Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

回復力吃驚とはならず

2020-01-16 | 雑感
歯医者に行った。若い女医さんに「びっくりの回復力」と言わせたかったがならなかった。「穴が大きかったからね」と言われた。それでも肝心の橋桁を掛ける奥歯も穴の大きさゆえの揺らぎだとされて異常なさそうでなにより。歯科衛生士さんに相談しようと思っていたが、口の嗽液を勧められた。就寝前には飴玉を摂らない様にと言われた。子供の頃この手のものを使ったことがあるが自分で購入するのは初めてで、全ては次のアポイントメントまでに回復させるためになんでもしようという気持ちだ。

二月初めで様子を見て、その場でゴーサインを出すか、もう少し時間を置くかという事になった。ハムブルクに出かける前には少し時間があるが、出来ればそれまでに仮のブリッジを入れたい。一月以上片側飛行は消化に影響してくる。そもそもこんな薬品で毎日口を濯いでいると病気になる。新製品も同じ価格で売っていたが、先ずは安売りで商品テスト合格のスタンダード商品を購入。兎も角今後二十年ほどのQOLが掛かっているとなると真剣になる。出来ることは何でもしたい。その意味からは老歯科医のから若返りしたのはリスクもあるが良かったかもしれない。

冬物セールの案内が来ていて為替レートが悪かったので更なる安売りを待っていた。上手く白のポプリンのシャツが50ポンドで出たので購入しておいた。ネット購入するようになってから初めての白シャツである。今までは殆ど安売りにならなかったからである。調べるとタンスに吊ってある洗濯屋から戻って来ていたシャツも黄色くなっていた。十年近く使っていないのだろう。もう一つ同じようなものが入ればそれを普段着に下ろせる。最近は安売りで入手できない白をあまり着なくなっているが、服やらタイによってはその方が使いやすいこともあるのも事実である。なんといっても葬式にはやはり最も使い易い。そして為替レートも年末の1.2に近いところから1.17まで落ちてきている。半年前の夏のセール時の1.06からすると一割増だが、50ポンドのシャツの一割は受け入れやすい。その他ソックス類をまとめ買いして、送料入れて100ポンド。つまり117ユーロではドイツではまともなものが買えないのでそれでよかろう。

燃料を満タンにした。距離からすればフランクフルト往復までは可能だが、バーデンバーデンは難しい。つまり週末に再び満タンにすると丁度良い。139セントは許容内である。軍事紛争とならなくて助かった。ピクニックが必要かどうかは分からないが、少なくとも天気がよさそうなのでゆっくりと写真を写されないように往復したい。特に帰りが危ないので、急かない様にしたいものだ。往路は「新世界から」などプログラムを聴いて行く。

久しぶりにシューベルトの最後のソナタを聴いた。アムランリサイタルのお勉強を兼ねてである。勿論アルフレード・ブレンデルの演奏でフィルップスへのアナログ録音だ。最後まで付き添ったので最後のツィクルスも聴いているどころか最後の演奏も聴いている。しかし馴染はその録音である。なるほど最後のものに比較するとソナタ形式の構造的な繋ぎなどに意思的なものが聴こえるが、それはそれでとても分かり易く、一体どうしてそうした繋ぎを聴かせるのかにこちらの興味が行く。要するに楽譜にある以上に、つまり提示部を繰り返さないなどの所謂演奏解釈をそこに窺えるように敢えてしている。こちらとしてはアムランにそうしたものを求めない限り、一体そこをどのように解決していくのだろうと興味が向かう。技術的に解決していくのは同じだが、その方法が異なるのではなかろうか。シューベルトの大ハ長調交響曲を昨年ドホナーニ指揮で聴けたのでその意味合いなどに更にとりやすくなっていて、身近に感ずる面も多く、とても幸せな状況にある。

「新世界から」から「アスラエル」交響曲への繋がりも留意したいところだが、とてもそれだけの時間的余裕が無い。しかし同じ鉄ちゃんとしての義理の親子関係はとても興味深い。グスタフ・マーラーも一日中電車に乗って街を回っていたようだが、明らかに蒸気機関に魅了されていたブルックナーなど皆乗り物のリズム感がベートーヴェンとは異なることはその音楽に顕著に表れている。



参照:
膿をスッキリ出した 2020-01-08 | 雑感
Brexit前の夏のバーゲン 2019-07-06 | 生活
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2019年「気候ヒステリー」

2020-01-15 | 文化一般
昨年のドイツでの最悪の言葉は「クリマヒステリー」と車中のニュースで聞いた。「気候ヒステリー」の事でティーンエイジャーの叫びだけでなくそれ相応の情景が思い浮かぶ。良いも悪いもその年を表す言葉となる。

東京からのオペラ劇場からの中継録音を初めて聞いた。私の知っているときは日本にはオペラ劇場はなく二国と呼ばれていた新劇場予定地の工業試験場を見に行ったことがあった。どこかに写真が残っているかもしれない。だから写真で見たことがある中の音響を初めて聴いた。可成りいい感じで鳴っていて、舞台の声も良く録れているが奈落の楽音がまた素晴らしい。思った通り昔からオペラを得意としていた名門東フィルだった。

慣れも技術的な裏付けもあってドイツの劇場と比較して可成り上部にランキングできそうだ。ネットでは楽団が変わることからこの東フィルの程度の高さについて一度も読んだことがなかったが、もし日本が世界に誇る楽団があるとしたらこの東フィルしかないのではないかと思うほど素晴らしい。東フィルがはいった新国からの力の入った公演はストリーミングにしたら可成りファンが増えると思う。少なくともN響は余程プログラムを厳選しないと誰も関心を持たないが、東フィルが入った新国からの音声中継やストリーミングは話題になるだろう。

シカゴ交響楽団演奏会の一曲目「オランダ人序曲」をティーレマン指揮バイロイトの2012年の実況録音で聴いた。とんでもなく酷い演奏である。どうしてこの人が元祖としてこんなヴァークナーを指揮しているのか分からない。指揮技術以前に正しく楽譜を読めていない。この人がピアノ譜を弾いてもただの下手な練習ピアニストでしかないことが分かる。センスとか芸術的信条以前の純粋に教育の低さでしかない。これならMIDIに指揮させた方が楽匠の音楽に迫れると思う。国内外でこの指揮者の演奏を評価する人にはこれを聴いて貰って猛省を促したい。

それ以上に驚いたのは、二曲目の画家マティス交響曲をMeTooガッティが指揮したもので、ベルリナーフィルハーモニカーが演奏している。これはもはや第二次想像かと思うほどの好き勝手な指揮をしていて、楽譜を全く読んでいない。ティーレマンは能力が無いとしても、このイタリア人指揮者は脳が無い。しかしこんな人が新ヴィーン学派や二十世紀の古典をプログラムに入れて、コンセルトヘボー管弦楽団が雇っていたというのはそれだけでスキャンダルだと思う。これならロート氏がやっても文句のつけようがないと思う。流石にムーティはここまで酷い指揮をしないことはそのヒンデミットを放送で聴いているので知っている。
ヒンデミット 画家マティス/ガッティ ベルリン・フィル


その直後にあまりにも無茶苦茶な読みなので自作自演の録音を見つけた。流石にこれはアーティキュレーションとフレージングをしっかり使い分けて動機をクッキリと描いており、指揮者としてもとっても立派な仕事を聴かせる。1955年のベルリナーフィルハーモニカーの演奏で、なるほどもしペトレンコがハルトマンなどとこれを演奏したらもっとっもっと正確に音化されるだろうと思う。それでもその楽譜の面とこの録音を聴けば如何に作曲家が入念に音符を書き込んでいるということが分かる筈だ。特にヴィオラの名手が弓の使い方だけではなく、それ以上に書き込んでいるという事が当然の如く分かる。
Hindemith: Mathis der Maler Symphony (1/4)


しかしこうして最初からプログラムを追ってくると、オランダ人の書法、ヒンデミットの書法、そしてドヴォルジャークの書法とこれは中々プログラミングとして通向きなものであるということが分かって来た。ムーティのそれは一般大衆を魅了するという事ではとても素晴らしいサウンドと音楽を提供するのだがビッグファイヴの名門として共通するのはその通を唸らせる奥深さではないか。

その点で明らかにペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの国内お披露目ツアーのプログラムは苦戦している。フランクフルトからお知らせがあって、五週間前の広報だ。散々な売れ行きで、最高の146ユーロのみならず、90ユーロまでどっさり余っている。恐らく今までのベルリナーフィルハーモニカーとして最低の売れ行きだと思う。しかし安いところは流石に残りがあるものの売れていて、その聴衆の質を感じる。最前列が売れていて二列目が売れていないなどもそれらの質を感じさせる。つまり、ラフマニノフやツィムマーマンが並ぶととっかかりが無いというようなプログラムに多くの人が躊躇したとなる。そこがシカゴなどのビッグファイヴの巧さとは異なるところだ。そしてムーティ指揮ほど高品質のエンタメを提供してくれる指揮者はいない。



参照:
素材になり易いもの 2020-01-14 | 雑感
年末年始のリストアップ 2019-12-18 | 暦
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素材になり易いもの

2020-01-14 | 雑感
アムランリサイタル前半のプログラムに眼を通した。中々手強い。昨年初めて聞いた時はリサイタルではなかったので数曲弾いただけだが、今回はずっしりと中味が詰まっている。何よりも休憩前のファインベルクの三番のソナタは興味が尽きない。作曲家自体もベートーヴェンの系譜にあって、あらにリストの流れを汲んでいるとされるが、先ずはこれでベートーヴェンイヤーの幕開けだ。それにしてもこの曲を立派に弾ける人はどれぐらいいるのだろう。その前のプロコフィエフのザッカーマンも面白いが、こちらはプロコフィエフの書法としてそれほど馴染みが無い訳ではない。しかし音資料を聴くと今日本訪問中で一部では人気のあるエリッソとかいう人などよりも遥かに上手に弾いている無名の人の録音もあって、如何にこの辺りの曲が「演奏解釈」の素材になり易いかというのがよく分かる。リスト然り、相違のばかりを聴かされていると冗談音楽にしか思えなくなる。そして一曲目のスクリャビンも名人アムランがどのように弾いて来るか、前回はシュパンを弾いたが、今回はどちらかというとリスト方向でメインレパートリーどころだ。三月には編曲集なので、放送で聴いたペトレンコとのマイトナー協奏曲など、大体このピアニストの全貌が分かることになるのではなかろうか。そして今回のこのファインベルクだけでも聴き逃せない。もう少し楽譜を見ておかないと駄目だ。

アムランへの期待はとても高くなってきた半面シカゴ交響楽団演奏会への期待は一向に膨らまない。精々ヒンデミットを綺麗に演奏するだけぐらいかなと思っているので、もう少し勉強しておきたい。ヴィーンでは新世界の代わりにプロコフエフの交響曲三番を後半に持ってきているので、少しは面白いかなと思うがムーティ指揮での期待は限られる。一曲目もオランダ人序曲とプロムナードコンサートの按配だ。そういうエンタメはムーティが得意とするところである。それでも楽譜にだけは目を通しておこう。

週末にはサンテミリオンのグランクリュを開けた。大きな開放的な白い砂岩の地下倉庫で寝かされていたワインである。1996年物なので期待したが、若干色落ちしていて、それでも開き方は充分ではなかった。そもそもメローとのミックスなのでメッドックの様には力強いワインとはならない。それでも長持ちと同時に早飲みも出来るという事で人気もあり価値もある。しかし、本当に長持ちするワインは限られるだろう。風光明媚なワイン所であり、またワインのロールスロイスと言われるポメロールもあり、果実風味豊かなワインが簡単に楽しめるので次の旅行の際もそこに滞在したいと思っている。

口の傷が癒えないうちにグランクリュのヴィンテージワインとは思ったが、健康の為になる事なら何でもしたい。コラーゲンたっぷりの煮豚もとって来た。生憎腎臓も頬も無かったので腹肉などが大きくなって価格の割には合わなくなったが、腹肉でもなんでも食して同時に豚骨ラーメンを摂ることにした。通常はジャガイモで栄養バランスが取れているのだが、怪我療養中である。頑張って栄養を摂ろう。ここでのブリッジ掛けが上手く行くかどうかは二十年先のQOLの大きな差になると思う。実際に歯が抜けているだけでもやはり消化の具合が大分違うように感じる。



参照;
ハイデルベルクの春へと 2019-12-10 | 生活
忘却とは忘れる事なり 2019-05-14 | 音


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準備を整えてイザ

2020-01-13 | マスメディア批評
頂上往復は若干の筋肉痛になった。下りで感じていたが、久しぶりに筋肉痛を感じた。半年ぶりなのと、日頃の筋肉を使えていないという事だろう。この辺りから再び身体を作って行かないと駄目だ。一方口の中の傷もまだ癒えない。月曜日のコラーゲンに期待しよう。

ユジャ・ワンのデュオリサイタルに備えている。先ずはショパンの二曲、ソナタト短調と序奏とポロネーズハ長調だ。前者は幾らかは馴染みがあるが、最近の録音を聴いてみた。ペルシュがピアノを弾いて知らないチェリストに合わせている。想定以上に悪かった。何故ああいう風に自分勝手に解釈してしまうのかよく分からない。殆どは楽譜通りに音楽を作れないので先入観念で読み込んでしまうのだろう。なぜこの女流ピアニストが日本で人気があったのが未だによく分からない。流石に私でももう少しましに楽譜から音楽を引き出せると思わせる。もう一つのポロネーズは馬の演奏もあり、やはり流石にこちらは音楽になっている。

続けて四回のコンサートがあるので、グーグル日程表に全ての情報を入力した。完全プログラム搭載だ。そこからホームページへのリンクも張った。今後計画を立てるときにはどんどん入れて行こうと思う。最終的にはプログラムの確認などとても重要だ。

交響楽、ピアノリサイタル、デュオリサイタル、カンタータとなるともう纏めておかないと、頭に入るまではとても混乱する。これぐらいの立て込み方でもとても大変なので、頻繁に出かける人はどのように把握しているのだろうと思う。確かに最も通った年は三日に一回のペースだったので大変だったが、当時は今ほどに準備もしておらず、楽曲も充分には理解していなかった。その時はそれで価値があったのかもしれないが、時間も無いが、二度と繰り返そうとは思わない。あの時に戻るならばもう少し深く準備をして数を減らすだろう。

土曜日にはミュンヘンのオパーフェストの第一次発券がある。今年は並びに出かける予定はないが、その前に出し物を確認して、予約の準備をしておきたい。カテゴリーVからVIIIまでの券が公演ごとに450枚ほど発売される。「ファルスタッフ」の場合、安いところは殆ど売り切れてしまい残るのは、IからIVとなる。カウフマンの「マイスタージンガー」や「死の街」と同様にドミンゴの「ナブッコ」を買い求める人も少なくないであろう。ヨンツェヴァのトスカ、ヤホのミミやキーンリーサイドのリゴレットなどのオペラ公演も並ぶ。その他ちょこちょこ機会があればと思うものも少なくない。

週末に流されたオペラのドキュメントフィルムを観た。登場人物はカウフマン、グレゴーリアン、ペチャワ、ファスベンダ―やパパーノなど豪華なのだが、彼ら彼女らにインタヴューして取材した映像や内容が素晴らしい。今まで観たこの手のもので、ペトレンコが出ていないだけで、最高の出来だ。主題は、声を如何に売って、それをどのように守って行くかのオペラ歌手のキャリアに基づくもので、コヴェントガーデン、チューリッヒ、ベルリン、キールやフランクフルトの舞台を中心に取材されている。カウフマンの言う通り、右も左も分からない若者がどのように仕事をコントロールしていくかである。それゆえに事情通である筈のアスミク・グレゴーリアンの舞台を恐れる表情がもの凄い。これを観るだけで感動してしまう。どうして彼女がフランクフルトのイオランタを歌った2018年にも本当に不安げな顔を見せているのか。彼女の歌と舞台を知っていると信じらない舞台裏の情景である。30歳で仕事を絞って故郷でオペラ団を作り、2016年の妊娠中のバリーコスキーの「オネーギン」公演中には、歌手であった実の父親を見舞いその死に接し、そして変わった。そして2018年の「サロメ」で一世を風靡して、我々が知るところとなった。なるほど今まで名前を聞いていなかった筈だ。



参照:
Oper – das knallharte Geschäft ZDF
メディア賞ならずショー 2019-10-18 | マスメディア批評
初アスミク・グリゴーリアン 2019-11-10 | 生活

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馬耳東風の音楽界首領

2020-01-12 | 雑感
腹立たしい。12月15日のフランクフルト行の写真代が120ユーロとなった。スイスを除けば今までで払う交通違反金の最高額だ。通常は時速100㎞を走っていて、橋の下での撮影後に直ぐに見たのはその通り100㎞制限だった。だから臨時ネズミ取りカメラで写されたとしても80㎞制限だと思っていた。それが60㎞だったのだ。自動車専用道路でその速度は工事現場か霧とか凍結とかの特別な状況しか知らない。誤差を除いて時速100㎞を出していたとされた。つまり今までの最高超過40㎞が計算されて、120ユーロと減点一である。

以前のシステムならば即免停だったが、今は一年以内に減点されていなければ免停にならない。一点目は2018年の夏だったので問題なく、この点が消えるのが今年の暮れである。もう来ないと思うが11月の帰りに光ったのが減点であったならば問題になる。その場合は異議申し立ての意思はある。減点自体は三点までならば気にしないでいいとされている。しかし常習者扱いされるのは遺憾だ。

今回の場合は明らかに警察の人件費への資金集めの様で腹立たしい。地元のワイン街道の女性警官の名前で写真付きの書状が来ている。「金だけ出せ、減点一で終わりだ」が言いたいのだろう。兎に角、ラインラントプファルツ州はSPDが牛耳っているので金だけとろうとする。本当に嘆かわしい。これは先ず認めて処理してしまうしかないだろう。後先に次のことは考えられない。

当日はギアーの故障の問題から落ち着いていなかったので、見落としていて、前の車が異常に遅かったので抜いたに過ぎなかった。見落としていたらこちらにも落ち度がある。最新のナヴィシステムでもこのネズミ捕りは避けられなかったのではないか。本当に腹立たしい。嘗て日本から来た人はやり得とか言っていたのは昔話で、今は金で脅すようにスイスの超高額違反金制度に近づいてきている。

ベートーヴェンの切手と限定1500枚の冊子を取りに行った。なるほどポストにも何処にも入らない大判の封筒に入れてあった。冊子の方の内容はどんな人かを説明しているに過ぎない。その意味ではあまり価値が無かった。しかしこれがあると一枚だけは綺麗に残る。他の多くは今後何十枚買うか分からないがどんどん使う。

頂上まで往復した。一時間以上何分掛かったかは見ていない。完走だけで充分だからだ。前回はパン屋が休みの8月初めだった。前回の炎症の事に触れている。今回は炎症でなくて抜歯したあとで身体の動き難さはあった。それでもなんとか完走した。これで日曜日はゆっくり休める。来週の音楽お勉強の時間が取れる。

ベルリンからの放送は、初日のそれとは大分異なっていた。三日目の中継はどうなるか。少なくともバレンボイムのピアノはどちらでもよい。夏のツアーには同行しないので、宿も予約していたのでベルリンへも行けたが、まさかバレンボイムの協奏曲演奏の為に出かける価値などはないと決断していた。そしてツアーに同行しないことを聴いてから喜んだ。まだ指揮者として活躍し始めたころに聴いたことがあるが、その時の印象とは大分悪くなっていた。新聞評も昨年のMeToo事件の結論に関わらず敢えてそこで取り上げていて、今回の演奏のペダル操作を称して霧にまく誤魔化しとしている。驚くばかりの聴衆の反応にも触れている。

ラディオ放送でもバレンボイムの願いで実現した共演という事で、この音楽監督がペトレンコの人気に頼ろうとしたのが知らされた ― 二人が名を連ねてカタリ-ナ・ヴァークナーに弾劾声明を出していた。音楽を聴く限り最早音符をしっかり弾き分けて演奏することが儘ならず、恐らく批評で細かに批判しても馬耳東風だと思う。良い事しか耳に入らず、批判めいたことには耳を貸さない。典型的な脳収縮である。それはその演奏でプロとして弾き分けなければいけないことに無頓着に指を動かし、新聞にあるようにペトレンコのロンドでの誘いにも知らぬふりをしたその演奏ぶりに現れていた。もう音楽家としては引退するべき人だと思った。

先日聴いた年長のドホナーニ氏と並んでバレンボイム氏は独音楽界のドンである。前者は90歳を越している、しかしこちらは80歳にも満たない。しかし、その態度はどちらがどちらか分からない。なるほど前者は父親がナチに処刑されてと多難な人生を歩んできたが、後者は最初から天才少年音楽家だった。要するに業界での経歴はよく似たものだろう。しかし元々の脳の質が大分異なっていたようだ。



参照:
修正される中継録音 2019-08-04 | 生活
もう一日なおして行こう 2020-01-11 | 雑感
カードを開放して貰う 2020-01-07 | 生活
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もう一日なおして行こう

2020-01-11 | 雑感
治癒日記である。昨晩は気持ちよく就寝できた。気温も上がって身体も解れた。一時口の中に以前のようなもわもわ感が広がった。恐らく炎症あとの化膿の老廃物が絞り出されてきたのだろう。夕食にはリースリングを飲んだが、今一つ口が冴えなかった。それでも以前と比較して良くはなっていた。傷は更に抱合糸が解けてくるが歯磨きで触れるようになってきた。感触がより正確に成って来た。食事は怪我をしない様にもう少し気を付けて摂りたい。

ブラシでマッサージする感じで、歯が抜けた分他の歯により多く時間が掛かられるので清掃には有利である。体調も積極性が出て来て大分良くなった。やはり昨日は興奮状態も無く大分落ち着いてきた。疼きはなくなって、痒みのようなものに近くなってきて、縫い目は瘡蓋化していくのだろう。抱合糸も次々に剥がれ落ちてくる。

週末は、先ずはベルリンからの生中継を金曜日、土曜日と観聴きする。始まっているワンの欧州ツアーとアムランリサイタルのプログラムのお勉強などを、アスラエル交響曲を聴く傍らに行う。初日は気が付かなかったがデンマークの放送局が生中継していていた。聴き落としていたのでオンデマンドをDLして資料とする。三日目にはDCHから中継される。その結果が悪ければ他の二日間のものと挟みかえられる可能性がある。しかし今回はCDプロダクションが企画されているので、三日間にリハーサルの全ての音源が材料に使われることだろう。勿論先二日間のモニターを参考に三日目には修正されて演奏される。上手く行けば三日目の録音に他の二日の材料を使って修正可能ならば最もいい録音になる筈だ。勿論対象はスーク集の「アスラエル交響曲」だけが対象なのでピアノ協奏曲は普通に演奏される。どうせ夏の本番のツアーにはバレンボイムは出て来ない。

トレーラーとして三日目のDCH本放送が始まる前のヴィデオは初日のもので、これも今のうちに観ておかないと場合によっては二度と陽の目をみない。しかし今回は三日間とも生中継となるので隠すことは難しいだろう。細かな指示も出しているようなので、楽器間のバランスなど最後まで指揮台でもやることが沢山あるに違いない。これらの曲に関して本格的な演奏を聴きたければルツェルンでの演奏会を待つしかないのである。そもそもルツェルンで同プログラムが取り上げられなければ、部屋も用意していたので三日間フィルハーモニーに通う予定でいた。

出来れば土曜日に朝駆けで頂上往復して来よう。一時間は超えて完走を目指すだけであるが、久しぶりなので疲れは出るかもしれない。抜糸までには時間もあり、来週前半は少しゆっくり出来るかもしれない。運動は出血とかの外部的な災いが無ければ傷を早く治すだろう。通常はジャガイモを摂取するところだが週末まで我慢する。もう一日柔らかい食事で我慢しよう。



参照:
痛痒さを感じた翌日 2020-01-10 | 生活
コラーゲン摂取にはしる 2020-01-09 | 雑感
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痛痒さを感じた翌日

2020-01-10 | 生活
抜歯したところが疼いた。体を動かし調子良く細切り肉を食してヴァイツェンビーアで流し込んで前日の栄養不足を補った。更に葡萄を頬張っているときに気が付いた縫い糸も安全のために一部切断した。兎に角にビールが美味かった。理由は酸味が気持ちよく感じられたからだ。自然な酸味で長く感じられなかったと思う。炎症から膿になって口内のPHに影響していたのではなかろうか。同じように焦げとか苦みがここ半年ほどは強く感じられていた。

それ程の影響があった疾病であるから、流石に抜歯して傷を縫って抱合されたからといってもその炎症部の空洞には何かが起こる筈だ。それが夜中になってアルコールが消えてくると徐々に違和感としてあった。丁度我慢してミュンヘンに通ったりしていた時のにもあった痛痒さをも思い出させ、上顎へと引きつり感も若干あった。就寝前に喉に変調があったので喉飴を舐めたのも影響したかもしれない。

歯ブラシも一度休んだのをしっかりと用心しながら掛けた。飴を舐めても歯が無くなっているというよりも飴が欠けているように感じる。長年それで暮らしてきているので、一日以上経って初めて歯が無い事を口中に感じるようになった。

オペラ、コンサートの日程表をデジタル化している。システムを作るまでに色々と調べたが、結局グーグルカレンダーを使わないと移植性が悪いことが分かった。本当はグーグルにメガデータ化されたくないので使いたくなかったが、お出かけ日程のようなものなのでいいかと思った。兎に角、PCで製作しないでタブレットでやろうと思うと時間も掛かる。だからPCのをタブレットに移して使う。

タイムツリーというのに打ち込んだデータがエクスポートできないので駄目だった。更にタブレットハウウエイのカレンダーを使うとそのまま北京にメガデータが移る。アメリカに移るかの相違だ。EUは対抗しようとしているがどうも後手後手にしかなっていない。そもそも個人情報を集められては困るのだ。

それでもメインアドレスのグーグルカウントならば、仮にその日程が第三者に分かると、用心に悪いと思ったので、サブカウントにこの日程を入れた。色々と目的に合わせて使い分けないと、一日の全てが誰かに見られてしまう。出来る限りネットでのアイデンティティーは別けておく方がよい。今更の如くそのことを感じた。

日程を纏めているときにHPを見た。二月のエルフィーでのベルリナーフィルハーモニカーの余り券が出ていた。各種出ていたようだが、正面の結構いい席も出ているが売れていない。やはり価格が高いのと訳の分からないような通向きのプログラムが影響しているようだ。出来るだけ物が分かる人がたくさん集まって欲しい。物見游山の聴衆が飛びつかないならそれもいいことだ。演奏会の質が高まるからだ。



参照:
高位な座席からの風景 2019-06-23 | 暦
ガッツリといきたい夜 2019-12-19 | 生活
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コラーゲン摂取にはしる

2020-01-09 | 雑感
一っ走りした。これがこの一二年で体調的に底だと思う。この後は回復とともにうなぎ上りだ。確かに走って足の振動が頭にくると上顎から耳に響く時があるが、先週までのじわじわ感はなくなった。心理的な面が大きいかもしれないが、悪くなる感じが全くなくなった。好転するのみだ。

抜歯の夜はニンニクラーメンを食して、走った後も豚骨ラーメンで済ませた。歯茎の縫い糸がほつれてきている。引っ張ったらいけない様に切ろうかとも思うが、食事以外の時は引っ張られることが少ないので大丈夫だろう。前回の親知らずの時も自分で抜糸してしまった。まだ今は早過ぎるが週明けぐらいに抜けてしまわないか。綺麗に自然に抜けて仕舞えば次回の抜糸の日の後の予後が早くなる。

その為にもコラーゲン満載の豚骨スープが大きな力を発する。平素からこれでラーメン一杯でお肌ツルツルになるので、爺さん婆さんがこれを争って買い求める顧客サーヴィスのような煮豚に付けてくれる無料のスープなのである。即効性なので明日には傷口が更に綺麗に成っている筈だ。出来れば週明けにももう一度取りに行って歯科女医さんを驚かしてやろうかと思う。三十路を超えた女性の瞠目を集めるだろう。

久しぶりにバーデンバーデン復活祭の発券状況をみた。一番の驚きはユース管弦楽団の運命交響曲演奏会の二階が開放されていたことだ。要するに60ユーロから40ユーロまでの価格高めの音楽会だったが、平土間は満席になったという事で開放になったのだ。これは結構嬉しい誤算ではないか。今まで最も集客率の悪かった最終日の月曜日のマティネーである。最初は高額席の正面前から売れて行って、安いところへと売れて行った。個人的には60ユーロは「フィデリオ」初日の席よりも高額なので次を狙ったが、決して安くはない。その証拠にベルリナーフィルハーモニカーをソキエフが指揮する演奏会は29ユーロの席がまだ残っている。ペトレンコ指揮のユース管弦楽団とソキエフ指揮のフィルハーモニカーの演奏会のどちらが価値があるのか判断になる。実際、私自身も連日の訪問なので夜は自宅に帰ってゆっくりさせて貰おうと思っている。



参照:
膿をスッキリ出した 2020-01-08 | 雑感
指揮芸術とはこれいかに 2019-01-08 | 音
真剣に音楽を分かち合う 2019-03-17 | 文化一般

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膿をスッキリ出した

2020-01-08 | 雑感
予定通り抜歯した。麻酔が完全に切れていないので何とも言えない。三時間経過ぐらいで痛み止めを飲んでおいた。突然痛みがやってくるのは嫌だ。止血の為に脱脂綿を噛んでいる。抜歯した後に傷跡が綺麗に回復することが次の目標だ。

想定外だったのは歯医者の後任が治療したことで、繋がれたことになった。若い奥さんなのでその腕はなんとも分からなかったが、少なくともインフォームは若い人だけに優れている。経験が無いところが問題になるかどうかだけで、恐らく手先は器用だろうと読んだ。一番気になるのは炎症から化膿に移っているところを綺麗に掃除してくれるかどうかだった。印象としては丁寧にやってくれたと思う。仕事もそれでも早い。ヴェテランとの違いはいつもの慣れでやってしまわない所だろうか。

先ず不安になったのは間違って他の歯を抜かないかだ。これはしっかりレントゲンを撮ってくれて、説明させたので先ずは取り違えは起こらない。注射だけが怖いねと言っていたが、寧ろ針に指し方などは巧かっただろう。但し、効き方が弱くて、奥歯を抜歯中にもう一度打たせた。麻酔が効かない方ではないが、奥歯を抜くのが一苦労だった。親知らずの時はめきめきと音がしたが、やはりそこは男の力でごりっと抜いた。少々あっちこっちしても良いが綺麗に抜いて貰いたかった。なんとかなったが、彼女も少し汗を掻いたと思う。

だから麻酔が切れた時が気になるのだ。そもそもその歯は四十年近く前におじさんに治療して貰ったものだ。銀行の専属歯医者になっていたので、銀行の治療室で直して貰った。副頭取かに挨拶したのを覚えている。大蔵省天下りの官僚だったと思う。その時に虫歯を掘って貰って更にメタル補強してあったのが折れていたのだ。今回根から抜いて、メタルフリーとなるだろうか。

縫うのも指が男より細いからだろう、無理して口を開けないでも上手く縫っていたと思う。前任者は雰囲気では口をふさぐ程度で若干荒い感じがしたがどうだろう。この辺りの拘り方は女性のそれを素直に信用したいところだ。男は必要なことしかやらない傾向がある。

しかし前夜に風呂に入って体調を整えたが風邪を引いて薬を飲むようなことでなくてよかった。前夜にはワインだけは頂きましたと申告しておいた。勿論お許しされた。痛みが明日朝までなければそれで新たな第一歩を踏み出せるか?来週抜歯で、二月の始めに綺麗に成っていたらブリッジを作るために奥歯を削る。奥なので面倒なようだが、指が細いの上手くやってくれるか?

兎に角前任者は夏までで引退するようなので、そこまでに先を計画できたのは良かった。今回の治療で上手く行けば今後も任せれる。二月中には完全に終わるが、仮のブリッジが入って仕舞えばあとは細かな調整だけである。負担が掛かる二本の歯も抜いたものと相似の関係なので不可もそれほど酷く掛からないので二十年やそこらは問題が出ないだろうという事だ。気にして質問したのは歯茎との関係で、それほど悪くはならないだろうという予測である。

という事で今晩は食事にも気を付けてヌードルを流し込むだけにしておこう。傷跡が綺麗に回復して、炎症を起こしていた部分が再び活力を取り戻すのが何よりも重要である。全身症状が二月までに改善されていくかどうか?

来週の遠出の演奏会通いなどが上手く行けば、二月のエルブフィルハーモニー行などが快適に過ごせる筈だ。集中力も上昇すると思う。眼鏡も作らなければいけないが、これはもう少し先に延ばしてみよう。ここ暫く寒気だけでなくて、味覚に影響していたので膿をスッキリ出せてよかった。



参照:
抜糸省いて最後の抜歯 2013-04-16 | 生活
高位な座席からの風景 2019-06-23 | 暦
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カードを開放して貰う

2020-01-07 | 生活
愈々抜歯である。決断してから客観的に観測できるようになっている。やはり駄目だ。味覚にも若干影響してきている。長らく問題の無かった洟もどうも気になって来たので、炎症に膿も僅かながらでも出来てきているのだろう。スッキリしたい。虫歯の親知らずを十年以上寝かしておいたことが災いした。

エンジンを掛けて車庫出しして再度動かそうとしたらバッテリー不足の警告が出た。先月15日以来の症状である。仕方が無いので、ギアーが変わらないまま近所を吹かして戻って来てから車庫入れする。前回はもう少し長く走って道端でエンジンを切ってから再稼働させた。

バッテリー自体は蓄電は出来ているようだが、どうも変則ギアーの電磁器が上手く切れないのだと想像する。だから切れたまま、入ったままになるのか。暫く電源を切って置いておくと普通に戻った。症状は異なるのだが十数年前に起きていて、それはエンジンが冷えないと再起動できないというものだった。異なるのはその時はセルモーターが全く動かない事だった。寒さが関係あるのか、バッテリーが関係あるのかはまだ定かではない。車を動かすときはいつも予定の時刻があって発進させるので上手く発進しないと茫然自失となる。

最近は一日中HiFiで音出ししない時がある。嘗ては考えられなかったが、益々その傾向になっている。一つは音楽お勉強となるとある程度集中して音に耳を傾けるので、BGMで鳴らすことが俄然減ったことがある。要するに音楽会などが立て続けにあると茫然と鳴らしている時間が無い。更にこれは年齢に関係するのかもしれないがティ-ンエイジャーのように音を鳴らしておかないと安心できないどころか、仕事によっては明らかに邪魔になるようになった。特に内容のあるもの読むときには消すことが増えている。昔はそこまで文章を読み込んでいなかったのかとも思う。

プロの演奏家でイヤフォーンで音楽を聴いている人もいるが、やはり音楽的才能かなとも思う。それもポップスを聴く人も少なくないので、あれは偉いなと思う。車で移動中は音を出しているが、こちらはそれなりに二つの運転と聴くという仕事を何とかこなしている。車の運転はそれ程頭を使わないからだろう。

木曜日からベルリンで定期公演が始まる。金曜日にラディオ放送、土曜日はDCH中継である。これは例年のように来シーズンの夏のオープニングツアーの二つ目のプログラムとなる。ザルツブルク、ルツェルンと最終的な名演奏が聴かれる手始めとなる。そのあとロンドンかどこかに出かけるのかどうかは知らない。DCHは生中継と他日の内容が差し替えられることがあるので生放送を観なければいけない。上手く行けば公演三日間ともを聴けることになる。

ベートーヴェンの記念切手を発注した。二日に発行されたという事で特別仕様限定数のあるカードなどは早めにと思って日曜日に発注した。しかしプッシュ機能のTANを押すのが遅くなってカードが使えなくなった。何度か試みたが駄目だ。カードの期限が変わったりで新たに申告するのも面倒だったが、一寸した誤りで閉鎖されてしまった。結局翌日になっても駄目だったのでフランクフルトに電話した。すると問診で直ぐに解除してくれた。まだプッシュ機能に慣れていないので有り得る誤りだ。それにしても発注したものがプラティナチケットの一時間後に売り切れのものでなくてよかった。何事も経験だ。それでも限定1500枚の特別カードが入手できるかどうかは分からない。通常の切手は10枚組を二枚購入したが、今後まだ数枚は購入するだろう。80セントはどんどんなくなって行ってしまう。



参照:
スピード違反の書状を待つ 2020-01-06 | 雑感
年内最終のお出かけ 2019-12-21 | 生活
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スピード違反の書状を待つ

2020-01-06 | 雑感
年明けにもスピード違反の書状は届かなかった。11月18日ミュンヘン帰りはもう来ないだろう。法的にはまだ時効にはならないのかもしれないが、写真を撮られたのはトラックだったかもしれない。そもそもこちらは減点されるなら反論をしようと思っていたのだ。

二度目の12月15日に関してはまだ分からない。それでも仮のネズミ取り機なので数時間後には撤収されてデーター分析されていた筈だ。一月ほど待ってみよう。兎に角、こちらも写された直後に速度100㎞表示を確認して、メーターも110㎞も出ていなかったので訳が分からない。誤差分7%引いて107㎞出していても99㎞と計算されて、もし80㎞制限でも超過19㎞にしかならない。つまり減点無しの30ユーロである。

どうも最近は自身の運転が野放図になったのではなくて、写真取りが厳しくなる傾向がある。嘗てはそれほど厳しくやっていたのは決まった街の周辺だったが今はどこでも同じような手法を取って来るような感じがする。

折からベルリンでアウトバーンの速度制限の話題がSPD筋からクリスマス中にも出されるぐらいなので、特にSPDの強い州は要注意である。しかしフランクフルターアルゲマイネ紙にはその議論の根拠の一つとなっている事故の被害に関して様々な研究結果を紹介している。実際には科学的な結論は出ていないらしいのだが、スピード制限を設けている区間の方が事故が多いとか、他国に比べてドイツは決して死亡率も高くないとかが載っている。一方、三割方死亡率が増えているとかの研究結果もあるのも事実だろう。個人的な印象としては矢張り込み方だと思う。空いていれば事故も起こらない。起きても死亡事故は逃れられる。その点、通常の国道が一番危ないとの結果は素直に感じられる。

新聞記事のグラフを見ると先ず気が付くのは流石にアウトバーンを自転車で走っていて死亡した人は少なくとも2018年度にはいなかった。歩行者が撥ねられるのは19人でそれなりにいる。事故で待っていた人などだろう。街の中でも180人もの車の運転手が死んでいるのは大都市の交差点などだろうか。歩行者の343人もやはりドイツのような市街地でも撥ねられる人が居るのだなと思う。やはり市街地は注意したい。

ドヴォルザークの新世界交響曲をお勉強し始めた。今まであまり詳しく見たことが無かったので色々と面白かった。そして参考資料に極東旅行に準備されていたフィラデルフィアでの中継録音を聴いた。日本でのヴィデオでは後半は裏メムバーに変わっていて、若手がソロとして乗っていた。細やかに音符を拾っていく姿勢は変わらずに、そこからリズム的な動機の受け渡しに配慮されていた。二楽章のイングリッシュホルンソロはそこからすると少し違っていたかなと感じた。しかし曲自体は上手に作られているだけでなく売れる要素が創作されているのもよく分かった。なるべくしてなった名曲である。

しかし、目的のムーティ指揮では動機が明確化されることは到底無いのではないか。スタイリッシュに歌われてしまうと予測する。シカゴの交響楽団もそのような音楽活動をしていると技術水準を辛うじて維持するだけで、LAフィルのように芸術的に劣化してしまうのである。たとえどんなに粋に美しくムーティが欧州サウンドを演出してもである。やはり現在のフィラデルフィア管弦楽団はとても程度が高い。

チャイコフスキーなどのロシア音楽に比較すれば馴染みがあった作曲家なのだが、今まではあまり見えなかった面が見えてくる。来週ベルリンで演奏されるアスラエル交響曲そして「新世界」上手く行けば、第七の雪辱戦で、可成り今までと異なる展望が開けるのではなかろうか。



参照:
ヴィール背中肉ステーキ 2019-12-16 | 料理
とても腰が低い歌姫 2019-11-19 | 女
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体力回復を期待する日々

2020-01-05 | 生活
月曜日から肉屋が再開だ。学校の休みも年末で終わっている。しばらくお休みになるかもしれない峠攻めも厳しかった。降りてくるときに抜歯する歯がむずむずした。もう数日の事である。抜いて直ぐには難しいかもしれないが、一昨年並に体力が戻って欲しい。パン屋が再開するまでに好転の兆候が見られるだろうか?兎に角、足腰が冷えて厳しい。

シラー劇場での「影の無い女」を聴いた。とても素晴らしかった。アナウンスされていたように改修中のベルリンのウンターデンリンデン劇場よりも小さな劇場で上演されたために特別に密な演奏がなされたという事だった。

それにしても十八番にしているメータの指揮は見事で、昨年新制作されたヴィーンでのティーレマンとホーネックの協調のそれのやろうとしていたことは全て叶っていて更に本格的にシュトラウスの音楽に迫っている。

シュトラウスの孫弟子位のメータの指揮した「ドン・キホーテ」のベルリンでのエアーチェック録音を見つけた ― 先日録音したアンコールでのベルリンのプレヴィン指揮も二晩の録音ともカセットが手元にあった。チェロを確かユダヤ系のボルヴィッツキーが弾いている1983年6月13日の演奏だ。ヴィオラはレーザであった。録音していながら当時はその価値をあまり考えていなかった。

2017年の公演で初めて皇后を歌ったニュールンドは大成功したらしい。そこからヴィーンの新演出へとつながったのだろう。しかしそこで歌っているテオリンも上手いが、やはり小さな劇場が得しているのだろう。

メトからの「ばらの騎士」のマルシャリンを歌うニュールンドの言葉があわあわになって仕舞ってどうしようもない。とても重宝されている歌手のようだがあれではドイツオペラ超一流の舞台で歌うことはあまりないと思う。ミュンヘンにもメータ音楽監督時代にデビューしているが、また今年ゼンタを歌うようだが、あの歌唱では批判される。

そもそもラトルがベルリナーフィルハーモニカーに「ばらの騎士」を仕付けたとされるが、やはりメトの座付楽団とは違って、復活祭上演では上ずったような音楽にはなっていなかった。勿論当時にハルテロスの伯爵夫人もニュールンドとは違って自ら音楽を作れるだけの力があった。ラトルのような頂点を極めて、そこそこに経験がある指揮者が間違った音楽をやらかすことは今後もあり得るのではなかろうか。奥さんは良いにしてもシュルツもあの指揮で歌うのは嫌だろうなと思う。要するにラトルがどこでオペラを指揮してもバーデンバーデンでの様には上手く行かないという事だ。

新年になってトリュフのミニザウマーゲンを食するにあたって、ハウスヴァインのガンツホルン2016年を開けた。2014年にするか躊躇したが、よいと分かっているものよりも落ち着いてきたところで三本の一本を開けた。結果からするとまだ若過ぎた。酸が若干弱いのであまり大きな期待はできない。但しまだ開き切っていないのでもう少し寝かしておきたい。その根拠は下位のフォムブントザントシュタインが愉しめて六本飲み干してしまっているからだ。

ズビン・メータが入院を終えてロスで指揮を再開した。なんと杖もついてい無いようで、余程カンフル注射でもしたのだろうか。抗がん剤治療などは体調を悪くすると思うが、合間に足腰を鍛えるリハヴィリでもしたのだろうか。心配していたがこれで先暫くは予定通り活動するだろう。最寄りでの公演のティケットを押さえておかないといけない。



参照:
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音
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年始のスタートダッシュ

2020-01-04 | ワイン
ここの所天候が下り坂である。陽射しが無く湿気があると気温は若干高めでも乾燥した日よりも寒い。歯を治療するまではどうも寒気がしていけない。来週から何か変わるか。

昨日は氷も解けて零度を上回ったが、余計に寒くなった。パン屋も土曜日が最後で二週間の休みに入る。つまり再開の20日までに終えてしまうことが沢山ある。今年は年末から色々と準備してきたつもりだが、それでもスタートダッシュで追い込まれる。

洗濯屋にはシャツを出したので来週水曜日には出来上がる。次のお出かけまでの間に充分に余裕がある。

パン屋が休むと来週の走る場所も考えて、結構厳しいことになりそうだ。先ずは抜歯をする前に身体を動かしておいて力みを無くして行こう。そのあとにどのようになるのか?前回の2016年6月親知らずの時は洟に回って結構堪えた筈だ。

ヒンデミット作曲画家マティスのお勉強を始めた。コムパクトには纏まっていると思うが、まだ分からないところが多い。音資料としてYouTubeでサヴァリッシュ指揮のフィラデルフィアでの録音を聴いた。

一番感じたのは、ヒンデミットで重要になる対位法的な動きも無頓着というよりも制御できていないままに演奏されていることだ。現在のネゼセガンではありえないが、ムーティと比較しても少し違うかもしれない。やはりこの指揮者はオペラハウスで修業した昔風の指揮者なのだと改めて気が付く。精緻な様に思えても、この人がピアノで弾けばやはり同じように鳴ると納得した。次の世代のブロムシュテットなどが大分現代風に見えるのはただ現役でやっているからだけではないだろう。よってヒンデミットの楽曲の面白さが充分に出ていなかった。

年末年始に開けたのはゼクトとリースリングだった。気が付いていなかったが二つとも同じ醸造所のものだった。リースリングの方はヘレンベルク2011年産で難しい年度だった。酸よりも重みがあるような過熟成気味が特徴で、中々開ける時期を決断できなかったワインである。青シーファー土壌のリースリングとしてもトップクラスなので熟成が期待できるからだ。それでも開けてみた。土壌特有のとろみ感もあったが、まだまだこなれていなかった。胡椒風味で、酸ももう一つで、辛みの方が目立った。その点では惜しくはないかと思った。



参照:
2018年産最初の試飲会 2019-05-05 | 試飲百景
最後のグレーフェンベルク 2016-02-21 | ワイン
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壁を乗り越えて進もう

2020-01-03 | 文化一般
オペラ演出家ハリー・クッパーの訃報記事が休み明けに載っている。年末にベルリンで亡くなったようで放送等でもニュースになっていた。その演出目録を見ると舞台を生で経験したのはミュンヘンでの「マクベス夫人」だけのようだ。新聞評にあるようにベルリンのコーミシェオパーの仕事がオペラ劇場の音楽劇場化へと壁を越えて西側にも影響したとある。

そして、その演出自体は同時代のコンヴィチニー演出などとは異なって、観客に三省させる切っ掛けを作る演出とある。実際にミュンヘンでのそれは批評では必ずしも良くはなかったが、基本的にはより円熟しただけでその演出の基本姿勢は変わらなかった。但し書き忘れてはいけないのは、この演出家はあくまでも感覚の人であったと思う事である。

それ故にショスタコーヴィッチの二幕の結婚式シーンが最も印象に強く残った。舞台もなぜか工場のようなところなのだが、上の渡り梯子で踊る音楽師たちの背景には空が広がり、三幕では雲勝ちになるその天への視線は理屈ではなく、演出家が活きたソ連の空を思い浮かべさせた。本人は78年には西側へと旅行が許されていたようだが、まさに大地を行けばその下にはどこかで壁にぶつかるような井戸の中の蛙感を覚える。

つまり新聞評にもあるように、彼の演出では今日の窓からその歴史の時を覗き込もうとはしない。その時のその風景をそのまま描くとしてもそれほど間違いではなかろうか。

先月中旬にショスタコーヴィッチの11番交響曲を聴いて、チャイコフスキーとの関連にも留意するようになって、この最も先鋭へと進んでいた時代の作風にも、まさしくその越えて行く彼方への視線が感じられる。

この年末年始の音楽中継は、毎年同じ様乍そのプログラムからE-とU-Musikつまり芸術音楽と娯楽音楽の境界線を見極める契機となった。それをクルト・ヴァイルの言葉を引用してバーンスタインは、「音楽には良い音楽と悪い音楽の二種類しか無い」と、裏側から語ったに過ぎない。特にキリル・ペトレンコ指揮のプログラミングとその演奏がその確かな視点を与えてくれたのだが、ライプチッヒでの第九に始まりドレスデンでの「微笑みの国」そしてヴィーンでのノイヤースコンツェルトへとその視線が注がれることになった。

先ずはMeToo指揮者ガッティの第九があまりにも酷かった。滑稽なアーティキュレーションとそれに輪を掛けたリズム上の癖が稀なるベートーヴェンとしていた。最後の行進曲まであまりにも品が無かった。アムステルダムのコンセルトヘボーはヤンソンス時代で壊れた弦合奏をシャイー時のようにもどそうとしてのトレーナー委嘱だったのかもしれないが、名門ゲヴァントハウス管弦楽団がこの指揮者を使う理由が全く理解できなかった。

なるほどミュンヘンのフィデリオでの話しや音を聴き、今回も一楽章でのサウンドへの拘りが、四楽章でのイタリア風レティタティーヴへの拘りと、これまた感覚的な判断で指揮をしていることがよく分かる。そのような指揮者に第九を任せた意味は全く以って不明だった。歌手陣も引退のゲルネを除いて降りてしまったので代わりの程度も低かった。

この指揮者の全く知恵の無い様な古臭いプログラミングを見ていたので、MeToo事件前から全く興味が無く予定されていた復活祭の「オテロ」も一切買っていなかった。やはり、そのプログラミング感覚で指揮者の音楽性などは分かるものなのである。

ゼムパーオパーのティーレマンの指揮には捧腹絶倒だ。話題のクレンティスの真似をして指揮台から降りて、指揮台に足を掛けて指揮していたが、そもそも序曲でのあの重々しさとマニエーレンでその不器用さ以上に無粋な頭の悪さが明らかになった。一体レハールの音楽で思わせたっぷりのお涙頂戴の音楽をやるものだから、アンドレ・リューの指揮と変わらなくなってしまっている。これほど単刀直入なレハールの音楽で何かをやろうとするのは典型的に二流の小屋の仕事ぶりである。ベルリンのコーミッシェオパーでのコンヴィチニー演出でのペトレンコ指揮のヴィデオでの音楽と比べると何が安物の音楽で何が上等の音楽かの違いが誰にでも実感できるだろう。



参照:
電光石火の笑いの意味 2016-12-13 | 女
ミュージカル指揮の意味 2019-01-27 | マスメディア批評
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啓蒙的教育的な配慮

2020-01-02 | 文化一般
ベルリナーフィルハーモニカーのジルフェスターコンツェルトを観聴きした。全体の印象としては無難に纏めていて、音楽的な質を落とさずに適当に目的にも適っていた。キリル・ペトレンコの基本姿勢は変わらず、機会に関わらず真面目な姿勢は変わらない。管弦楽団もしっかりと練習させられたようだが、まだまだ難しいところが見受けられた。やればやるほど更に難しいところが出てくる。最終的にはその楽譜がどこまでのものを求めているかの芸術的な判断になる。

「アイゴットリズム」なども見事な演奏をしていて、管弦楽的にとても上質だ。殆どの曲は昨年初めにユース楽団とそして夏にオープンエアーでミュンヘンで演奏したものだ。管弦楽の技術が比較にならないので限が無いのだが、恐らく一つの基準はビッグファイヴが同様の曲を演奏したらという比較になるだろう。

二曲目のダマロウの歌で気が付いたのは、この歌手は余り英語が上手くなかったなということで、ドイツ語であそこまで攻めてきても、こうした楽譜化にも限界のある曲であると英語のニュアンスが付けれないと抜け落ちたものが多い。声や技術は異なってもミュンヘンでのゴルダ・シュルツの方がニュアンスに溢れていた。勿論管弦楽団も声に合わせることでは座付とは比較にならない。そのシュルツは、数時間後のメトからの中継でインタヴューに答えていた。当地で「ばらの騎士」を歌っているからだ。

「ウエストサイドストーリー」などのバーンスタイン曲でのペトレンコの指揮はとても大切だと思う。自作自演の録音と比較してみるとよく分かるのだが、その筆の運びなどはペトレンコ指揮の方が遥かによく分かる。ミュージカルに関わらずバーンスタイン作曲の歴史的な今後の評価を考える時の基準になると思われる。本人の指揮では感覚的な内容ばかりが強調され過ぎていた。

どうもショービズの高揚感が無いという意見もちらほらするのだが、良く聴くととても高度なことをしていて、殆ど制作録音のような塩梅になっている。録音しておいて何回も流すと気が付くことが大変多いだろう。作曲家が次にそこに書き込んでいく意思というか必然性が最も興味のあるところなので、その意思つまり音楽の内容が手に取るように分かることがとても重要なのだ。そもそもこうしたヒットソングにその価値とか何とか云っても始まらないのである、それよりもなぜそのように作曲されて、なぜ成功したかということの方が遥かに重要な表現内容なのである。つまり無意味な音も沢山書かれている事情というのもよく分かるのである。

なぜそこまで気が付くかというと、昨年逝去したアンドレ・プレヴィンのベルリンでの演奏会のアーカイヴを先週聴いたからである。子供の頃に昔のフィルハーモニーで聴いたフルトヴェングラーの演奏を聴いた為に高熱を出したゆえか、アメリカに渡ってシュービズの世界で生きたアレンジャーだったが、「映画の世界では拍毎に金が貰えるので八分音符で出来るだけ多くの拍節にした」とかに通じる音楽を後も指揮者としてやっていた。ロスでのシェーンベルクとのテニスの話しやその管弦楽曲の指揮録音もあった。丁度反対側からのその演奏指揮であった。

プログラム構成は啓蒙的教育的な配慮に満ち溢れていて、ここでその必然性につまりリタラシーに目覚めて、今後通常の定期演奏会にも足を運んでくれることを願って構成されている面もある。ペトレンコのプログラミングは芸術的、経済的に考え尽くされているのみならず、系統的な構成となっている。ベルリンの会場には期待する顧客層としてアンゲラ・メルケル首相が一人で訪れていた。夏のバイロイトでも一人で、旦那は体調が悪いのではとかあったが、確かに一人だった。

年末のミュンヘンからのアブラームセン作曲「ザスノークイーン」を待って、オペラ賞の投票をしておいた。初演は当然の事、そこで変わったのは新人に歌手にラッチェル・ウィルソンを書き加えておいた。さて幾つが賞を取るだろうか?



参照:
ネットパーティー予定表 2020-01-01 | 暦
貧相なエンタメを嘆く 2019-01-03 | マスメディア批評
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