Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

大規模催し物の評価と対策

2020-04-16 | 文化一般
水曜日の会合結果が発表された。先ずは関心事の音楽会関係を纏めておく。大規模催し物は8月31日まで禁止になった。これはバイエルンが固執したようだがゾーダー首相の真意はサッカー団体への押さえつけにあるように思えた。もう一つはビーヤフェストなどを止めてしまうことだろう。だから音楽会などは眼中になかったようだ。それもそのような大規模催し物は薬やワクチンが完成されない限りとしたから途轍もない圧力だ。政治家としては旨みがあるに違いない。そして、何が大規模催し物にあたるかは州ごとに異なるとしているので、例えばベルリンのフィルハーモニカーのオープニングコンサートなどは処置を取れば開催は不可能ではないと思われた。反対にオペラの場合は、舞台上や舞台裏が半数にした会場よりも接触が多過ぎると思う。いずれにしても芸術音楽の催し物に関しては若干議論の余地がある印象を得た。

ロベルト・コッホ研究所の催し物への見解を読んだ。そしてその催し物を細かく規定しているのを知った。勿論それはポップスコンサートとか見本市とかは書いていないが、大規模催し物で最悪なのはオクトーバーフェストのように、主催者が参加者を管理できない、個人をトレースできない、ダンスのように参加者同士の接触がある、大群衆が密に集まるということで、これはワクチン開発まで取り止めなのははっきりする。野外に対して室内なのが大規模見本市で、これもトレースできないのが大きい。そしてもう一つの要素、つまり危険地域からの訪問者を締めだせない性質がある。

ここまでが例えばルクセムブルクなどがコンサートを開くための条件としていたことで、例えば三月にバーデンヴュルテムベルクやグランエスなどからの訪問はお断りだった。しかし4月10日にその根拠となるコッホ研究所はリストを止めた。理由は数字が信用できないのと水曜日の発表で引き続き入国には二週間の隔離となっているから免疫学的に不要という。日本は入らず仕舞いだった。要するに演奏会を再開するとしてもこの条件は無くなるだろう。

換気は空調の能力を上げて、三月の場合は少し冷えると書いてあった。音響的にはよくなるので着込めばいい。マスクが問題になるが、聴衆と弦楽奏者以外はつけれないのは問題だ。キリル・ペトレンコは黒いマスクをすれば髭と差異が無い。管楽器奏者の音よけの透明グラスを左右つければ良いかもしれない。客席は間を空けて座る更に一列毎空ければマスクなど要らない。テレコテレコに入れればある程度の距離は取れる。つまり2000人の会場に500人から1000人までとなる。販売価格は四倍、更にU30で差別化すれば、大分市場は小さくなる。その他の人にはネット中継だろう。

これは連邦共和国内務省のサイトにコッホ研究所の見解として出ているのだから、これに沿うような計画を出して地元の当局と合意できるならば開催が可能となる。明らかな大規模催し物との差異をつけることは容易である。但しオペラ上演でも小編成の管弦楽と、離れたロバート・ウイルソン演出などなら全く問題にならないだろう。

しかし何といっても期待されるのはピアノを中心とした独奏会で、そこにデュオなどの室内楽演奏会、数人が距離を置いて演奏可能な合奏など舞台の上も会場も小人数の演奏会はブームになるのではないか。ラインガウの「鱒」を筆頭に大変期待しているが、ラインガウの音楽祭の方はまだ最終的に詳細を得ていないとしている。要はやる気があるかどうかだろう。

健康に自信のない人は払い戻しするも3月に出ていた、更に追加で料金を取るとなるとこれだけで三分の一程はいなくなる。追加料金の額にもよるが、入場者半分に絞れば可能な演奏会も間違いなくある。ピアノリサイタルを二回逃してしまったので、近くでやってくれると嬉しい。

ベルリナーフィルハーモニカーの五月のツアーは殆どキャンセルされた。イスラエル旅行とそのヨーロッパコンサートも無いだろう。さてどうなるか?



参照:
Empfehlungen des Robert Koch Instituts (RKI) zur Bewertung von Großveranstaltungen, Bundesministerium des Innern, für Bau und Heimat, 2020
政治的パフォーマンス 2020-03-24 | 歴史・時事
想像する本物のパトロン 2020-03-16 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拍手される者はただ働き!

2020-04-15 | 歴史・時事
ドイツの専門学会の文章が回って来た。ざっと見て面白かった。日付は書いていないが、恐らく水曜日の今後の決定する時期に合わせて配布されたものだ。とても興味深いのはICUベット増設に対して五万ユーロの支払いでは足りないということだ。勿論感染病専門学会ではないので、それに合わせて出来るだけのことをするという事が書かれている。

そして日常に医療業務への制限が日常的な混雑状態に拍車をかけて、医師の判断で優先順序を決めたりと、又外来対応が不可能なので認可された電話診察やネット診察もそれほど容易なことではないとある。

そして更に興味深いのは、既に報道等で発表されていたような事故搬送だけでなく、急性の心臓麻痺や内臓の突発の搬送が激減したというものである。やはり家でゆっくりしているのが功を奏しただろうかと書いてあるが、それならば段階的な平常化で再び急患が増えることになる。

ALS弁護士トライヤー知事の言うように分断化を避けるために危険グループにより制限を掛けるということはしないとあったが、もし動かさないことで成果が出るならば上手に調整していけないのだろうか。勿論高齢者が動かないと他の機能が落ちるだろう。高齢指揮者などは多くが引退だと思うが、急患よりもボケが進んでしまうだろう。

更にこうした緊急事態に備えるという社会的使命を超えて、今後も公的病院以外の病院経営を順調に進めて貰いたいという政治的な意図が見えるとしている。恐らく第二第三波を見据えてということになるだろう。

そしてその文章の終わりには、今方々で拍手を受けている医療関係者は、ここ数週間はただ働きであるということで、それは医療の崩壊ではないかと結んでいる。

車中の放送が水曜日の会議への様々な声を伝える中、気になったのはツーリズムからの声で、このままなら倒産が相次ぐというものだった。車を停めて沢沿いを往復して、閉鎖の写真を撮っておいた。昨年のそれとは大違いだったが、一体何時までこの状況が続くのだろうかと思う。

先週からの風邪ひき状態が続いて、新たに気が付いたのは神経系の障害だ。コロナの特徴として武漢で出されたスタディーの中に書いてある事が証明される。どのように表現したらいいだろうか?重心の問題というよりも高熱でもないのにフラフラする感じにも近く、しゃっきりしないのだ。

ドイツのTV局RTLのサイトにはリストアップされている。しかしそこでは再感染は否定されていて、治ったかと思ったが、実は治っていないのだとしている。いづれにしても三回目の感染の感じは以前のそれとは少し異なる。



参照:
二年越しの重点課題 2020-04-06 | 文化一般
復活祭のヤマへと差掛る 2020-04-03 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラヴィオリからマウルタッシェ

2020-04-14 | 雑感
歯医者に出かけた。ブリッジを固定する為だ。三週間前の時は私が断った。仮ブリッジでつけていて、歯茎の調子が悪かったからで、あのままの症状なセラミックでつけたものでも最初から嫌な思いをするからだった。歯医者にとっては予定外だったようだが、仮つけするように直ぐに機転を効かした。話しを聞いていると母親が歯科衛生士の様で何かその辺りは分かっているなと思った。

そして二週間後にこちらの体調が悪く、今回も彼女に語ったように三回目の感染を疑われて、一週間延ばした。そして三週間後だった。歯茎の傷は癒えたが、冷たい水が沁みるなど、又外側が腫れてあたる等も気になる点があったので、その点を確認して貰った。

状況は良いがもう二週間だけ伸ばそうとなった。セラミックの支払いもあることでこちらもほぼ観念していたが、そこまで延ばせばもう大丈夫だろうと思う。外側は骨が張っているので事後気になるようならば、歯茎を切って骨を削るという事だった。恐らく状況がよくなれば気にならないと思う。

しかし、他の衛生士がそれ程目立たないのに一人だけ髪を爆発させていて、あまり自信が無かったのかと思った。私がせっせとコロナを持ち込んだものだから愈々罹ったのだろうか。どうせ年寄りの患者は他所に変わった人が多いだろうから問題はないだろう。私の三回感染と変異の話しを聞いていれば何をすればいいかは歯医者でも分かるだろう。少なくとも治療椅子は私が出るや否や消毒しに来ていた。

変異と言えば、やはり今回の喉の痛みなどは日和見感染風に出てきていて、その分耳鼻咽喉の乾きとは別に若干痰が絡む。これは空咳なのだが若干湿り気がある感じで、肺癌風ではない。個人的な印象では何回も感染するとなるとコロナの素性も変わってきているのではないかと思う。最初の高熱がシナ経由の直輸入品とすれば、二度目はイタリア経由のライセンス生産イタリア産だったろう。最初を餃子とすれば、二度目はラヴィオリだ。三度目がドイツ回りとするとさしずめマウルタッシェという事か。

ヴァレンシアでのズビン・メータ指揮の「指輪」を流している。指揮も管弦楽も悪くはないと思うが如何せん音が軽い。メータの芸術は管弦楽団との相性が重要だと思うが、この音の軽さだけは致し方が無い様だ。作曲家によっても異なるのは当然だろうが、幾ら直そうと思っても限界があるのだろう。イントネーションなどには大分配慮しているのだろうが、モンテカルロなどよりも遥かの上手に演奏していいるので余計に違和感が生じる。



参照:
似て非なる地方の名物 2008-02-16 | 料理
公的資金の支援なんて 2020-04-09 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

積極的な衛生処置へと

2020-04-13 | 
復活祭初日の深夜「タンホイザー」を観た。まさしく復活という感じで、居眠りしながらも25時まで観ていた。そして音が今までになく素晴らしかった。理由は分からないが録画したその音質も冴えていた。殆ど生に近い原音再生だ。最近は動画コピーの音声を96kHzにアップサムプリングしてフラックにしているのも違いが大きい。それでも動画の大きさは三幕共で9GBに至らない。前回の再放送の時にはネットが遅かったので音声だけを収録していたが、今回のものでそれも廃棄できるかも知れない。

そもそも映像自体はMP4としてARTEのものも劇場中継のオンデマンドも両方あるので、生中継版とTV放送版と両方が揃っている。今回観ていて画像を暗くして、要らぬ肌感などよりも芸術性にも気付いたが、下半身のビキニかTバーかの差までは分からなかった。但し演出上意味のある背後のヴァギナの奥の穴の中はよく映っていた。同時にペトレンコを捉えるところも長くあって決して悪くはなかった。劇場で観ていても焦点が定まらず散漫として落ち着かないところもある演出だけにカメラ切り替え編集が良かった。しかし生中継版つまりPVに映されたものの方が劇場での感覚に近い。

それにしても見事な演奏で、間違いなくタンホイザー演奏史上の金字塔だと思った。歌手の細かいところ以上に様々な版をコピーアンドペーストした楽譜からここまでの音楽を引き出したなと感心する。そしてカステルッチの演出コンセプトにも矛盾していない。色気もあり構成の中での細やかな音楽的表情が悉く音化されている。こういうのを聴くとやはりペトレンコのヴァークナー解釈は本物だと思わせる。「パルジファル」には不満があったが、この曲に関しては今後ともペトレンコ自身がこの水準での指揮はもう為せないのではないかと思う。それだけ座付管弦楽団が見事で、この演奏はベルリンのフィルハーモニカーでは無理だ。要するに壮年期のペトレンコの芸術として歴史にも残るものだろう。

その午後にはペトレンコ監督指揮の第一作目の「影の無い女」を流していたが、これの再演を指してペトレンコ監督とはどうだったかを語る証拠としていた記事を読んだ事があったが、確かに2015年の再演の方が良かったのかもしれない。少なくとも2014年の再演はそこまでは至ってなかった。

さてこの「タンホイザー」制作は、正直最初のセミヌードで序曲などでも注意力散漫になったが、最終的には合唱も素晴らしく、最後まで拍手を止められなかった。ペトレンコの表情も良く覚えている思い出深い公演だった。それだけに最初からじっくり聴き直すのも中々叶わなかった。そして今やっと客観的に評価できるようになった。この映像の晩の公演も牧童の声のボノワまでとても素晴らしく、初日よりも遥かに上手にハルテロスも歌い切っている。

第一祭日の晩にトライヤー知事がARDに登場した様だ。水曜日の話し合いの為の立ち位置を確認されて、今までの誇るべき市民の規律と一方未知の所のあるコロナへの警戒を以て、一歩一歩と平常化を進めていく。その場合に変わらぬのは積極的衛生であり、社会的距離であり、マスクの意義も議論されようとしている。その前の呼びかけで手もとにあれば使うようにと話していたのでどちらかというと積極的だ。

そしてSWRでワイン街道のランダウの葬儀屋の話しを観ると、まともなマスクすらないようだ。消防やこれらの公共の仕事、そして食品関係に先ず高性能のマスクを渡すべきで、素人が使うべきではない。しかし火葬場も葬儀屋も需要に備えているというので仕事に関しては大丈夫の様である。

トライヤー知事の話しには小売業と学校などの正常化が出て来た。また地域差があるので共通の枠組みの中で実際に相応しいようにも正しい。例えばマスクの話しにしても先日路上電車に乗っていた人が「マスクをしていない」と罰金を取られるという詐欺事件が起きていたが、日常生活には殆ど意味の無いマスクでも必要なところに行き渡らないのが最も悪なのだ。

そうしたことを含めて重症化するのは老人だけでなく問題のある若者もいるのだから分断化はしてはいけないという自らALSの弁護士らしい発言が出て、これには注目したい。矢張り19日から二週間は様子見が続くだろうか?いづれにしてもメーデーを上手に使って、その翌々日に次の手を打つぐらいがいいだろう。



参照:
決して一人にはしません! 2020-03-14 | 女
行ったり来たりの話し 2020-04-12 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

行ったり来たりの話し

2020-04-12 | マスメディア批評
陽性者数が落ち着いてきた。現時点で二倍になるのが17.5日で、これが21日になれば、三週間で退院して行くので、ベット数は伸びないことになる。つまり医療崩壊という事では一段落着く。最初は五月中旬とされていたヤマだが、来週にでも陽性者増加率が21日に至れば、新たなコンセプトが検討されるだろう。

それに関してはシュピーゲル誌やロイター通信が水曜日頃に出した内務省の文章というのがある。それによるとマスクを配るとか集団免疫での日常生活への復帰とか言う無いようで、その核にはヘルムホルツ研究所の抗体陽性パスの話しが載っている。その話の続きとしてボン大学のハインスベルクでのスタディーが発表されて、直ぐに厳しくその信憑性が疑義された。

その内務省書面の内容は内務省のものではないと否定されたが、様々な草案がでたのは間違いない。ドイツのマスメディアは役割分担をしているが、左派の「シュピーゲル誌」がと思う人はその基盤にはSPDがあり、労働組合は操業していないとその価値が無くなる事情を考えないからだ。要するに産業組合マガジンである。意外に日本の朝日新聞が提携している南ドイツ新聞がその内容に批判的修正記事を出しているのが面白い。

SPDの執行部であるトライヤー知事がその文章とされる内容を受けて、手元にマスクがあればとか徐々に商店を開けていく段階は次に訪れるとしているのが、状況をよく示している。勿論シュプレンガ―出版のビルト新聞はメルケル政策批判を一面見出しとしていた。如何にロールプレーがそこで為されているかがよく見える。議論を戦わしているように見えても所詮は保守的地盤の土俵でプロレスを演じているに過ぎないということだ。要するに質が低い。

そもそもコロナはそんな簡単に抗体が完成しないようだ。だからどのようにボン大学のシュレーク教授が現地で抗体検査をしたのが、それが本当にコロナの抗体なのかが疑われている。抗体認証のアイデア研究中であるのは既知の事実であった。

兎に角週明けの水曜日には始まりの時同様に各知事がTV会談を行って今後の流れが決まる。ロイター通信の日本語ヴィデオが三日遅れで急に流れてフェークニュースとなったのである。そもそもマスクに関してはコッホ研究所は立場を変えておらず、問題になるのは公共交通機関乗車時であろう。その他のスーパーなどは初めからしていて当然だった。

キャンセルされた演奏会の払い戻し三段目である。二つのハイデルベルガーフリューリングのものに続いてメータ指揮ヴィナーフィルハーモニカーの演奏会である。メータ指揮を最後に聴く機会だったかと思うと痛恨だ。寄付やヴァウチャーなどの可能性もあるが続くコンサートもあるのでどんどん返金して貰う。新シーズンの予定が出て、クリーヴランドぐらいが入っていればヴァウチャーでもよいが、年内有効では限界がある。先ずは50ユーロである。ルクセムブルクのシステムは、向こうから演奏会毎にヴァウチャーがメールで届く。そこに返信用のPDFのリンクもあって、それをDLして必要事項を書き入れれば、クレディットカードに返金されるようだ。同時にヴァウチャーを送れば正確に返金作業が進むと思う。方法はとても合理的だ。ただ演奏会毎に申し込むのでそれだけ分の書き込みをする必要がある。

今晩は22時から2017年の日本公演でも上演された「タンホイザー」の放送がある。ミュンヘンのオパーフェストで生中継されて、更に2018年にもTV中継されたようで記録は撮ってある。生中継と放送ものではカメラのカットが異なったりしていて二種類が存在している。今回の放送はTV中継用の版に違いない。久しぶりにじっくり観賞したいと思う。その後にペトレンコ指揮で「パルジファル」も制作されたが、演出を合わせて総合的な完成度はこちらの方が高い。来年は「トリスタン」も控えているが、ペトレンコ指揮のオペラとして五本の指に入る制作だったと思う。



参照:
可能性の為の検査機器 2020-03-29 | 雑感
ホタテの道の金の石塁 2017-08-21 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ聖土曜日の並び方

2020-04-11 | 
日本で有用かどうかは分からないが纏めてみよう。なぜならばドイツは比較的自由度がある中での接触規制をしていて、そしてその結果が出ているからだ。どこかに指導方針があってマニュアル化しているというよりも、各団体やその現場でのフィードバックなども活かされている気がする。所謂「改善」の合理的精神が活きている。

今後も改善は進むかもしれないが、出来るところから直ぐやるという事が基本コンセプトにあったと思う。そこからすると気が付いた進展を徐々にリストアップする。

1.小売店で入場数制限が始まった。同時に戸口を開け放つようになった。同時にカウンターとの間にものを置いた。
2.スーパーの床などに線が引かれ、先ずはレジでの並びに距離が置かれた。同時にレジが手袋を嵌めだした。
3.スーパー、小売店でレジと客の間に防護グラスが設置された。
4.肉屋でマスクを着用するようになった。
5.スーパーや八百屋で使い捨て手袋が置かれるようになった。
6.スーパーの駐車場が縮小され、買い物トレーラー無しには入場が不可能となった。
7.八百屋で入り口と出口が別けられるようになった。
8.スーパーの入場制限が行われて、店内に一方通行の矢印が引かれるようになった。
9.州知事がヴィデオの呼びかけで手元にマスクがあれば着けるように勧めるようになった。
10.戸外のベンチが封鎖された。

これがほぼ三週間の進展状況である。地元のヴァンデルン協会が建てた屋根の下も立ち入り禁止にされていて、森のベンチも封鎖してあった。流石に峠のベンチには何もしていなかったが、基本的には座ってはいけないだろう。

先週に続いて朝早くパン屋に出かけたが、7時前には三人ほど並んでいた。復活祭前だから仕方がないだろう。そして走りに出かける駐車場は一台二台と入って来た。戻って来てもあまり変わらない。顔見知りに声をかけたぐらいだ。しかし、最近のニュースではジョギングは通常以上に距離を開けないといけないと書いてあった。山道の狭さがあるのでそれにも限界がある。スピードを弱めるぐらいだろうか。

車に帰ってくるとなぜか八時を過ぎていた。銀行に行ったりしていたからだろうが、肉屋に寄ると何人か外に並んでいて、車も停め難かった。仕方が無いので帰って車庫に入れてから出かけた、幸い二人だけを待って入室した。

帰宅して困ったのは前日からの給湯のストップで、仕方が無いので、先ずはミュンヘンの「千人の交響曲」演奏会の入場券買いに並んだ。朝から三回目である。九時過ぎにはスタンバイして、入場番号は41番だった。開催される可能性の薄い入場券でも並ぶ人がいる。

一分ほどで入室、欲しい席をクリックすると椅子取りゲームになる。お任せにすると平土間最前列になった。仕方が無いので再びマニュアルで今度は狙いをセンターからずらすとクリック出来た。最初に申し込んだときに欲しかった席に近い最前列だ。

椅子取りゲームをしていて、ああここにも好事家がいるのだなと思った。この演奏会が開かれるためには少なくともその前の何週間かは合唱団が一緒に練習する環境が必要になる。到底5月後半にはと思わせる。まだ小さな管弦楽団なら場所を開けてとかが可能かと思うが、千人も舞台に乗るとか言われる大編成で、昨年のブレゲンツでの演奏会も330人が乗っていた。到底無理な相談である。しかしこうやって並んで買う人がいる。皆同じように流動資金への足しにでも思っているのだろうか。

現在の売れ方からすれば、舞台上の問題が片付けさえすれば、客席を半分の人数にしての上演は可能なのだが。



参照:
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
聖土曜日の準備へと 2019-04-19 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会的距離を測るライン

2020-04-10 | 
車中のラディオはメルケル首相のコロナ対策の今後への見通しを伝えた。それによると期日の4月19日以降の取り扱いについて、二週間先を見てというような感じで、急激には動かないということだ。同じニュースで各地元知事の話しも紹介されていて、最新のトライヤー知事の呼びかけ映像に詳しかった。

それによると、19日以降の平常化に向けた論議は民主主義的で結構な事であり、次の段階として商店などの再開が考えられると、ほぼオーストリアのそれに準じたことを述べた。しかし同時に距離を開けるとか、衛生に関しては変わらずで、その時期も直ぐという事では無しに様子を見てということだ。そして元の木阿弥になっては意味が無いのでと警告した。

メルケル首相の話しもこの方向にあって、専門委員会の見解は変わらないので当然かもしれない。数字に関してはなんとも言えないが、先週末の敢えての箍の外し方の結果もその頃により戻しとして出てくる筈だ。つまりその戻り方からどこまで緩和できるかが決まる。恐らく早くても五月三日過ぎとなるだろう。

音楽関係の興業に言及すれば、先ずその距離感となると三月に試みたように手を触れないだけでなくて、座席を少なくとも一席づつ開ける必要がある。演奏者の方も距離を開けるか人数を減らすしかない。追々、編成の大きなものは難しくなる。合唱は一部に出ている逆に抗体テスト陽性ぐらいでないと歌えなくなる。

現在所持している入場券ではこの条件に当てはまるものはラインガウでの「鱒」ぐらいで、まだ半分くらいしか売れていないので、ラインラントプファルツの方針が決まったなら確定させることが可能だ。入場料も高いので、あとは調整と精々寄付ぐらいではないか?

ソシアルディスタンツシングに関しては、今日本では八割の接触を避けるとしているが、ドイツでの状況と比較すると、掛け声だけで政治家もアリバイ作りをしているに過ぎない。外国人からすると馬鹿じゃないかと思うように床に線を引いて、極力距離を開けざるを得ないようなっているのがドイツで、それをまともにやろうとすれば高額の罰金ぐらいのペナルティーが無いと馬鹿らしくてやっていられない。

だから水曜日にスーパーに出かけたが外で並んでいたので断念して戻って来た。並ぶ方が危険だからだ。そして聖金曜日の休みの前の木曜日の20時過ぎに出かけたら、流石に入場規制は無かった。そして気楽に買い物が出来たが、さらに「改善」されていたのは床に一方通行の印がついていて、まさしくスーパーの買わせる動きに進むようになっていた。空いていたので無視したが、スーパーというのはそうしたシステムなのである。

こちらは必要な安売りを探して素早く動いた。魚売り場で鮭の切り身が無いかというと、何が入るからわからないので広告とは異なるのだと説明を受けた。まさしく広告を見て行ったのだった。安売りのバリラもフッシーリしかなかったが、ペストには良さそうなので購入しておいた。相変わらず紙コーナーだけはがら空きだった。入荷したのか、ハムスター買いにあったのかは分からないが、それだけは平素と異なった。石鹸は戻って来ていた。

写真は市役所の玄関の前であるが、線が引いてあるのは、入場に待つという事だろう。そもそも混むような役所ではないが、どうも普段は入れない向かって右側の市会議所を入り口にして正面は出口専用にしているのだろう。黄色い線があると流石にそれを無視する人はいない。如何にもドイツらしい馬鹿らしさの杓子定規な世界である。そのお蔭で州のお母さんトライヤー知事にも誉めて貰えるということになる。

一方でライヴァルであった共和国クッロックナー農業省が東欧からの労働者を迎えてバーデンバーデンの空港かで演説しているのが面白い。どうも殆ど労働収容所かの様に「街に出てはいけない、雇い主の所で賄いを受ける」とか縛りがあって、それを演説しているのだった。解決方法には違いなく、労働者にとっても一番安全で効率が良いのだろう。昨年のフランクフルトでの「マノンレスコー」の演出を思い出した。出稼ぎをアスミク・グリゴーリアンが演じた演出だった。



参照:
見出す乗り越える路 2020-04-08 | 音
イザ、バティアシュヴィリ 2020-01-27 | 女
初アスミク・グリゴーリアン 2019-10-11 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公的資金の支援なんて

2020-04-09 | 文化一般
文化相グリュテルスとキリル・ペトレンコが顔になっての寄付の続報。既に予定通り集まって支払われたことは記したが、文化相が裏話をしている。

それによると3月22日にペトレンコより電話があって、「私はとても堅い位置にありますが、自分自身がまだフリーランスであった時のことをよく覚えています。そこから、フリーランスの音楽家たちに何かを返したいと思うのです。」と語ったという。「そこで、省内で調べると管弦楽協会がフリーランスの為の募金をしていることを知ったのです」と文化相は語る。

推測としては、もちろん知る位置にあったであろうベルリナーフィルハーモニカ―の方から文化相の名前を出すようにと、政治家にとっては興味ある申し出をしたのかと思っていた。しかしここまで具体的につかないでもいい嘘を語っても有利にはならないので事実だろう。此の侭であるとすれば、フィルハーモニカーの方が後で乗ったことになる。

兎に角、それ以前に放送交響楽団などからの募金があったので、それに足されることになって、なんと18日から二日以内に一万五千ユーロ、十日後には五万八千ユーロが集まったという。これでペトレンコら身内が出した額が最初の額だろうと分かる。そしてこの火曜日に十万ユーロを超えた。

そして文化相は、「多くのプライヴェートの支援者には、皆同じく芸術、特に音楽が拠り所にあるというだけでなく、皆が自らの意志で共生を支えるという、物資を超えてなによりも倫理的なものをそこに見るのです。」と語り、「苦境にある芸術家を救うという市民の運動は政治の苦心を裏付けするもので、全ての人にお礼を言いたい。」とした。

日本でもこのキリスト教民主同盟の文化相の発言等は扱われたようだが、なによりも重要なのは国による援助だけではないということで、その基本にはこうした市民のまさしく自由意志のそれがあるという事に尽きる。芸術とか自由な創造の羽ばたきというのはそうしたところにしかないということだ。公的資金による支援などは自由な市民の総意でしかない。

特に、キリル・ペトレンコなどの様にソ連出身の芸術家にとってはその自由が何よりも重要であるかは誰よりも分かっている。彼自身が身銭を切ってでも資金を出さないといけないと思ったのはそこに違いない。金額もそうであるが、こうした行動は陳腐なヒューマニズムとはかけ離れたものである事を教えている。

そろそろ2017年産のいいリースリングを開けられる。瓶詰めの時期は若干幅があるが四月ごろが多く、丁度二年経つワインが出てくる。先ずは最初の瓶熟成が楽しめる。2017年産は酸が弱い。だからここで良くなければあまり寝かしても仕方がないかもしれない。適当に葉緑素的で、柑橘系の味筋だ。果実時期の異なる二種類の葡萄が混じっている感じは確かにある。だから旨みがあって、新鮮味があるときに飲んでしまいたい。

歯医者の予約を二回蹴った。一度目は口の調子が悪く、今度は咳が出て体調が悪かった。コロナは再発してなかなか治らないのかもしれない。コロナ特有の乾いた感じはないが気管支が痞える。

八百屋は混んでいて入り口を別けていた。更に接触を避けていた。シュパーゲルとジャガイモを別に支払わなければいけないなど、若干不便になっていた。スーパーに行ったら駐車場が一杯で外で並んでいた。考えた挙句出直しすることにした。



参照:
見出す乗り越える路 2020-04-08 | 音
トレンドは冷えた「神の雫」 2018-05-15 | 試飲百景
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見出す乗り越える路

2020-04-08 | 
日本の緊急事態が宣言された。どうもあまり効果がなさそうだ。恐らく世界で最も何もしない危機管理となりそうだ。やはり日本人は全てを受け入れるしかないのだろう。どこの国でも何かをしたのだが、日本は独自の自粛ということで感染させる儘に感染させて集団免疫化へと進む。英国のボリス・ジョンソンが目していたものを本気でやるようだ。壮大な試みで、一体どれほどの人が亡くなるのかと心配になる。感染速度を下げる処置と言葉で言っても、日本の予想される行動様式では到底人との距離などとることが出来ないのではないか。人が動けば動くほど感染が広がる。

悪い話しばかりではない。僅かばかりの寄付をしたフリーランサー向けのキャムペーンが予定通りの金額百万ユーロ(約一億二千万円)が集まり、予定通りに復活祭前に二千五百人の申請者に対して400ユーロづつ支払われた。公的な資金ではないからこれで生活は出来ないが、それでも繋ぎにはなる。流石に文化相とキリル・ペトレンコが顔になっただけのことはある。支払額の方が多いのはそれ以前に管弦楽団協会が各楽団から集めていた資金を足したものだろう。一般公募になってからも幾つかの楽団が寄付したのは載っていた。兎に角、価値があった。まだ千人ほどの申込者がいるので募金活動を続ける様だ。

ラインラントプファルツ州の陽性者増加が前日比3.4%と半分になりつつある。しかし重症者が死亡して26.5%増加で43人となった。最終的には100人以上が亡くなるのだろう。バーデンヴュルテムベルクが、老人ホームなどの外出だけでなく接触を厳しく規制する方へと動きつつある。これはいづれ第一のヤマを越えた時の議論の土台になるだろう。ある程度感染が広まって仕舞えば、保護される方が閉じ籠もる必要があるからだ。

マンハイムでは図書館を利用の人にはメールの注文で配送するというサーヴィスを大学との共同で始めたようだ。またシュトッツガルトの教会は温かい食事を配るためにテークアウトとして聖週間には提供するらしい。こういう時だからこそ何かをやらないといけないのだろう。

カールツルーヘとバーデンバーデンの間のラシュタットのアイス屋がトイレットペーパーアイストルテを注文に応じて提供したという。イタリア人はこういう時に巧い。これ程簡単に広告してしまう。前回もバーデンバーデン市内のピッツァ屋が無料で病院に運んでいたが、次は何が出るのだろうか?

先日のキリル・ペトレンコのインタヴューで大切なことを書き忘れた。チャイコフスキーの運命交響曲第五番について語った部分である。彼は言う、「会場の聴衆がこの交響曲を最後まで聴いて、それが少し不安であったり、恐れであったり、慰めであっても、解決であっても、日々の生活から先へと乗り越える路をそこに見出してくれればいい。」。

この大切な言葉を見逃していた。なぜDCHがこの機会にこの第五交響曲を流して、特別なインタヴューとしたか。今頃その意味が分かった。



参照:
芸術ゲマインシャフト 2019-04-22 | 文化一般
コンツェルトマイスター 2019-09-01 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

切り捨てる腐ったキュウリ

2020-04-07 | SNS・BLOG研究
独第一放送で陽性者数の少ない国を洗っている。ポーランドは、市民の意識が日本と似ている程度の国で同様に極右ポピュリズムが政権をとっている。そしてまったく日本と同じようにコロナテストがされていないと反体制派は騒ぐ、実際にそのテスト数は今迄僅か五万件のテストが三千八百万人の国民になされただけという。その一方政府は早い時期から国境を締めて国民に外出禁止を科したことから、その陽性者数が危機管理の成果として受け止められているとされる。その意味からは日本の政府よりは遥かに独裁的で賢い政府である。しかし実際にはテストを受けたくても受けられない人が多く、実際の感染度は知られていない。

もう一つのEU加盟国の例としてポルトガルが挙がる。こちらは同時に日本では神風のように心のよりどころとなっている「BCG接種でコロナに感染しない若しくは重篤化しない」の非科学的な仮説の根拠の一つとなる感染率の低い国として知られる。その対抗策は最初期に外出禁止に近いものを敷いたからで、そもそも海外からの定年者を集める国であり人口の五分の一以上が65歳というのでそもそも外出の必要が限られる。それによってある程度の制御が可能となったとされている。

しかし、両BCG接種国も現在は無視できない増加を示していて、なにも難しいマックスプランク研究所によるハイテク接種VPM1002の臨床試験結果を待たずともその根拠自体が似非科学であることがハッキリしてきている。要するに日本にも神風などは吹かない。

似非科学に反論することも出来ないが、1989年以降はドイツではBCGが禁止になっていて若い人たちは打っていない。つまり同じように感染している若い層に重篤患者が出たとは聞かないのが不思議なのである。日本では逆にある年齢以上はBCG接種をしていないということで重篤化しているという基本的な状況を重ねて仮説の根拠にしている。似非科学の所以である。

日曜日の夜に英国首相ジョンソンの入院が伝えられた。一週間経過してからの呼吸困難の様である。調べてみると英国のコロナ医療における死亡率は一割に達していて、治癒率も3%ほどである。首相が最初に語っていたように「多くの家族が愛しい人を失う」という政策が自分自身の身に降り注いでいる。重要なのは集団免疫を早く作ることでその過程で犠牲になるのは仕方がないという事だろう。
Coronavirus: PM says 'many more families will lose loved ones'


水曜日に購入したキュウリが腐った。最初から痛みがあったりしたが、直ぐに黴ていた。黴を除去して塩をつけておいたが、黴が増えて駄目になった。一本のキュウリを駄目にしたのは初めてである。原因はスペインやオランダからの国境超えで時間がかかって、スーパーに並ぶ時から悪かったという事だろう。最早野菜は地元産のものを八百屋で購入するしかなくなってきた。徐々に供給が厳しくなってくる。

ベルリナーフィルハーモニカーの五月の公演のキャンセル決定が続いている。ヴィーン公演が無くなったことで既にキャンセルされていた本番のマーラーフェストと共に消え去った。その他のツアーはまだキャンセルされていないが、そもそもメーデーのイスラエル公演が駄目になるのは明らかだ。ベルリナーフィルハーモニカー側からはキャンセルできないのは当然だとしても、イスラエルが躊躇しているのはなぜだろうか。その他の公演も一部ドイツの外交部の後援を受けているので通常の興業ではない。



参照:
二年越しの重点課題 2020-04-06 | 文化一般
政治的パフォーマンス 2020-03-24 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二年越しの重点課題

2020-04-06 | 文化一般
完全に箍が緩んでいるとしか思えない。有り得ない交通がワイン街道を盛時並に賑やかにしている。前回は三月の中旬に似たような週末があって、その二週間後には感染者が倍増した。その時は向かい側の広場でも飲んでいる輩が居た。そして今同じところに家族などがいる。それも通常の家族以上の子供数だ。オートバイを走らせて車をオープンカーにして何処に行く?
 
ナムバープレートを見ると明らかに他所から来ている。前回はその金を落とさせようとして所謂シュトラーセンヴィルツシャフトと呼ばれる沿路のワイン農家などがもてなしをしていたのだ。それは許されるものでは無く、前述したように広場でグラスを傾ける情景となる。そして二週間後には陽性者の倍増のラッシュが続いて、髑髏が並ぶことになった。
 
土曜日の独公共第一放送では複数名の外出禁止反対論者に喋らせていたようだ。これは殆どガス抜き効果で、今までやってきたことを考えればまだそれを議論する時期ではない。同時にICUの目星がつきそうだという事での報道意思だったと思う。
 
当然のことながらこの週末に対してラインラントプファルツ州ならばトライヤー知事の厳しいお叱りが待っている。バーデンヴュウテムベルクでは予告されていたように警察官が予備召集されての罰金徴収のラッシュだったと思う。その金をバーデンバーデン祝祭劇場に回して欲しい。
 
それにしてもだ道路を見ているとおばさん一人に男性二人、いったいどいう云う家族だ。間違いなく警察が職務質問しなければいけない。そうかと思えば下ではグリルをやっていて、その外側を通る人が声を掛け合っている。近所の者なら身柄を押さえようと思ったら車で走って行ったので余所者だろう。なるほど私も森へ行って挨拶で声をかけるが、それは少し違うと思うのだが。
 
ベルリンからの放送は、何とか警察に突入されない範囲でデュオとソロを一曲づつとカラヤン指揮とアバド指揮のヴィデオで復活祭の歴史に踏み込んでいた。案の定チャイコフスキーに関してはバーデンバーデンの昨年の名演に言及しながらも誰も録音もしていないということでアーカイヴのそれを出していた。それは仕方がないことだが、何よりも良かったのは新たなキリル・ペトレンコへのインタヴューだった。そうなると聞き手はいつものクラースティング氏だ。
 
なによりも復活祭の意味づけを「ベルリナーフィルハーモニカーにとっては一つの集積として、とても短い期間に全ての範囲で全てを示し尽くし聴かれる機会」としていた。そして「中心にあるオペラは勿論自分自身の歩んできたキャリアの中での重要なもの」で、だから「集中してオペラを上演して必須とされる重要な作品と同時に珍しい作品を両方同じように取り上げて行く」と語る。そして「その年度と同時に数年の枠のコンセプトの中で計画枠を作り、その中の二年ごとに重点テーマを置く」、つまり「一つの作曲家、一つのスタイル、一つの言語のテーマを二年越しでビエンナーレの様に追及する」となる。
 
それ故に具体的に2021年の「マゼッパ」に続いて二年間はチャイコフスキーに焦点を当てて、それはオペラだけでなく、その周辺の作品でも数年の枠コンセプトに弧を描くように扱うとした。因みに「ビエンナーレの様に」となる2023年は2022年でバーデンバーデンとの契約が切れた後の新たな契約枠の中での企画となっている。「マゼッパ」と対照となる有名作品は「エフゲニーオネーギン」だろうか。この件は既に祝祭劇場のスタムパ支配人が述べていたが、例のザルツブルクなどで騒がれていたその後の憶測とは正反するもので、当然のことながらペトレンコの口から出たものでこれで要らぬ噂はもう出ないだろう。よって、それに関しては個人的にはなにも感動しなかったが、インタヴューがここで切れていて、この続きが水曜日の二回目に流れるだろうと期待する。
 
 
 
参照:
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ本格的な夏時間とは

2020-04-05 | 
早起きしてパン屋に向かった。しかし比較的暗く寝坊して銀行で現金を下ろしていたら着いたのは7時を過ぎていた。外には一人しか待っていなかったので、比較的直ぐに入れた。やはりドアーは締め切りだ。パンが乾燥することもあるが、売り子も寒いのだろう。

森の中も摂氏一度ぐらいだった。流石に誰もいなかった。手袋は要らなかったが、Tシャツも寒かった。最近は歩調も遅くなって色々考えながら走ることが多い。夜にあるベルリンからの復活祭特別中継の内容なども考えていた。

チャイコフスキーの第五交響曲の録画が流されて、その他はお楽しみということだが、そのペトレンコ指揮の演奏は後にも先にもベルリンでの三回、バーデンバーデンでの二回、ザルツブルク、ルツェルン、ブカレストで一回づつしか本番は存在しない。その中で録画されていたのは最初の三回で、バーデンバーデンとルツェルンは無かったので、あり得るとすればブカレストかと思う。ベルリンでの初日のラディオ放送されたものも流れる可能性はある。まさか無料で公開中のアーカイヴのそれをもったいつけて流すことはないと思うが。それ以上にこのご時世に室内楽でもあまり無理して要らぬことをやって欲しくはない。先ずは観てから批評しよう。

一番望むのは、アーカイヴには入っていない2018年のルツェルンでの「ラペリ」、プロコフィエフ、シュミットの四番の映像だろうか。制作の関係でアーカイヴにはなっていないがDCHで生中継されたものである。昨年のムーティ指揮「死者の為のミサ」も悪くはない。もう一つ録画された可能性があるのはドレスデンでの「交響的舞曲」のプログラムだろうか。無観客ライヴで出来ることなど限られているので要らない。

肉屋に立ち寄った。八時を過ぎていたが誰もいなかった。こうして外に並ぶでもなく、すっと買えることがあり難い。また来週は聖週間明けで混むだろう。朝一番に行かなければいけない。パン屋もコロナ騒動で日曜日の営業はしばらくお休みらしい。まだ本格的な夏時間とはならない。



参照:
月末に際しての想い 2020-01-28 | 雑感
ここが辛抱どころ 2020-04-04 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ここが辛抱どころ

2020-04-04 | 生活
木曜日時点では大分増加が鈍っている。この調子で行けば州平均で十万人に百人の陽性、つまり来週は千人一人程度で収まるかも知れない。地元が150で上位二番目だが、モーゼルの方も直に落ち着いて来るだろう。

さて週末からの復活祭休みは。バーデンヴュルテムベルクではアウトバーンでパトロールを強化して、基準に反しているものを探すらしい。つまり家族連れで動いているものがターゲットになるが、子供を連れて両親の所に行くなど以ての外だろう。その他では家族以外が同乗していてはいけない。また友人家族と分乗して休憩所で屯していたら罰金に違いない。徹底的にやるようだ。

更に観光地などに立ち入るのは禁止だが、同様に森の中でも人気ハイキング道などは混むので週末には行かないように要請している。個人的にはそこが気になる。現在まで平日のいつもの経路には見慣れぬ顔は少ないが、週末は多いのかもしれない。こちらは週末はパン屋と肉屋の関係で朝起きしてしか行かなくなったので、誰もいない。そしてそれを続けるしかないであろう。

ケルンからの放送を聴いた。特別番組で、カルロス・クライバーがWDRの楽団を振った録音だ。そもそもケルンで振っていたのを知らなかった。話しによると一度だけ父親エーリッヒとそこの音楽部長コッホとの個人的な関係で客演となったようだ。1972年5月27日の放送センタ-ホールでの演奏会だったようだ。ハイドンなども中々いい感じで振っていて、また二曲目の「ヴォツェック」からの断章は父親の初演作品というだけでなくケルンでも振ったことがあるらしい。そしてカルロスが集中して振った作品というのは全て父親の総譜が残っているか録音が残っているものに限られるという話しだ。可成りのファザーコムプレックスだったことが分かる。実際に父親は間違いなく大指揮者だった。

ベートーヴェンの七番も中々魅力的だと思って、生で聴いたミュンヘンの座付よりもいいのではないかと思っていたらやはり汚い音楽になって来た。そして日本公演で聴いたその時の印象を思い出した。録音では綺麗に整えられているヴィーナーフィルハーモニカーの録音なのであの生演奏の感じは中々思い出さなかった。世界中で人気はあったが、総合的には矢張り父親の方が偉大な所以である。



参照:
復活祭のヤマへと差掛る 2020-04-03 | 歴史・時事
更にKAIZENの毎日 2020-04-02 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復活祭のヤマへと差掛る

2020-04-03 | 歴史・時事
どうもバイエルンの知事は頭が悪そうだ。このままいけばドイツで十億のマスクがいるとか発言している。一層の事フランスの様にシナに発注すればよいのだ。そもそもトイレットペーパーと同じで無くて困るだけで、コロナ対策とは無関係なのがマスクである。マスクの入手に苦労するぐらいならばやることをやるべきで、一体オーバープファルツのチェコとの国境の町はどうなっているのだ。誰かが持ち込んだのだろうが、現在ドイツ連邦トップの陽性率となって75歳以上の病歴のある人35人が簡単に亡くなっている。十万人中の陽性者が八百人を超えてつまり1%に近づいている。彼のオランダ国境との町ハインスベルクの倍で、死者数も変わらない。一体何があったかは知らないが、感染させる人が取り分け活躍したのだろう。

ゾーター知事が逸早く外出規制を出したころにはそこまでは目立っていなかったから、如何にああした政治的ショーが役に立たないかを語っているようで、21日頃から急上昇している。二週間前として三月六日ごろに大きな催し物でもあったのだろう。

そして病院などは一般の病気に関しては受け入れを止めてコロナ専門に切り替えたところが多いらしい。この傾向は一つ目の山に向けて顕著になるので、ここ暫くは病気も怪我も出来ないとなる。外出や集会の規制から交通事故も減っていて、その分は解消されているようだ。大事故さえなければと思う。

車中のラディオは、経済研究所のアンケートと試算によって、操業停止の経済的影響をレポートしていると伝えていた。11週間までは危機的な崩壊は招かないというもので、厳しい所見では8週間までというのがあったようだ。政府の今後の舵取りの指標となるだろう。

しかし先ずは最初のヤマとされている復活祭の状況が徐々に見えて来た。五月のヤマが一月早まったとすれば大変なことなのだが、陽性者数の伸び方が鈍化している一方、医療や介護関係での陽性が増えてきていてバーデンヴュルテムベルクの数値からすると可成りの感染度である。ここワイン街道での実感からしても感染は止められないので、鈍化させるのみである。幸い効果は表れている。

新しい資料がSWRのサイトに網羅されている。先ずはICUベット数で州に依っての偏差はあるが、現在の集合禁止の伸び方の鈍化からすれば最初のヤマとされている復活祭では何とか収まる可能性があるだろう。三週間でそこから普通隔離病棟へと戻るか亡くなるかということであろう。

円グラフでは、灰色が空きベット、薄鼠色が二十四時間以内に使えるベット、赤色がコロナ患者が使用中、朱色がその他の患者が使用中となっている。

また同時に重症患者の呼吸器使用率がこの一週間で六割から八割へと上昇していることが分かる。これはコッホ研究所のヴィ―ラー博士が述べていた重篤化の傾向で、感染者が若者から動き回らない危険グループへと移って行っていることに相当する様だ。

そこで、その呼吸器の使用数と二十四時間以内に使える数が州ごとに列記されている。これも州ごとの偏差が大きく、つまり最初のは地点やイタリア帰りのスキーヤーの伝播などで東西南北の時差がある。これはヤマを越えるには有利で、その為の都合をつける空輸の練習は先日のイタリア患者の受け入れで既に終えている。

その他では、二十四時間以内の呼吸器の空き状況を把握するためのシステムが来週には出来上がるので、前日から出動などの準備が出来ることになる。しかしいくら準備していても予想を遥かに超える重症者が天変地異や大事故等で起これば破滅する。

兎に角、最初のヤマとされている復活祭週間が始まる。バーデンバーデンの新制作「フィデリオ」など痛恨の極みでその中止を受け止めた訳だが、先ずはそこを越えて少しでも光が見えればそれ以上の喜びはないであろう。



参照:
So viele COVID-19-Patienten können wir beatmen (SWR)
更にKAIZENの毎日 2020-04-02 | 雑感
屹度忘れられない春 2020-04-01 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

更にKAIZENの毎日

2020-04-02 | 雑感
ダイデスハイムに出かけた。普段は用事が無いのだが、地元の郵便局が閉まっていて、書留を取りに行かなくてはいけなかったからだ。歯医者とかこうした機会を有効に使わないと違反行為になる。月末の発表の様子では全面外出禁止にはなりそうにないが、もしそうなっても今動いている範囲は許可される範囲で問題はない。

ダイデスハイムはドイツワイン街道でも屈指の観光名所なので流石にこの時期としては静かな印象だった。その分街の並木などが美しかった。郵便扱い所は以前あった局では無かった。車も問題なく停められてその点はよかった。

その足でスーパーに向かった。更に改革されていた。先ずは駐車場を縮小していた。郊外型なので歩いてくる人は少ない。つまり縮小すれば入場制限をする必要が無い。これは考え方としては正しい。そして苦労して狭いところに駐車しては入ろうとすると、前のお兄さんが止められた。押し車で入れと、間隔を空けるためだと。知らなかったが一ユーロを入れて押し車を引っ張り出して入った。

そして手袋を探すと取れるようになっていた。しかし隠すような感じでおいてあった。意識が無いと取らないかもしれない。そしてドイツで初めてマスクをした人を見かけた。流石にTVなどの報道の影響が早い。しかし従業員も個人的にしているだけに止まった。女性では何かを巻いている人やまたモスリムもいた。しかしレジは誰もしていない。本末転倒だろう。

日本からの専門家会議のプレス中継を観ていたら全員がしていて皆寄り添っている。まさにそれこそがマスク着用の誤った過信とロベルト・コッホ研究所に指摘されているもので、マスクをしても感染のリスクはあまり抑えられないどころか誤った過信で感染を増長させる行為である。

それでも特に買い物が進むわけでもなく、レジでは紙袋も購入して普段通りにした。カードで支払う時も以前は違う方式だったがボタンを二回押す方法で更に受け渡しなどが無くなった。細かなところで感染リスクを抑える絶え間ない努力がなされている。既に効果が出ているので、これ以上窮屈な方法を取ると長続きしないので、今のままで良いと思う。

四月一日現在でここも感染者が前日比6%増ぐらいなので州の平均水準に至っている。人口十万当り13.4人になっている。改善されているので、もう直ぐ平均以下へと潜り込めるだろう。少なくとも人々は真面目にやっている。レジで前の婆さんがレジのおばさんに愚痴っていたが、おばさんは「アメリカの様にはなりたくないから」と説明していた。反面教師はイタリア化ではなくなっているのに気が付いた。前日どのような報道があったかは知らないが、街の意識がまた変わってきたようだ。

チューリッヒのトーンハレ管弦楽団からネットの無料券を貰った。アイダージョという配信サーヴィスで、既にCD化しているライヴ録音もそこに入っている。メシアンの一日はそこで聴いていた。特にハイレゾまでを期待しなかったが、音が割れている。どうも録音も大したことがなさそうなのだが、定位感などこの程度の音源を音を審査せずに流しているサーヴィスらしい。

明らかに配信フォーマットに変換するときに歪が入っていて、代表がザルツブルクのモーツァルテウムで恐らくその方の音響デザイナー位の勉強をしたのだろう。音響の世界も音楽家と同じで元々の耳の感覚が鈍ければお話しにならない。何年何を勉強しても駄目なのだ。元々だから興味がそんなところにはないのだろう。こういうのを経験するとネット配信に金を払う人の気持ちが分からなくなるのである。



参照:
肺癌のようなコロナ空咳 2020-03-20 | アウトドーア・環境
大戦以来のドイツの危機 2020-03-19 | 歴史・時事
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする