオラがしゃしゃり出るアンサムブルはあの当時のベルリナーフィルハーモニカーのはしたなさそのものだ。要するに音楽芸術的にもはや超一流ではなかったころである。その管弦楽の下手さは監督とはいえカラヤン体制から切り替えなければいけなかった指揮者の責任の全てではないのだろう。

しかし、一拍の中でのフレージングの明晰さのない個所や歌手との絡みになると極端にその指揮のコントロールが弱くなる。これは好悪もありながら後任のラトル時代にはなかったもので、この指揮者がこの交響楽団に対してそのオペラ演奏に関しては余興以外の何物でもないと思っていた節がある。そこがカラヤンの強引なオペラ演奏法とは異なるところだったのだろう。どうしても私などは今後のペトレンコ指揮の復活祭公演を考えて、今のフィルハーモニカーならばここはこのようにと思ってしまう。そうした弦楽陣の思いがけないほどの不味さに加えて管楽器群も冴えない。オーボエ族などは座付楽団並みにビーと太い音を出している。兎に角、下手な演奏で閉口する。オペラ劇場的な問題でなく、楽団として今日のミュンヘンの座付がどれほど上手く演奏しているかがよく分かる下手さ加減だ。

晩年にマーラーの八番の交響曲指揮を拒絶したように、クラウディオ・アバドの音楽の理解はとても幅の狭いものであったかがよく分かる演奏だ。「ボリスゴドノフ」のようにあれほど素晴らしい録音を残している反面 ― 後任者のラトル指揮にはそれほどのものがなく、その演奏を凌駕するのはペトレンコ指揮しかないだろう -、とても出来不出来が極端で、この指揮者が病魔に倒れずにそのまま君臨していたら更に酷いことになっていただろうと思われる。これはやはり今回のストリーミングを研究すると同時に、ミュンヘンに出かける前にカルロス・クライバー指揮のミラノスカラ座での演奏を一通り復習しておく必要があるかもしれない。

あまり重要ではないが、デズデモーナのバルバーラ・フリットーリはしっかり歌っていて、余計にホセ・クーラのいい加減さが目立つ結果になっている。この歌手に関してはその後に変えたとか何とかいわれるが、あのデビュー時点で明らかな欠点があって、本人も作曲するとかあるのだが、楽譜の真意を表現できない不器用さが目立つ。初めからメインストリームからは落とされるその芽ははっきりしていた。現在の一流歌手に要求される基本的な技能が欠けていたことは明らかだ。

最初の待降節土曜日だった。所謂クリスマスマルクトが始まりそれ用の飾りつけが点灯するということになる。四本の蝋燭を点火していく家庭も少なくないだろう。今年は最初のヘンデル曲のブラスの演奏だけであとは歌が引き受けた。ブラスのレパートリーもあるかもしれないが他所に回った可能性が強い。歌はどうも女性牧師が引っ張っていたようだ。珍しくそれほど寒くなく窓を開けて録画が出来た。



参照:
良いこともある待降節 2017-12-15 | 暦
待降節景気の街並み 2015-12-20 | 暦
昨日の雪は昨年の雪 2012-12-08 | 雑感
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公平な選り取り見取り

2018-12-01 | 雑感
引き続き「フィデリオ」のティケットを購入した。三枚目である。二回は出かけるつもりだ。最初の一枚を購入するのに待ち番号34番がタブレットで出て、ログインに失敗して結局400番台で購入した。だから最終日も50番以内でなければ買わないつもりでいた。模擬試験ならば東大理三狙いだった。それが一番と二番と十六番を貰った。流石に会場の光景は写真が示すように違った。

新システムになってから裏口が閉鎖されたが、どうも正面口が工事中で普段から塀の隙間から出入りしているような人しか入れなかったようだ。つまり前回の「指輪」の時は明らかに裏口から入って安いツィクルス券を購入したが、今回は殆ど誰もいない正面から堂々と入場した。今までで一番買い放題だったのは言うまでもない。

その事情が分かったのは一つ目のPCを森に出かける前に開いていたが、いつものように二つ目のPCは帰ってきてから開ける準備をしていた。システムからすればいつ開けておいても同じだが、敢えて待ち時間を変えるのはこのシステムのフェアー度を試すためだ。そして汗をかいて帰ってきてシャワーを浴びる前に並ばそうと思って開けるとリンクが開かない。これはどうしようかと思ったが、一つ目のURLを書き取って入れると直ぐに並べた。ここがみそだった。要するに普段から準備している人はすんなり入れて、そうでない人は到底並ぶこともできない様な入口規制になっていた。敢えてしているのかどうかは分からない。オパーフェストのやり方も若干それに似ていて分かっている人は問題なく買える。

以前の方式は明らかに裏口だったがこの方式はいいと思う。但し私自身も一つ目を開けていなければもう少し苦労していたかもしれない。短い時間で何とかはなっただろうが、焦ったと思う。結局二つ目のIPでの登録は八分前ぐらいだった。つまり数分並べば一番にいたのだった。ランダムのシステムは頗るフェアーに作動している。そして二時間以上待った方も一番だった。こうなれば入口規制している分悠々とお買い物である。銀座三越10時1分のりだ。しかし中の壮観さは大分違った。

あれも欲しいこれも欲しいという一度座ってみたかった席も並んでいるが、既に二枚購入していることでもありつまらない再演でもあり、またこれだけ人気がないと心配になって適当な席を購入した。本来の申し込みはもう一つ上のいい席で籤に外れたのだが、より安くともそれほど変わらないギャラリーの最前席を購入した。一度「サウスポール」の初演時に最前列に座ったことがあるが、今回は大分真ん中寄りである。なんといっても最上階は音が良い。「パルシファル」の時に下階の端の方に座ったが横からの反射があってよくなかったので、それに比較してよいのは間違いない。更に今回の演出は上で歌わすようなので丁度良いのではなかろうか。因みに「ミサソレムニス」は第二バルコンを分け与えられたので、合唱団の歌詞がはっきり聞こえる筈だ。

あとは「オテロ」に出かける前にティケットを取りに行くだけだ。その時までにどれに行こうか行かないかを考えておけばよい。人気がないと心配になったのはキャストなのだが、指揮のキリル・ペトレンコは本拠地で休んだことがない。但しオールスターキャストなので初日はともかく、二日目、三日目は穴が開く可能性はある。カウフマンの休みもいたいが、カムぺは休まないと思う。コッホは半分ぐらいは休みだろう。グロイスボェックも一度も聞いたことがないかもしれないので聞いてみたい。二日行けば一通り何とかなると思うがどうだろう。

兎に角、私にとっては二度目の「フィデリオ」だが、先ずは徹底的に曲をお勉強したい。「フィデリオ」、「ミサソレムニス」そして第九と来れば、今年の七番に続いて、ペトレンコ指揮のベートーヴェンの可能性が明らかになる。その次は三番だから、これで先ずペトレンコのベートーヴェンは一息つくのでなかろうか。ツィクルスなどは考えていないのだから、あとは十年ほど掛けて一つづつだろう。その前にフィルハーモニカーが音響的に練られていく必要がある。



参照:
生誕250周年への準備 2018-11-28 | 暦
19世紀管弦楽の芸術 2018-09-04 | マスメディア批評
コメント (2)
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