ミュンヘンでのプーティンのご友人指揮者ヴァレリー・ゲルギーエフへの処置が決まった。我々最初から反対していた者には今更感がある。それは最早プーティン大統領がキエフに戦略核を投下してという事態に再度繰り返しておきたい。抗議するときは徹底的にやっておくべきだったということであり、芽の内に摘んでおかないと取り返しがつかないということだ。森の中を小一時間歩きながら考えていた。
キエフで核弾頭が破裂すればNATOはモスクワに報復するしかない。要するに今日明日にでも世界の大都市が核の雲の中に納まる。それを避けるには権力者に交戦力を持たさないことに限る。それ以外には方法がない。
ありとあらゆるポピュリストは権力を掌握すると同じような独裁者になる。ポピュリズムにはより一層注意しなければいけないのはそれゆえである。
文化政治的に今回のゲルギーエフ排除の流れを扱っているのはフランクフルターアルゲマイネ紙である。最初にSNSが騒ぎ出したとして、先ずはカーネギーホールのキャンセルで成果が出た。私も少なくとも少しは力になれたかと思う。なぜならばそもそもの問題点を認識していたからである。
罪状が挙げられていて、ゲルギーエフの故郷の分離独立運土において、そしてクリム半島軍事侵攻への賛意署名、そしてシリアでの凱旋演奏会、ホモ禁止法案への賛意など、そしてロシア国内で政治的な自由の代わりに得た権力と富。しかし元々はクレムリンの文化審議者に招聘されたことで、もしそれを断っていたならば大変厳しい状況に追い込まれていただろうとしている。その後はペテルスブルクの劇場のヴラディオストックでの子劇場の建設や各地の音楽祭、後進の為の教育機関など公私共々に大きな権力と儲けとなったとある。
比較例として1949年3月にニューヨークでショスタコーヴィッチがノヴォコフにスターリンによるストラヴィンスキーの演奏禁止の責任を問われた時、スターリンを支持する以外にはその場で亡命するしかなかっただろうと書かれる。つまり、その後の信憑性に議論のあるヴォロコフによる「証言」が出て、多くの違う主張などが聴かれたが、同時に事実と虚像は異なるとして、また「マクベス夫人」におけるウクライナの餓死による虐殺をも擁護したにも拘らずの上演禁止などのその作曲家の楽天性へも疑問が投げかけられる。
それらの意味からは、同様にプーティンのお友達のソプラノ歌手アナ・ネトレブコは、50歳の誕生日をクレムリンで祝ったなど派手な宣伝としては使われているが、殆ど無料で奉仕しているだけで殆ど権力と無縁としている。
そこでバーデンバーデンの祝祭劇場も、ゲルギーエフとの26年間の協調関係を停止しても、復活祭出演のネトレブコには改めて返答の機会を与えた。そしてロシアの有名人がとても危険な状況にあることを考慮して、様々な可能性をオプションとして残しておくとした。当然のことながらゲルギーエフがプーティンに殺されても全くおかしくないという事でもある。
同時に一様に誰にも容疑をかけることはなく、東西欧州文化への紹介への全ての出演者には劇場が責任を持つとしている。要するに要らぬ発言をしないように誓約書をとるという事だろう。
参照:
Der Lärm unserer Zeit, Jan Brachmann, FAZ vom 26.2.2022
ソヴィエトからの流れ 2022-02-28 | 音
心拍52でノンレム睡眠落ち 2021-03-16 | 生活
キエフで核弾頭が破裂すればNATOはモスクワに報復するしかない。要するに今日明日にでも世界の大都市が核の雲の中に納まる。それを避けるには権力者に交戦力を持たさないことに限る。それ以外には方法がない。
ありとあらゆるポピュリストは権力を掌握すると同じような独裁者になる。ポピュリズムにはより一層注意しなければいけないのはそれゆえである。
文化政治的に今回のゲルギーエフ排除の流れを扱っているのはフランクフルターアルゲマイネ紙である。最初にSNSが騒ぎ出したとして、先ずはカーネギーホールのキャンセルで成果が出た。私も少なくとも少しは力になれたかと思う。なぜならばそもそもの問題点を認識していたからである。
罪状が挙げられていて、ゲルギーエフの故郷の分離独立運土において、そしてクリム半島軍事侵攻への賛意署名、そしてシリアでの凱旋演奏会、ホモ禁止法案への賛意など、そしてロシア国内で政治的な自由の代わりに得た権力と富。しかし元々はクレムリンの文化審議者に招聘されたことで、もしそれを断っていたならば大変厳しい状況に追い込まれていただろうとしている。その後はペテルスブルクの劇場のヴラディオストックでの子劇場の建設や各地の音楽祭、後進の為の教育機関など公私共々に大きな権力と儲けとなったとある。
比較例として1949年3月にニューヨークでショスタコーヴィッチがノヴォコフにスターリンによるストラヴィンスキーの演奏禁止の責任を問われた時、スターリンを支持する以外にはその場で亡命するしかなかっただろうと書かれる。つまり、その後の信憑性に議論のあるヴォロコフによる「証言」が出て、多くの違う主張などが聴かれたが、同時に事実と虚像は異なるとして、また「マクベス夫人」におけるウクライナの餓死による虐殺をも擁護したにも拘らずの上演禁止などのその作曲家の楽天性へも疑問が投げかけられる。
それらの意味からは、同様にプーティンのお友達のソプラノ歌手アナ・ネトレブコは、50歳の誕生日をクレムリンで祝ったなど派手な宣伝としては使われているが、殆ど無料で奉仕しているだけで殆ど権力と無縁としている。
そこでバーデンバーデンの祝祭劇場も、ゲルギーエフとの26年間の協調関係を停止しても、復活祭出演のネトレブコには改めて返答の機会を与えた。そしてロシアの有名人がとても危険な状況にあることを考慮して、様々な可能性をオプションとして残しておくとした。当然のことながらゲルギーエフがプーティンに殺されても全くおかしくないという事でもある。
同時に一様に誰にも容疑をかけることはなく、東西欧州文化への紹介への全ての出演者には劇場が責任を持つとしている。要するに要らぬ発言をしないように誓約書をとるという事だろう。
参照:
Der Lärm unserer Zeit, Jan Brachmann, FAZ vom 26.2.2022
ソヴィエトからの流れ 2022-02-28 | 音
心拍52でノンレム睡眠落ち 2021-03-16 | 生活