Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

脱コロナへマスク解除

2021-09-16 | ワイン
ルツェルンで購入したメルローを開けた。駅ビルのコープで安売りで9フランであった。だから産地も平野部のベレルナで全く期待していなかった。しかし品質は同じ品種のボルドー物より遥かにいい。熟成度は足りないが丁度いい感じでの引き締まり感がある。

勿論の事、ボルドーでもワインのロールスロイスポメロールのようなものとは異なって、それに対するスイスの最高級のメルローのアーモンド風味や香味などは期待できない。しかしスーパーワインでドイツでも同じ価格帯のドルンフェルダーと味は似てもいるのだが、やはりドルンとはしなくて引き締まっているのが嬉しい。

それで食事後のつき合せのアーモンドの入った血のソーセージの良さを引き出すまでではなかったのだが、チーズとイタリア産の赤葡萄と共に楽しめた。

フランクフルトのオペラも日曜日から満席を入れるようになった様だ。合唱団も奥では無くて舞台で歌ったようである。要するに舞台や奈落は正常化してきている。客席では但しマスク義務があって外せない。

しかし、ドイツの新陽性者指数はピークアウトして、フランクフルトも昨週の200へ届こうかという所から130へと落ちてきている。3G規制はあるが、支配人は接種したくない者も尊重すると語っている。

ドロステン教授に言わせると、この冬に英国は一足先にコロナから脱出するだろうとしている。理由は接種に係らず集団感染で集団免疫に達成するからである。しかしドイツは地方によっては穴があって、今後一進一退があるとされる。つまり一度罹ってもまた罹るとなる。しかしそれを通して、コロナの弱毒化でただの風邪になるとされている。

要するに、英国やスェーデンのように既に殺してしまっていれば、感染を広げても接種の力もあって死者も今後増えずに感染が収まるが、今迄死者を抑えていたようなドイツなどの方が当然のことながら脱出に時間が掛かる。

先ずは今回の減少傾向が顕著になる中でマスク義務を全廃するのも比較的安全な感染の緩やかな広げ方ではなかろうか。勿論危険を感じる者は接種を整えたうえでマスクなどを使用し続ければよい。

少なくとも座席ではマスクを外すが、今後の公衆衛生上の視点からも正しい対処法ではなかろうか。感染を緩やかに広げつつ、病院の負担を高めることなく、正常化へと逸早く戻って行くことが重要である。個人的に感染を緩やかに広げていくことには少しでも尽力したいと思う。



参照:
「夏のメルヘン」の企画 2021-09-01 | マスメディア批評
ストッキングを被る男 2021-01-22 | 雑感


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「Dresscode無い」の戯け

2021-09-15 | 雑感
ぼちぼちと冬籠りの準備を始める。今日ぐらいが最後の残暑となるか。それでも暑くはない。例年ならば試飲会などがある時期だが、今年は更に先を見て行こう。

先ずは劇場やらの寄付と金券などを整理してしまおうと、ミュンヘンのサイトを覗くと新装していた。印象はなれとは別にあまり良くない。例えば態々「ドレスコードなどは無い」などと書いてあるのも頂けない。ジィーンズでジャムパーと書いていても、それだけで何かが変わるなら心配は要らない。殆どただでU30に最高級席を提供するのもいいだろう。しかし安物の試みは止めて欲しい。失敗するだけ支配人は大恥を掻くだろう。そんなことは公共の芸術とも無関係だ。居心地のよい服装というなら、先ずはマスクの着脱を明記せよ!

税務申告も終えてしまわないと厳しい。なんとか今週中に目星をつけて、更に窓掃除と、籠り部屋の清掃を、新たなヒーターフィン取り換えと合わせて計画しておかないと駄目だ。

その他では今年はPCを新調しないと駄目だ。現在使用中のノートブックはWin8で使うには空冷などが喧しくなってきている。キーボードも壊れている。徐々に計算速度などにもストレスがあり、やはりメモリーは16GBが欲しい。前回は安く購入したがその価格では難しそうで、更に追加で投資となる。2012年12月に650ユーロ支払った。

プロセッサーはアイスレークという2019年のもので、Intel5のグアトロ核で十分だろう。オーディオもリアルテクALC255であるから今まで変わらない使い方が出来る筈だ。WLANが802.11ac でG5になるのだろうか。ブルーテュースも5なので使い易い筈だ。残念ながらブルーレイはついていない。DVDはついていても邪魔にはならない。

仕事でこういうものをメインで使うようになった。机の下のワーキングステーションはこれで撤去してしまうことにしている。そこに繋いでいたアウラトーンのモニターもこれからはデジタルアムプか何かに繋いで運用する。小さなDACとPCを直接接続して使えるといいかも知れない。現在オーディオPCと使っているLinuxシステムが余ればそれに繋げるといいだろう。

ブレゲンツの交響楽団がメールをよこして、コロナ新規制を知らせて来た。オーストリアであるから間隔は僅か1m、だから隣り合わせで座れるようなものだ。ベルリンのフィルハーモニカーなどがやっているパイロットプロジェクトなどはその意味で嘘っぱなしの収容率だけを高める功利的な処置であって、公共衛生上大きな問題である。

同時にオーストリアでは座席ではマスクが不要となっている、一方交響楽団の方はマスクを奨めている。最終的には当地の感染状況などによる。同様な処置はベルリンのウンターデンリンデンなどでも行われていて、当然のことながら座席の間隔さえ取れれば問題が無い。しかしバーデンバーデンなどは半数を入れ出している。同行者との隣り合わせでマスク無しはもう当然であると思われるので、この傾向は進むと思う。

少なくとも空調が良く効いているところでは、マスクの重要性はもっぱら自己防御でしかなくなるだろう。

ドイツの新陽性者指数が落ち出した。ピークアウトの傾向が観察される。どこまで落ちるかは分からないが、次の山において、更に頂点が低くなるようならば一先ずコロナ禍の終焉と近づく。



参照:
上昇気流の熱気球 2021-09-13 | 生活
秋のシュヴェツィンゲン再訪 2021-09-14 | 雑感
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秋のシュヴェツィンゲン再訪

2021-09-14 | 雑感
日曜日の頂上往復をした。日没は19時50分、つまりその時刻には足元の悪いところ通過していたい。十分に余裕をもって18時30分には出かける。

昼過ぎにも接種の後遺症のふら付き感や胸の圧迫感はあったが、17時頃に横になって暫くすると体調が回復して、行けると思った。しかし、無理をせずに様子を見ながら完走できれば完走、それもゆっくりと走るということで早めに出かけたのだ。

準備体操などをして、走りだしは18時50分、つまり頂上には遅くても19時30分過ぎに到着する。少々遅れても日没前には頂上領域から下の林道を走っている筈だ。それ以前に胸が苦しくなれば頂上を諦める。

意外に走りだしは悪くはなかった。前回朝走った時よりも大分楽なのである。それでも誰にも合わず頂上到達も苦しく遅かったが、少なくとも足は活きていた。急いで下るとやはり最近には珍しく心拍数が181にまで上がっていた。歩数もゴール間近で毎分177だから先ず先ずの運動量である。

九月に入ってから初めての頂上往復。あと二回走れるかどうか。週二回走って10㎞で、高度差が514mである。体重も72.1kgでなんとか夏太りは避けられている。それでシャワーを浴びると左腕に痒さを感じたので注射痕の絆創膏も剥がした。これで私の接種は終わりだ。これ以降副作用が出るなら冗談ではない。もし無事完走していなかったなら心理的にも副作用を引き摺っていたかもしれない。

シュヴェツィンゲンの秋に延期された音楽祭の券を入手した。昨年も残券一枚だけのベルチャ四重奏団演奏会に29ユーロで後ろの方だった。しかし300人規模で80人程だったので視界が効いた。今回は殆ど入れていて危ない。音響も悪くなり、視界も悪くなる。それでも一日だけは価値があると思った。

それは、今年ヴュルツブルクでも聴く予定だったユリアン・プレガルティアンが「白鳥の歌」をマルティン・ヘルムヒェンの伴奏で歌い、そして月光ソナタが弾かれて、またミュンヘンの若い作曲家マリイスホーファーのベートーヴェンへのオマ―ジュがブレンターノの歌詞を付けて演奏される。チェロは編曲と恐らく最後の曲で共演。

ヘルムヒェンは、ルツェルンでバルトーク三番が弾けないシフに代わってモーツェルトを弾いたが、ネルソンズ指揮ゲヴァントハウスの伴奏では彼の良いところが潰されていると感じた。つまり室内楽で聴いてみたかった。今回と同じプログラムでの五月のアシャフェンブルク劇場公演はキャンセルになっている。モーツァルトフェストでは同じ面子での一部異なるプログラムが無観客で演奏されたので、今回が一部再演である。とても楽しみなプログラムだ。ドイツ系のピアニストでは室内楽でも大物が殆ど出ないようになっている。シュヴェツィンゲンでは前夜に歌手の親父のクリストフ・プレガルティアンが歌曲の夕べを歌う。

私は、日曜日にはミュンヘンに行って、国立劇場新体制での初日を体験することになっている。だから、宿は取ってあるのだが、日帰りするか翌朝戻って来るかの判断をしなければいけない。「鼻」は休憩無しで上演されるようなので、19時開始ならば21時半には帰宅の途に着けるのではないかと思う。それでも早くとも帰宅は午前1時になる。少し厳しいか。しかし列車に乗れたら?フェルトキルヒの17時始まりとの差は大きい。



参照:
僅か八十人程の音楽会 2020-09-08 | 生
公演続行を最優先に 2020-10-20 | 文化一般
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上昇気流の熱気球

2021-09-13 | 生活
就寝前にブレゲンツでの宿のダブルブッキングをした。二泊しようかどうか迷っていると割安の連泊オファーが見つかったので、同じ宿のより大きな部屋に二泊を予約した。どちらかをキャンセルすることになるが、二三日考えてみたい。

最終日は日曜日であって打ち上げなどもあるのだろう17時始まりなので、19時には車を走らせて帰宅の途にある。10月初めは未だ行楽で混まない筈だ。渋滞なく帰れると376㎞を四時間ほどで午前様にならない。通常ならばそれで事足りる。しかし、無理して交通違反で一泊分も払うぐらいならば泊まった方がいい。

なによりもチェックアウトが10時なので、11時から始まるホーヘネムスのシューベルティアーデのマティネーに出かける可能性はあるが、前夜が21時半終わりで遅い食事なので朝起きが厳しい。もしいかないとすると、どこかで半日昼食をしてゆっくり過ごさないといけない。森の中での休憩も昼食を万全に準備しておいて、昼寝をして楽譜を見るぐらいしかない。

問題は帰りがあるので車をあまり走らせたくない。だからソプラノ歌手のシュヴァルツコップが過していたシュルンツまでもモンタフォンノ谷を再訪する心算もない ― キリル・ペトレンコがフェルトキルへにいた頃は彼女はそこからザルツブルクに出て来ていたのだ。すると、今年も行こうかと思っていたシューベルティアードのブレゲンツァーヴァルトに入るぐらいか。冬場はノルディックスキー、夏場はハイキングのメッカなのでそちらは何時も素通りするだけだった。時刻によっては交通も多いかもしれない。

ファイザー接種に二晩目は、心拍が二割ほど多かった。寝汗のようなものを感じたので微熱が出ていたかもしれない。しかし夕食の赤ワインも効いていた可能性も否定できない。いずれにしても神経系のふらつきや胸への圧迫感など、2020年3月6日のコロナ感染症状に近い。呼吸がすかすかすることはないのだが、呼吸がし難い感じはある。明らかに副作用が出ている。24時間以内は肯定的な影響しか感じなかったのだが、48時間以内には反転した。

山登りコースを朝一で走りに行くのは直ぐに断念した。72時間以内、つまり晩に少し走ってみて様子を見る心算である。足取りがフラフラすると転倒の危険があるので駄目である。

これらからすると、やはりファイザーのワクチンの効果はそれなりに高いことが知れる。



参照:
秋のマーラー九番演奏会 2021-08-18 | 音
特別効果の「さすらう若者の歌」 2017-05-02 | 音
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副作用でぐっすり快眠

2021-09-12 | 生活
シャワーのお湯が止まっていたので驚いた。個別のヒーターを取り換える為にその都度止めないといけないのだろう。外気温20度ほどで水でシャワーを浴びるとショック療法になる。

前夜は一年に一度ぐらいしかない深い眠りとなった。これ程長く深い眠りに入り、心拍も53なので接種後の発熱どころではない。しかし、就寝前に若干気が付いた浮遊感や朝食後の若干の頭痛は睡眠と躁も含めて副作用だと分かった。

頭痛も浮遊感も普段からない事ではない、もう少し説明すると昨年のコロナ感染症状として何月かにあったものとそっくりだ。更に心臓の痛みは週初めからもあった。兎に角水曜日に走ってほぼ風邪引き状態だったので、コロナに罹ろうが接種の副作用があろうが私には全く同じでしかない。自分自身は健康に気を使っている方だと思うのだが、感冒や風邪引きと同じくコロナも怪我も大抵は運動することで適当に治せる。

しかし一つだけ違うのはホルモン症状で、これは現独保健相がホモの女形で立ち役ではないので十分の広報がされていない。もし保健相が「効きますよ」と発言していたら、今頃ドイツの接種率は八割を超えていただろう。やはり、代謝などを活発にする効果はあるようで、48時間は何が何だか分からなくなるので我慢しておくが、明日ぐらいは頂上コースを攻められるのではないかと思っている。先ずは前祝にステーキでスイス土産のテッシンのメルローだろう。

一週間の新陽性者指数が少し減った。更に減ってくれると少しだけでも中休みになる。一方十万人中の一週間のICU使用指数は1.95で前日よりも0.06上がっている。昨年クリスマスには15.5だったのでまだまだ少ないのだが、死者数は45人も出ている。限度ギリギリの数であろう。

一年単位の波で見ると収束へと向かっているのは確実である。接種が効いているのは間違いないが、後幾つぐらいの山が必要になるのか。次の山を出来るだけ小さく終わらせればそれでよい。

金曜日に接種センターに七十過ぎの夫婦がいた。マスクの問題が無ければ話しかけたと思うが、チェックアウトの後の出口でもまだ頑張っていた。風采からすれば当然家庭医もいてなぜ今頃と思わせた。まあ、謂えば今頃センターで接種を受けているのは訳ありの人達だけである。

どちらかがアレルギー体質ならばそれこそ主治医と相談してやれる筈だ。片方もついて来ていざの場合に備えてもそれほど意味はない。更におかしな思想信条でとも思われなかった。あり得るのは若干反体制派かと感じられるぐらいだった。

先日見知らぬ日本人から郵便が届いていて、おかしな写真が添えられていたが、エホバの証人などはどうしている事やら。接種をしていなければ布教活動など団体行動は出来ない。地下に潜るのかもしれないがあの手の宗教団体にとっては痛手であろう。

コッホ研究所の発表によれば59歳までで接種後に亡くなった人は一人しかいないが、60歳以上では9%は亡くなっている。接種やコロナに関係なく亡くなる人は亡くなる。当然と言えば当然の帰着。

25日から証明書がドイツでも有効になるので、情報を調べると、それほど良いものは出て来ない。何よりもチュリッヒのトーンハレが改装再オープンになって、出かけるのも面倒になったが、会場同様にとても保守的なプログラムになって興味薄だ。ブレゲンツに出かける翌日にいいものがあれば回って来られたのだ。10月からは再入国審査が無くなる筈だと予想している。



参照:
三リットルも飲みそう 2021-09-11 | 生活
初めての黄接種パス 2021-08-26 | 生活
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三リットルも飲みそう

2021-09-11 | 生活
接種二度目を終えた。七時間後になって初めて副作用が出てくると説明を受けた。一度目はなんでもなくても二度目は出る可能性があるのだが、必ず出るものではないという正式な説明である。それをはじめから知っていればまた違う計画を立てられたが、自分自身にとっては熱が出たら何時ごろかが重要だ。その前に済ませることを済ませておくだけである。兎に角腹ごしらえもして、涼しくして寝ていれば足りる。出かける前にシャムプーもしておいた。

水気は恐らく二リットル以上供給する。発熱するなら水気以上に重要なものはあるまい。しかし感じるのは矢張り効力を待ち受けようとする気持ちと身体の反応で、どう考えても異常に元気になる感じは否めない。まるで遠足前の興奮のようなものである。しかし糖尿病のように喉が渇く、この調子なら三リットル飲んで夜中に放尿しなければいけなくなりそうだ。必要ならば熱も一緒に尿として出る。

前回は空き空きで待ち時間が無かったが、今回は混んでいた。そして入り口には、一度目を打つ者は9月中に店仕舞いするので、二度目は自分で医者か接種バスを都合してくれと書いてあった。これは最早棄民のような扱いである。何をそこまでと思うのだが、要するに月内に二回目をセンターで打てる最後の接種者へと向けてある程度の駆け込み需要があったように思われる。

それでも二回目の接種だったので早く進んだ。接種パスの名前などもそこでいい加減に書き込んだ。検温は36.4度と聞いたが、体温計も持ち合わせずそんなに低いかと訝しかった。37度からは大分遠い。子供の頃は36.7度ほどあったと思うのだ。基礎体温は更に低いことになる。

人数が多いので個別キャビンに詰め込まれて、数十秒待って集団接種状態になっていたが、打ち子さんはやはり巧かった。大丈夫かと訊ねられても針の感覚が無い。そして前回同様に挿入感が無いので訊ねると、同じ0.3mmgとあった。本当かなと思う。脈拍も70から91に上がって、直ぐに下がって仕舞った。女医さんも前回よりは若かったがおばさんだったので全く上がらず。これで発熱しなかったら騙されていても分からない。

さてこちらの目的の接種パスは、親切なチェックアウトの親仁が親切に教えてくれて、サーヴィスだとやってくれた。右側のページに切り取るその接種済みの用紙を張り付けるのではなくて、ホッチキスで留めておくと、その下に三度目四度目を記入できるからいいのだとやってくれた。ぶっといホッチキスで厚みが出来るが、こちらはそれ以上に使うつもりはないので、それで十分である。早速パスポートと一緒に事務カバンの中に放り込んでおいた。

一方EUのデジタルパスはスクリーンショットが出来ないようになっているが、ドイツでは14日後から有効なのにフランスでは28日後からとなっている。近隣諸国では殆どこれで使えるようだが、フランスの国境問題と含めて、スーパーで買い物するにはもう少し時間が掛かりそうだ。少なくとも11月のバーデンバーデン行までに全面解放されるようになって欲しい。

今後の日程を調べているとミュンヘンの歌劇場での新体制「鼻」初日の券が発売されていた。既に書いたように11月の公演は申し込まなかった。理由の一つが初日が発券されていなかったからで、その背後には招待とか100%入場とかのいろいろな事情があったようだ。まだ殆ど残っていたのだが、先ずは安い席を確保しておいた。宿も定宿である。

しかし終了時刻がよく分からない。早いようならキャンセルすればよい。翌日は予定があるので、出来れば早めに帰宅したい。

気が付いたのはU30にどんどんと席を別けていることで、このことも一般発売を遅らせた理由なのだろう。こういうところにドロニー体制の違いが明白に表れている。新音楽監督ユロウスキーのオペラ指揮は生では観ていないので、それも楽しみである。予定ではその前にエンゲル指揮「サロメ」も観れるので、直接比較が出来ていいと思う。ショスタコーヴィッチ解釈に関しては、交響曲11番も良かったので、とても期待される。



参照:
接種一回目の風景  2021-08-14 | 生活
交響曲をぶっ潰せ! 2019-12-18 | 音
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パン屋への道のり

2021-09-10 | 生活
二度目の接種後の計画を練る。副作用の有無は分からないが、先ずは暑い日々が続いているので朝に走っておいた。頂上往復したかったのだが、あまりにも胸が苦しく、緑のベンチで折り返し。心拍数は151にしか上がっていなくても、どちらかというとブーストしない感じというのが正しいか。ピッチも140台というとても遅い感じだったのだが苦しかった。気温も23度までで陽射しは避けれた筈なのだが暑さを感じた。3キロほどしかなく高度差200メートル欠けるのに厳しい。やはり心臓にストレスを掛けるだけで不健康極まりないと思った。

そこで接種後翌々日ぐらいに体調良ければ目指すと変更した。気温は週末に落ちて来るので夕方走れるかもしれない。

心拍計のついたウォッチを忘れないように充電しておいて、接種前からつけておきたい。この気温ならばTシャツにチョッキでも引っ掛けて出かけよう。兎に角蒸し暑いと気分が悪くなる。水気供給も心掛けて、出かける前にもお茶だけは準備しておきたい。

シャツも洗濯屋で、次に必要になるのは10月である。秋らしくなるのかどうか。音楽会はマーラーの九番であるから、どこまでお勉強しようか。同曲は次は2023年だろうか。

ミュー型の変異にはファイザーのワクチンはあまり効果が無いようで、この二週間に二倍に膨れ上がったICU占有率から、愈々ドイツのワクチン施策も頓挫しそうになっている。それでも若年化するICUへ運ばれる患者から接種を盛んに呼びかける。そもそも床屋に行くなという様な脅しのやり方が間違えである。それでも接種しない者はしない、ちっとも恐ろしいことなどはないからだ。

あまり効かないようなワクチンを打って安心するのは少しでも重病化を避けれるだろうからで、それ以上の期待は出来ない。今後は接種快復証明に抗原検査、若しくはPCR検査をしなければ何も出来ないようになるかもしれない。

シュヴァルツヴァルトで薪窯のパンを食したものだからやはり肉屋で取って来るパンでは物足りなくなってきた。近所で自家製造しているのはトラムプ家出身の村であるが、そこに出かける機会は少なく、序でによるにも遠回り気味になる。考えもので、そちらに行くとすればボルダーリングを兼ね合わせなければいけない。週に一度でもまともなものが食せれば幾らかは満たされる筈だ。

シュヴァルツヴァルトの町外れを行く自転車に子供を乗せた若い父親を思い出すが、あの自転車ならば毎朝数キロ走っても十五分ほどであのパン屋に行けるのかもしれない。近くにももう一件あったようだが態々取りに行くようなパン屋でないことは分かっていた。

あのパンは何日経っても食せた。木曜日の朝に買って、日曜日も楽しめた。




参照:
アパートメントでの生活 2021-09-06 | 生活
アパートメント泊りの準備 2021-08-30 | 料理 
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人生における省察の日

2021-09-09 | 
承前)二日目のルツェルンへ向かう車の中で一月のインタヴューを聴いた。キリル・ペトレンコがその時のプロコフィエフ協奏曲一番のソリストであったトリアノフについて語っている。その内容には無観客演奏会でもあったのであまり記憶が無かったのだがとても興味深い評価をしている。トリフォノフを生で聴いたのは先月で、本来ならば昨年ルツェルンでベートーヴェンを聴く筈だった。しかし、それだけでどれだけ理解していただろうか?

ペトレンコは、トリフォノフを現在とても珍しいロシアンピアニズムの継承者としていて、彼自身もそこに含まれていて、為そうとしていたとあった。その心は、打鍵を曲によって臨機応変に変えれることとあった。これはトリフォノフのリサイタルを経験した者は皆分かった筈である。そしてペトレンコはその流派にあるものとしてリヒテルや若い頃のシュケナージを挙げていた。すると私にはストンと合点がいく。
Prokofiev: Piano Concerto No. 1 / Trifonov · Petrenko · Berliner Philharmoniker


何度も繰り返しているかもしれないがリヒテルを聴いた時にサンサーンスの協奏曲を弾いたのだが、これほどに軽やかな打鍵は見たことが無いという羽の生えるようなそれだった。驚きは、下馬評の重い強打のピアニズムの正反対からだったからで、続いてのガーシュインは全く異なっていて気が抜けてしまったのを思い出す。まさにトリフォノフの本領はそれを殆ど即興的なように選択できることだというのである。だからベートーヴェンでなにか定まったイメージを期待していても駄目だったろう。

それからすると今回同プログラムのピアノを受け持ったのは女流のアナ・ヴィニツカヤは、先ず前回三番の協奏曲で協演したユジャ・ワンとは異なり大音響のピアノを綺麗に鳴らす。恐らくそれが最大の特徴で、どちらかというと音自体の磨き方はそれほどではなかった。同じようにフランクフルトで三番を聴いたイタリアのベアトリーチェ・ラナとも異なるが、明らかに物足りなかった。比較する対照がいけなかった。

さて、ルツェルンでは休憩無しで演奏されたために「ロメオとジュリエット」は割愛されたが、ペトレンコ指揮チャイコフスキーオペラの一つの練習になっていたことだろうと思う。ネットで聴いてその様子は分かっている。そしてお目当てのスーク作「夏のメルヘン」。パリでの演奏評では昨年予定されていたドヴォルザーク家の死を扱ったアスラエル交響曲でなく、なぜこんなに影の薄い曲なのだと失望が書かれている。しかし、交響曲も詳しくはお勉強していないが、「夏のメルヘン」の方が出来が良いように思う。

上のインタヴューでもあったように比較されるのはシェーンベルク作「ペレアスとメリザンド」であるが、演奏はこちらの方が難しそうで、更にとても不経済な楽器利用が演奏会での可能性を減らしているだろう。最後に少ししか使われないピアノとかオルガンあり、中世の吟遊詩人を思わせる「盲音楽師」の三楽章では室内楽セッションが繰り広げられる。そこで盲人が見えていないように、作曲家が最早見る事が出来ない「アスラエル」で描かれた亡き妻とその父親のドヴォルザークの面影を追いかけているとされている。

音楽的な表現内容としての省察であるとかは、思い起こすところではヤナーチェックなどこれまたチェコの文化でしか思い当たらない。それ以上にその音楽語法のユニークさがよりよく知られる事でしか舞台上でも客席でも広くは受け容れられない筈だ。

一楽章の盛り上がりは強烈であり、久しぶりに大管弦楽の絡み合いを堪能した。そうした合奏を観るためには最高の席だった。平土間などではその絡みは全く分からない。二楽章はドビュッシーの「海」よりも否「牧神の午後」よりも遥かに激しい光が射し掛ける。ベルリンでのペトレンコの指揮振りを観ていると眩しい太陽に目を細めている。印象派でもあり、シェーンベルクの初期の「グレの歌」などを越えた表現主義でもある。マーラーなどの直接的なランドスケープ音や民謡の引用を使うこともないのだが、ペトレンコに言わせるととてもオーソドックスな方法で音楽化しているというのが、ある意味より大人の音楽となっているかもしれない。そして四楽章の物の怪の世界。当然のことながらマンフレッド交響曲へと繋がる面もあり、単純化すればディズニーのファンタジーとなるのだろうか?

本来はここにコルンゴールト作交響曲嬰へが入る筈だった。表プログラムのオベロン序曲との関連などコロナ版プログラムへの変遷などとても興味深いところでもあった。(続く)



参照:
「夏のメルヘン」の企画 2021-09-01 | マスメディア批評
BACHへのその視座 2021-08-22 | 音
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COOPでのお買い物

2021-09-08 | 料理
承前)二日目は余裕をもってルツェルンに向かった。国境ではスイス側で二人連れの一人が手を左に振ったので止まりかけたら、其の侭行けと指された。大抵はこういう時は内側に引き込まれるのだが、明らかに平素よりも検問が薄い。そして渋滞も避けてオルテン経由で向かった。逆コースになるので渋滞が無かった。スイスの場合は、チュッリッヒ・バーゼル・ベルン・ジュネーヴの大都市をどのようにアウトバーンが結んでいて、どのような流れが何時ごろ起るかさえ把握すれば、その他のトンネルや行楽を除けばそれ程厄介ではない。

18時に車庫入れの心算で途中で休んだりして向かったが、最終のルツェルン街中で遠回りしたので、18時14分に入れた。会場は18時50分なので買い物の時間は充分である。先ずはバッハマンを見たが列を避けるために一部構内で売っていて列は無かったが、昨年よりものが無かった。もはやただのコンディトライで購入するものもなかった。

そこでコープに行くと、チーズの安売りがあったので購入。更にビュンドナーフライシュとスイス名物の干し肉である。結構高価なものなのだが、地元で喰ってもどこで喰っても悪くはない。7フランケン弱で、夜食、朝食、家に持ち帰ってと一人で三回は食せた。シュヴァルツヴァルターなどに比較すると薄く切ってあって、味付けも繊細で、如何にもグラウビュンデンの高山の薄く透明な空気を感じる。コープの安売り製品で、恐らくエンガルディンの谷で作っているとは思わないのだが、ここまで楽しんでもらえば生産者冥利に尽きるだろう。

それを抱えていて、ワインコーナーに行くとこれまたティチーノのメルローが眼に入る。三本程良さそうなのがあったが、エティケットの実直さで購入した。2018年ものが11フランケンだったので損はない。調べてみるとチアッソ近郊のバレルナの醸造所で、安売りになって9フランケンだった。これでティチーノのメルロー深みがあれば大儲けである。ボルドーで7ユーロほどでまともなメルローは入手不可能だ。あるのはロールスロイスと呼ばれるポメロールだけである。

コープのレジはセルフサーヴィスだが親切でかわいいお姉さんが手伝ってくれて、本当に人件費削減になっているのだろうかと思った。何処のレジであそこまで親切にはしてくれない。慣れていないのは外国人だけかもしれないが。

出車後の復路も無事進み、国境も全く誰も居らずだった。結局宿でも要求されず陰性証明は誰にも見せることがなかった。

アパートメントでは、取り敢えず自宅から持ってきて冷してあったヴァイツェンでGermany標のグラスに注ぎ喉を潤す。ビュンドナーフライシュでやり始めて、朝とって来た薪窯焼きのパンで皿を拭う。本当は前菜かも知れないツヴィ―ベルクーヘンを電子レンジにかける。流石に早く中までほっかほっかになる。リースリングを開けるために後ろに追いやったのだが、それも空になり、冷蔵庫に入っていた歓迎ハイネケンも持ち帰ることにした。

雨戸を光が通るぐらいに下ろして、前夜は寝不足気味だったので、ぐっすりと眠り込む。朝食もパンもチーズもあるので全く困らない。チェックイン10時の出かける支度までゆっくりと過ごせる。

しかし夜明けも遅くなるとウロウロしていると始動が8時過ぎになって、最後のコーヒーも沸かして、皿やらをざっと流して片付けていると、出発は10時になった。当晩には一週間ただ券のデジタルコンサートホールの期限が切れるので、それまでに自宅に戻って、新たにアーカイヴになったベルリンでの初日の中継をハイレゾで聴いておきたい。よって、早めに戻りたかった。

途中で、赤ワインで有名なワイン醸造所フーバーの街で下りて燃料を入れるが154と大分高かった。更に次にはバーデンバーデンで下りると貨物などの車列があったので再びアウトバーンに戻りカールツルーヘを目指した。案の定工事渋滞で20分以上巻き込まれた。それを知っていたからフランスへと流れていたのだが、更に検問などをされると予定が立たないと思った。結局帰宅は14時頃だった。(終わり)



参照:
蕎麦きし麺と蕎麦ポレンタ 2007-09-01 | 料理
涙の出るようなケーキ 2005-10-02 | 生活
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いいところを突く

2021-09-07 | マスメディア批評
ルツェルン音楽祭のバーデンの新聞評を読む。記者は知らない人なので、11月のバーデンバーデンではどうなるか分からない。しかし地元紙がある程度の評を書いているのは重要で、今後オペラの初日のみでなく継続的な報告が必要になるからである。その点、今迄はルツェルンからの報告はしていなかったように思えるのでやる気が見えていい。

なによりもいいところを突いているのは、シューベルトの大ハ長調交響曲における二楽章への言及である。ダイナミックスと音色を丁寧につけて行って、慎重に盛り上がりを作ったとしている。その中でもゲネラルパウゼからチェロが優しい歌で慰めの欠片を与える、その前の悲痛の叫びが最高の盛り上がりだとしている。確かにこのアンダンテコンモートの出来は素晴らしかったのだ。

そしてその早く、息をも呑む終楽章においても弓の先を使ったりして、反復繰り返しでも全くエネルギーを失う事無く進め、最後は必ずしも芸術的な頂点ではないと考えているようで、上を向いて抑えるような手つきで響き鳴り終るようにしたとある。

ペトレンコの指揮は、決して派手なものではなく、エレガントな訳でもなく派手なものではないが、なによりも音楽的なのだと評している。そしてスタンディングオヴェーションの大喝采とあるが、少なくとも最前列では全く気が付かなかった。

なるほどペトレンコらの視線もそちらに向かっていたのだろう。いつものように?若干目線が合った様なのは一番最後であった。こちらも自分自身の拍手よりも会場の受け取り方にこそ興味を持っているのでどうしてもそのような感じになる。まさしくご苦労様という気持ちだ。

身体を一週間動かしていなかった。体調を崩しそうなので陽が陰るのを待って走りに出かけた。19時半ごろから短いコースを走った。緑のベンチの近くに行くと薄暮に人の後ろ姿が見えた。結局上で追いついた。上背のある爺さんで「雷天気」だと、下から走って来たのに驚いていたようだ。こちらが、暮れる時間に下らなければいけないのに、爺さんがいたのに驚いた。普通の足でどちら方向にしても下に着いたら闇になっていたと思う。

こちらも気温が下がるのを待っていたのだが、摂氏22度と高く、早めに走ることはならなかった。これからは日没が20時とかになって来ているので、夏時間でも18時ごろには走らなければ駄目になる。気温の問題であるから、フレキシブルにやって行かないといけない。

今週は二度目の接種があるので、その前に出来れば頂上まで攻めておきたいのだ。しかし気温は高いので、日没との競争になる。暗くなると足元が危ないので都合が悪くなる。しかし大汗掻いては走りたくない。

そう言えば今回の旅行準備は時間があまりなくて、往路で聴こうと思っていたベルリン初日の録音が上手くタブレットにコピー出来ていなかった。だから初日の往路はアスラエル交響曲を聴いていた。そして翌日には同じスーク作曲「夏のメルヘン」を聴いた。この二つの繋がりに興味があったからだ。本当ならば昨年アスラエル交響曲を聴ける予定だったが、それが無くなった分「夏のメルヘン」で埋め合わされた形になった。前者は夏のツアーで名演を聴かせたフランツ・シュミットの交響曲にも若干共通しているところがあったので、結果としてはどうだったのだろうかと想像した。



参照:
Fratzen, Lächeln, Schmerzensschrei, Georg Rudiger, BZ vom 06.09.2021
大河の流れのように 2021-09-05 | 音
待たれるワクチンベビー 2021-09-04 | 雑感
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アパートメントでの生活

2021-09-06 | 生活
(承前)今回のルツェルンの旅はシュヴァルツヴァルト宿泊に変更になった。理由は8月1日からの休暇返り政策に引っ掛かったからだ。外国に長く居れば帰宅時に困るようになっていた。特に接種済みでなければ制限が強かった。しかし、24時間以内の入出国は問題が無いので、それを利用したに過ぎない。

借りたアパートメントのオーナーと話した節に、例年ならばスイス内に滞在するのだと説明して、更にスイスからの帰国時にも検問が無かったと話したら、「全然やっていない」ということだった「しかし余所者の車番号ならば、どうだろうか」と不確かさを訝った。

予定通り無事にアパートに戻って来て、準備していたジャガイモサラダに地元からのミニザウマーゲンを付け合わせた。久しぶりに電子レンジを使うと早いと思った。でも少しでも長過ぎるとおかしな焦げ目が出来る。

プフェルツァー風ジャガイモサラダにしては水気が足りなかったが、持ち運びを考えるとそれも仕方がない。味は良く沁みていたが、どうしてもリースリングで流し込む。就寝前にしては食べ過ぎで飲み過ぎた。

お蔭で夜中に目が覚めて、朝5時から開くパン屋に8時前に出かけた。途中の経路は走っても往復小一時間掛かりそうなので車で走ったが、車も少なくとても気持ち良かった。やはりバイエルンとは異なって高峰もなく高地感もないがシュヴァルツヴァルト南部のほんわかな空気感がいい。日本のように湿り気の有る空気が少し重い。

帰り遠回りして写真を写して戻って、ゆっくりと朝食とした。面倒なコーヒーメーカーを三四度試しては溢して、ネットで調べて掃除しながら小一時間掛かった。やはりパンが薪窯だけに秀逸だ。これだけでシュヴァルツヴァルトに泊まった甲斐がある。

寝不足で再びベットの上で当晩の「夏のメルヘン」をお勉強する。あっという間にお昼時が過ぎていたので、昼食の準備にかかる。実質的には夜食まで時間があるので昼餐である。しかしアルコールを飲んで酔いを覚ます時間もない。

電子レンジを使って昨晩の残りのような材料で食事後に、シャムプーまでして、パン屋で購入したロール菓子などを食してコーヒーを愉しみぼちぼちと出かける準備をする。

アパートメントは予定よりも狭かった。大きな誤解は写真にも実物にもあった鏡の反射でもう一部屋あるかと思ったことだった。その他では流しが無くて、水を汲むにも皿を洗うにもWCへ行かなければいけなかったことで、どこも一長一短である。また寝室内に冷蔵庫があるので冷すときは夜中でも喧しい。また食卓は良かったのだが、事務机には低すぎて使い難かった。また延長コードを使っていて、コンセントが余りなかったことだ。

今回は、USBの長いコードを忘れて、また延長コンセントも持って行かなかった。USB差し込みは三つ分あったのだが、それを使い切れなかった。今後アパートメントの使用の場合に考えておく必要がある。因みに次回はブレゲンツ行で、一泊だけだがキッチンコーナー付きのところに宿泊する。

二日目の夜食は、パンを購入したので地元のエメンタールチーズの塊でいいと思った。リースリングもビールもあるのでそれで困ることはない。ジャガイモサラダもまだ三分の一ほど残っている。(続く




参照:
大河の流れのように 2021-09-05 | 音
待たれるワクチンベビー 2021-09-04 | 雑感
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大河の流れのように

2021-09-05 | 
松本からの中継を観た。スイス人指揮者デュトワが日本の斎藤門下母体の管弦楽団を振るというものだ。その指揮者がNHK交響楽団を連れてフランクフルトのアルテオパーで指揮したのを93年に聴いている。その時の印象は内声部が充分に歌えていなかったことだったが、N響も今はその欠点が直って来ている。勿論この楽団もそのような問題はない。三十年近く経過している。

その一方、指揮者の腕もあってか音楽が流れない。ドビュシ―の「海」などはまるで北斎の版画の様で、その瞬間瞬間がスライドシューのように変わって行く。そもそも音楽は河の流れのように前から後ろへとリズムに乗って流れて行くものだと思うがそうはいかない。その為に指揮者は皆努力をしていると思うのだが、斎藤の楽団は小澤征爾ぐらいが指揮しないと中々流れないのである。要するにかったるく、まどろっこしい。

その流れの最高に早いのがキリル・ペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーのシューベルトの大ハ長調交響曲終楽章だった。リズムの流れの速さは必ずしもテムポが早いことを指すのではなく、下流へと流れるポテンシャルエネルギーの大きさだと思う。それがアンサムブルの上からバスへの積み重なりによるつまり和声的な律動感の作り方でもある。まさにカラヤンサウンドで犠牲にされたのがそれではなかったか。ペトレンコの知られている拘りはそこにあるだろう。

兎に角、これ程に活き活きと流れを進める指揮者もいないと思うが、フィルハーモニカーもそれが身に付いてきている感じで、ラトル指揮時代の一斉放水とは大きく異なる。現代的でその一触即発のポテンシャルエネルギー感が素晴らしい。ラトルやアバド時代には、それがフィルハーモニカーの芸術関係無しの発し発しの姿勢と批判的に言及されていたものだ。

それ故に、ペトレンコはミュンヘンで身近に観察した時と比較しても全身全霊で制御している。今回そうして初めてフィルハーモニカーに選出された時のペトレンコのコメントのその流れの大きさについての発言などを思い出した。要するに彼が指揮台に立って受ける鉄砲水のようなその激流の激しさである。これは比喩的だけではなくて実際の音圧でもあるのだが、今回も舞台下とは言いながら二列目で聴いてよく分かった ― もう一度同じフルプログラムをフランクフルトでこともあろうに二列目で聴くのだ。その様子を身近で観ていると殆ど「大丈夫か」と声を掛けたくなったぐらいに顔の表情や首や全てを動員して指揮しているのだ。

それでも三楽章のトリオ部分などは未だ演奏がこなれていなくて、これからよくしていかなければいけなく、僅か三度目の本番ではやり切れていないことは明らかだった。それに引き換え二楽章は可成り出来上がっていた。新聞評などでもホルンにおける遠近感に言及されているが、木金管を含めて可成り重要な指摘であろう。反面オーストリアの批評では歌が無いとしていたので、余程ザルツブルクでは都合が悪かったのかととても訝られる。

勿論弦楽器の使い方もシューベルトの室内楽におけるそれに見られるようにとても精妙で、今回のフィルハーモニカーの演奏においても、殆どクレメルが弾いたソナタのように殆ど発声しないほどの手法が活きていた。近年話題になっているベアヴァルトの交響曲での技法が1840年頃の創造として、この曲はその二十年ほど前の創作となる。この曲の木管群を前に出して演奏させるズビン・メータなどの試みもあって、音色と遠近法などとても興味深い。

しかし、今回の演奏を聴いていて、それはもう殆どブルックナーの世界と感じたのが正直なところだ。当夜のプログラムにはこれまたペトレンコの片腕のクラスティング氏が腕を振るっているのだが、この交響曲の背景には資本主義や産業革命への疑念によっての南独墺ロマンティズムのファンタジーが指摘されている。

ブルックナーに於いての反復運動はそのもの蒸気機関における弾み車音だとするのが昨今の学術的な見解の様であるが、シューベルトにおいても水車小屋の殆ど永遠運動のような律動は無視できないのである  ― ベートーヴェンなどの馬車の模倣とはまたどう異なるか。

ペトレンコがデジタルコンサートホールのインタヴューで語っている様にブルックナーを知りたいならシューベルトをと、この演奏を聴いて思わない人は皆無だろう。(続く)
Schubert: Symphony No. 8 “Great” / Petrenko · Berliner Philharmoniker




参照:
陰性証明書の出番なし 2021-09-04 | 歴史・時事
待たれるワクチンベビー 2021-09-04 | 雑感
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待たれるワクチンベビー

2021-09-04 | 雑感
ルツェルン行は今年は急遽短縮して僅か二泊であった。しかし充実度は高かった、そして疲れた。通常とは異なる煩わしさもあった。何よりもマスクをするだけでも解放感からは遠かった。スイスのその感染度は新陽性者指数では173と可成り高い。医療もひっ迫してきているがまだ崩壊とはならない。それだけでも気を使う。

水曜日には無料の前プログラムの予約もしていたのだが、そこに予約に限らわず、例年のように長い列を作っているのを見て、入場を断念した。市井の人が楽しみに集まるのは分かるのだが、入場制限を掛けていないことが分かったからだ。予約で並ばさずと場所取りとはまた別なのだ。こういうことをやっている社会はコロナ対策が出来る筈がない。フランス語圏でもないのにその感覚には呆れた。来年には問題なく百パーセント収容できるようになるのか、それ以前にマスクが外されるのかどうか。

ドイツから出かけるとやはりサージカルマスクが目立つ。ドイツでは法制化されたバイエルン州以外でもサージカルを見かけることは少なくなった。特に室内ではあれでは感染の危険から身を守れない。確かに息苦しさは防げるかもしれないが、防御にはならない。

国政政党であるカルトグループとの闘争で有名な選挙ウォチャーちだい氏が語っていた。モデルナ接種後のホルモン異常で「ピンピン」であると。それは冗談ではない、この件に関しては奨められて接種前に調べたことがある。要するにイムポテンツになるとかの噂の真相である。しかし米国などの様々なスタディーで否定されている。そもそもどこからそうした噂が出て来たのかは想像もつかない。寧ろスペルマ数に増加がみられるというスタディーがあったが、関係しているかもしれない。明らかに副作用として何かがある。

二本目のファイザー接種を来週に控えて新たなテストを受けることを断念した。ワイン試飲会よりも10月以降の計画が大切である。万が一にでも陽性になると大変である。そして一本目を打ってからホルモン異常に悩まされている。兎に角、コロナ禍で感染して何となくしっくりこなかったものが、少なくとも精神的にも完全に積極性が出て来ていて、それどころか若干躁気味なのである。心理的にそれほど接種をしたから嬉しい状況である訳が無い。しかしお勤めと称して距離は短くなったとしてもそれなりの高度差を週二回走り抜けている。少なくとも動機付け無しには難しいものなのだが、習慣になりかけている。

要するにどうもメッセンジャーワクチンには、精神的肉体的に働きかける力がありそうで、一体どこになにが効いているのだろうと不思議に思っている。コロナによる鬱症状とかは既に実証されているようなのだが、ワクチンによる躁はこれからの研究だろうか。

昨年のコロナでの人口増加は思われていたように無かったようだ。やはり鬱陶しさが先に立つ。それに比較するとワクチンは良い効果が出るのではないかと思っている。ワクチンベビーの量産である。

ルツェルンの会場の当日券売り場には一時間半ほどいた。しかし殆どが地元の人で前プログラムの券を取りに来たり、予約券を取りに来たりで新たな需要は無かった。一枚売ろうと思っていたので全く駄目だと思った。当然のことながら探している人もいない。最初にボックスのおばさんに残券状況を訊ねていたので、最高席の340フランケンしか残席はなかった。つまりその半額以下の私のもっていた143フランケンの席は売れる筈だった。そもそも需要が無ければ売れないのである ミュンヘンの「トリスタン」との大きな相違は、街も小さいだけでなくて学生風の若者も皆無だ。例年ならばそれなりに若い人も来ているのだが、今年は違っていた。



参照:
陰性証明書の出番なし 2021-09-04 | 歴史・時事
劇場の見事な人流整理 2021-08-17 | 文化一般
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陰性証明書の出番なし

2021-09-03 | 歴史・時事
この日曜日から日本からはドイツ入国に制限が付けられる。ロベルトコッホ研究所が日本をハイリスク地域にリストアップしたからである。

ここではスイスがリスト入りしないかとこの二週間程準備万端整えて来たのでお分かりかと思う。しかし違いは幾つかあって、EU内ハイリスク地域からの帰宅は接種証明書が無くても五日間の自己隔離とその明けの検査で観光旅行も出来たのだ。勿論殆ど嫌がらせのような買い物も行けない隔離である。しかしEU外からの帰宅は接種証明が無くても可能だが、危険地域からのドイツへの観光旅行は不可となっている。接種証明保持者だけが観光旅行を許される。この場合接種証明と同じように快復証明は半年間は有効になる。

今後日本が何時リストから外されるかは分からない。二週間毎に検討されるようだが、今回の漸くの指定では新感染者指数に注目されたとは思われない。勿論オリムピック忖度という話もあるのだが、今迄のコッホ研究所の分析からすれば、日本の医療崩壊が効いていると思う。新感染者数ではドイツが後を追って上昇しており、場合によっては日本を抜くこともあり得るからだ。ドイツ同様の水準のところはリストアップ化しないということでスイスは免除され続けている。実際にはスイスは日本と同じほど危ない。しかし医療崩壊はしていない。

そこからすると極短期では外されることはないと思う。四週間としても10月初めまでである。なるほど日本へ飛ぶには証明書の如何に係らずその前にPCR検査をしないといけないというので通常の滞在で感染の危険があるとすれば観光で飛べる勇気のある人は少ないだろう。状況は七月と八月の末では大分の差がある。接種していても感染の可能性が高まって来ている。二月程先にはどうなる事やら。

ルツェルン行の記録をメモしておく。貴重だと思う。先ず往路は結局フランス経由とした。理由はカールツルーヘの渋滞で時間を掛けるならば渋滞情報の無いアルザス入りは同じ時間を掛けても意味があると思ったからだ。取れ取れの陰性証明書が有れば少なくとも接種証明と同じ力を持つ。そしてプファルツとの国境は全く平常通りで検問なしだった。ドイツ番号の車量も平常に近い。バーデンヴュルテムベルクへのライン越え入り口も全く検問なしだった。フランスの一部は日本と同じハイリスク地域になっている。だからいつでも検問をする理由はある。

時間があったので10時の二十分ほど前に早めに検査を受けて、途上スイスのヴィニェッテを購入、宿に着いたのは14時半頃だった。身繕いをして、早めにスイスへと向かう。いつものラインフェルデンの国境も一切検問なしで珍しかった。どうもコロナでその他の人が少ないということらしくあきあきになっていた。

国境を越えたところでヴィニェッテを貼り忘れていたのに気がついて、道路脇に停めて急いで交換する。チューリッヒ方面に向かうが、ナヴィの調整が間違っていて、どうしてもフェリーに乗せようとするので煩わしかったが、敢えてアーラウ経由で走り、殆ど渋滞もなくパーキングで休みながら17時過ぎに駅ガレージのP2に入車。音楽会場KKL用に予約も必要なのだが早めで誘導されて問題なく入れた。ギリギリの入車をするなら予約が必要だろう。それ以前にあの誘導路に入るのはUターン禁止をものともせずに入らないといけないのが不愉快である。バスラインがあるとしてのなぜああいう風にしてあるのかは未だに不明。そもそも駅前に誘導する経路も態と遠回りにしてある。要するに余所者を捌いて過密させたくないという主旨なのだろう。流石に通うと分かるようになった。

復路も21時過ぎに出車して、11フランケン、ミュンヘンの半額以下である。帰りは最短距離のオルテン経由バーゼル方面で走る。注目の国境も無人だった。平常ではない開放である。アパートに着いたのが、22時半前だった。結局初日は陰性証明の価値無し。(続く



参照:
悪化するスイスの状況 2021-08-24 | 歴史・時事
接種予約を取ってみる 2021-08-12 | 歴史・時事
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「夏のメルヘン」の企画

2021-09-01 | マスメディア批評
フランクフルターアルゲマイネ新聞にヴァルトビューネでのコンサート評が載っている。この高級紙が音楽会評を載せるのは音楽劇場評の五分の一ほどしかない。つまり重要な音楽会しか扱わない。音楽劇場は公共の社会的な催し物であり、音楽会の多くはエンターテインメントの興行であるから当然かもしれない。

しかもそれがヴァルトビューネというオープンエアーの大イヴェント会場となると余計に稀有なことである。そこに何が報告されているのか。本当の初日にはそこでは触れられていない。ヴェバーのオベロン序曲とシューベルトのハ長調だけのプログラムで、PAが使われているにも拘わらず、音楽的にも印象に残る報告となっている。

つまり大雑把に捉えると、シューベルトのこの交響曲がもっている浪漫性であり、それが自然との繋がりとなっていて、ヴァルトビューネでは小鳥の囀りや天候を感じて音楽との掛け合いとなっていたというのだ。そしてそれを感じているのは、長く苦労の時を過ごしてきた舞台関係者だけでなくて、こうして皆と一緒に共鳴し合う聴衆であったということであった。ある意味、音楽の本質的なことに迫っている。

CPOに録音したスーク作曲「夏のメルヘン」のブックレットを読んだ。新たに見えて来たのは今回のオープニングツアーにおける知的なプログラミングアイデアだった。書いているのが右腕クラスティングなので、彼が直接係っている可能性も強い。スークの昨年同じ枠組みで演奏予定だったアスレアル交響曲の続編になっていて、そこではスークの近親の死が提起となっていて、この曲はそこからの新たな人生が背景にあるとされる。そうなると昨年お勉強しなかったアスレアルまで時間が割く必要が出て来た。気が付くのが遅すぎた。

そしてこのメルヘンで描かれているプックの世界はそのもの「オベロン」の世界である。「オベロン」を高く評価したのはマーラーであり編曲をして復興させている。同じようにスークを評価して死の前の最後に準備していたのがまさにこの「夏のメルヘン」だったようだ。音楽的な素材や内容に関しては改めてとなるのだが、知的にとても面白い。

作曲家の孫のヨゼフ・スークがペトレンコ指揮の録音を聴いて感動して手紙をよこしたようで、ペトレンコが望むように今回のツアーにおいても徐々にこの曲が大きな話題となってくるような演奏が出来るようになるか。

10月のフランクフルトのオペラの券を二枚購入した。ペトレンコと並び称されたティテュス・エンゲルの指揮で初めての新制作だと思う。ニールセン作曲「マスケラーデ」を振って演出はバイロイトで一躍話題になったトビアス・クラッツァーが演出する。個人的には偶然入手したLPからとても馴染みのあるオペラであり、とても期待している。だからいい席を求めたのだが、減員で二人席主体に売っているのでシングルで買えるところは殆ど無かった。

翌日に発売となっていたので準備が進んでいたことは知っていたのだが床に就いてから発売に気が付いて急いで買い付けに走った。久しぶりの友人の指揮であり初日で高価な席も辞さないつもりでいたのだが、ないのである。定期会員などに配るだけならまだしも、シングル規制が酷かった。二枚購入してもこれという席が無かったので、先ずは安いところでお茶を濁した。

もう一枚はそれに先立って、昨年マルヴィッツ指揮で上演されたバリコスキー演出の「サロメ」を今回はエンゲルが再演指揮する。評判が芳しくなかった指揮だったので失敗に終わっているようだが、指揮の力で成功に導いて欲しいのだ。同じ10月に音楽監督としてミュンヘンで「鼻」を振るユロウスキーとの比較になってくると思う。

10月はドナウエッシンゲン音楽祭も振るので、ペトレンコならば有り得ないほどの並行した仕事になるようで、その人間性からするとそうなのかなと思う反面、全てを高水準にこなせれば矢張りそれは凄い事だと思う。



参照:
Teambuildung in freier Wildbahn, Clemens Haustein, FAZ vom 30.8.2021
爪楊枝では駄目な話し 2021-06-14 | マスメディア批評
まだまだ遠い目標点 2021-03-28 | マスメディア批評
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