Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

往復499kmのバーゼル劇場

2022-09-16 | 雑感
バーゼルの劇場往復は499kmだった。アルザス経由で最短距離を走れたと思う。所有時間は帰り飛ばして2時間半ぐらいだった。嘗ては2時間を目指したが、流石に廃車同然の車では潰すのを早めるだけだ。それでも最高速220kmを越え乍ら急ブレーキ無しに走り抜けたから空いていたという事だ。新しい眼鏡と新しい車なら2時間も可能だったろう。

ミュンヘンの劇場往復が最短を目指しても700kmに至るので、往復200kmは大分違う。走行時間にして帰宅までの一時間は居眠り運転には十分だ。未明1時半前の帰宅は安全運転の限度だと思う。

バーゼルでは19時半に始まる所を駐車場が開く18時半を目指した。14時半ぐらいにワイン街道を出た。順調に燃費を押さえていつものところで手洗い休憩して、国境で再び、今度はスイス側で停められた。18時ごろに遠方から上着を着て夏の観光シーズンも醒めた今入国する奴は怪しい。確かに過去もこの時期は仕事が多かったのだが大抵は午前中であるから、今回は時刻も悪かった。珍しくきっぱりと申告物はないと宣言出来たので、車内捜索はなかったが、ここのところ頻繁に出入りしたのは記録されただろうか。交通違反金も踏み倒していないので現在のところは無傷である。

そして、劇場へは慎重にナヴィに従った。そして思い出した。前回のご招待の時は、劇場駐車場に入れるのに苦労したのだった。今回も態々HPに注意書きがしてあったので、それで駐車場をゴールに仕直したので良かった。それでも街中の最も面倒なところを走るので、大変な思いをしたのを思い出した。あの時はナヴィもなく行き付いたのだろう。それでも先日誰かの呟きに書き込んだように、バーゼル中央駅前の高架のところで立ち往生した。誤って駅前に出そうになった。そこに入ると蟻地獄なのだ。何とか車線変更で難を逃れた。

駐車場は素晴らしいのだが、今度は出口がエレヴェーター経由以外には工事中だった。結局帰りもこれで遅くなった。出庫したのはなんと23時を越えていたのだ。往路の様に3時間を見積もれば早くても未明2時着である。燃費を犠牲にしても飛ばした甲斐はあった。ピクニックにサンドイッチ一枚と、やわらかなソーセージと硬いのとこれも助かった。バナナには手を付けずに、テルモスの温かなセイロン茶も効いた。出庫が遅れたお陰で劇場で小用をしておいたのでノンストップで走れた。なによりも天候が悪くなくて見通しが利いていたのもよかっただろう。

ミュンヘン日帰りの条件はそうなるとやはり遅くとも22時前に出庫であろう。往路の疲れは公演時間や内容などで相殺されるところもある。あとは天候が大きい。バーゼルはルクセムブルクなどとあまり変わらないのだが、国境がやはり大きなハードルになる。

週末はラディオ放送などが山積みで、その間にワインの試飲会などがあるので結構疲れそうである。車は往復200km程の事なのであまり問題にはならない。燃料も何とかなる。但しエンジンオイルの警報が点いていたので、あれだけ飛ばすとつまり回転数を上げると、僅かの距離で200ミリリットル消費となるのか。価格からすると2.5ユール弱、燃料代を80ユーロとして、それに加わることになる。それでも車借りるよりは断然安い。



参照:
宝物館とならぬ音楽劇場 2022-09-13 | 文化一般
噴水の鴨に弄ばれる 2006-03-26 | 文化一般
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何時の間にドイツの森に

2022-09-15 | 文化一般
「魔弾の射手」のお勉強だ。動画資料のハーン指揮コンセルトヘボーのが面白い。演出は悪魔の進行みたいで、なんとも言いかねるが、その指揮はやはり間の取り方が絶妙で、アウフタクトが効く。ぺトレンコのアシスタントとして、復活祭の「フィデリオ」をつけていたようで、なるほどペトレンコが出来ないような間で稽古をつけていたのだろう。なによりも歌手が歌詞を歌いやすいと思う、だからテキストがよく際立つ。合唱出身ということで、それだけでもおおきな長所である。

反面、管弦楽に細かな指示をするだけの指揮は出来ていないようで、それは犠牲になっている。しかし十分に音楽的で響きも美しく、ミュンヘンで振った人気のマナコルダがお話しにならなかった。

そうなるとどうしても考えてしまうのが、今回振るエンゲルの若い時分の指揮との比較であるが、テムピの安定感も若干問題で、同時にやはり読解力がハーンには若干欠けているように感じ、危ないバランスのところも出てくるが、声の魅力が多くを埋め合わせる。オペラ指揮者として今回の飛び入り指揮のようにいい歌手を指揮できると可能性が高まるのは間違いない。その点では明らかにフランクフルトの監督となるグックアイスよりもいいように思う。

Wikiを見ていると原作のお話しは、ヴェーバーが行ったマンハイムからの遠足でのハイデルベルクのノイブルク修道会に伝わっているようで、そもそもは怪奇話である。どうしてもネッカー周辺でグリム兄弟が集めていたニーベルンゲンの神話とかを印象するのだが、より身近な昔話である。元々の舞台はライプチッヒ周辺らしいが、ヴェーバーは脚本のキントと舞台を三十年戦争後のボヘミアに移している。やはり、出来るだけ現実感を弱めたということなのだろう。

もう既にここだけで一つの回答がなされていて、ザクセンやテューリンゲンのドイツの森のイメージとかするものは、19世紀の中ごろの妄想の広がりで形づけられていった印象という事である。その一方で、「オベロン」であるとか、ヴェーバーはそちらの方での試みをしていて、所謂独ロマン主義とされるものには違いない。

因みに上の上演は学芸会のような英語芝居で曲が繋がれているもので、外国での上演ということもあり台詞がごっそりとそれに置き換えられている。往路の車では台詞付きの完全版を流していかないと駄目だと思った。丁度走行時間で楽曲が終わりそうで丁度良い。

それにも拘らず、上の演奏は矢張り優れていて、最後迄流せば何らかの強い印象は得られるのではないかと思っている。同時に、マルタ―ラーが演出するとすれば、台詞をどうするのか、そもそもどのような枠組みでこの作品を上演するのかなど、まだまだマルタ―ラーファンではないのでよく分からない。但しエンゲルの指揮は可也期待出来るのではないかと思う。

先日買い足しをしたエンジンオイルを入れた。下の限界線と丁度ぐらいだったが、大体の減り方は分かったので、200ml程を入れておいた。これで今回と週末の試飲会、そして来月冒頭の迄ぐらいは綺麗なオイルで走れるだろうか。



参照:
身体に堪える今日この頃 2016-09-15 | アウトドーア・環境
魔弾の射手から守護者へ 2022-09-11 | 文化一般
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来年の祭りからの避難計画

2022-09-14 | 
来年の入場券を購入した。来年のワインフェスト期間中の避難計画である。既にアパートメントは予約してある。致し方なく外泊するならば、どこかで少しでも価値のある滞在をとなる。すると早くから各地の催し物などを調べて当該の週末を過ごすように計画しなければいけない。まだ未定の音楽祭などもあるので先ずはこれというのを選んでおいた。

イザールフィルハーモニーの券は幾つか購入した。知らないホールや劇場の席を購入するときは写真などから徹底的にその音響等を想像する。その時点で、過去の経験や勘で可也の予想可能である。そうした時にも役立つのはやはり座席の価格クラス分け配置である。

なぜここから安くなっているのか、若しくは隣は高いのかなどはとても参考になるのである。多くの場合は明らかな理由が見つかったりする。平土間なら舞台との高さ関係とか、横の庇が掛かるとかの場合が多いが、そうでなくてもサイドからの反射などは典型的なものだろう。

イザールの印象は、視覚的にもとても悪い。恐らくトヨダのホールとしては聴視覚ともエルフィーが代表的なものになると思う。あそこの音響に関してはケチはつけられても視覚と雰囲気に関しては文句のつけようがない。戦後のオペラの代表的な劇場と並んで、如何にも民主主義的な座席配置でコロニアムを形成している。それに比較するまでもなく、シューボックス型のイザールフィルハーモニーでは、デザイン的にも納得がいかない。座席選びにおいても、躊躇させることが多かった。反対に一番良さげな座席は一目瞭然であって、価格も高い。反対にクラスを落としているところは如何にも音響的にも問題がありそうに感じさせる。兎に角試してみるしかない。

旅行前に古くなったモッツァレッラを片付けるために残りのナスとのレシピ―を試してみた。コツは、ソーズを最初にナスに塗っておくだけだが、上手く焼けたと思う。ワインにも合わせて様々なヴァレーションを愉しめる。

木曜日の待ち合わせの予定が変わってきた。先方の都合が悪くなったようだ。理由ははっきりしていて、知己もある父親の介護の必要がいるということで、急に悪くなったのか、偶々手が足りなくなったのかは分からない。最後に見かけたのは二十年ほど前になるかもしれない。ご本人は医師なのだが、既にその時にものの話し方や表情などが若干固く思えた。推測すればまだ60歳代だったと思うのだが、それは可也弱っているだろうと思う。アルツハイマーであってもおかしくないだろう。

何はともあれ16時過ぎに入る予定だったが、約束が無くなったので、一時間前に入ればいい。18時30分に車庫入れ可能になる。となれば15時前に出ても間に合う。これは大分楽で、ルツェルン日帰りの時の13時前に比較すれば二時間半以上は余裕がある。走行距離もそれだけ短いので、公演終了が22時15分としても帰宅は未明一時過ぎを計算できる。



参照:
行きはよいよい帰りは怖い 2022-09-09 | 生活
宝物館とならぬ音楽劇場 2022-09-12 | 文化一般
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宝物館とならぬ音楽劇場

2022-09-13 | 文化一般
秋の満月を写した。今年は1963年以来の近距離にあるという木星に気が付いた。次にこれほど近づくのは103年後らしい。天体少年ではなかったので、平素からあまり意識していないが、あれだけ近いと木星であろうが土星であろうが気が付く。

土星に関しては嘗て望遠鏡で輪を確認したことがあるので、認識があったが、木星に関しては記憶があやふやだ。先の1963年も知らない。月の写真に関してはデジタルカメラを、それも手撮りでクレーター迄確認可能な写真を撮れるのは分かっている。しかし、木星を撮ったことなどはなかった。眼鏡を整えれば肉眼でもかなりのところまで見えそうなのだが、木星の横縞迄はなかなか確認できないだろう。

木星の公転軌道が12年周期で最も太陽に近づいて、更に内側の地球の近づくという事になる。その距離591ミリオンキロらしい。廃車になるような頑丈な乗用車が走る総走行距離の限界が地球から月までの距離0.34ミリオンキロほどなのでやはり遠い。それでも引力の影響を受けるようで、重力が318倍の重量なので、月の0.0123倍とその距離で考えると、重量を距離の二乗349Tミリオンキロと0.116ミリオンキロで割るとそれ程ではないが、プラスに働く。9月16日に最も近づくようだ。

その前に、課題になっていたLINUXでのブルーレイの読み込みを試していた。最終的には特別にプログラムを入れることなしに読み込んでくれたが、自身で焼いたブルーレイやDVDは再生可能となっても、肝心のブルーレイソフトは再生不可だった。ウィンドーズでもプログラム無しでは出来なかったのでガードが上手く効いている。LINUXでガードを破るプログラムを入れないと駄目だと分かった。今後DVDを購入するつもりはないので、やはり簡単にブルーレイを再生可能なシステムにはしておきたい。態々リッピングするのなんてばからしい。すると余計に物理的メディアを購入するものなんていなくなる。解決すべき問題は分かった。

各地では積雪もあったようで、寒さ対策も徐々に考えていく。木曜日のお勉強も始めないといけない。初めての「魔弾の射手」で200ページ程の楽譜なので何とかなるだろうか。一つは適当な演出のヴィデオは観ておきたい。ミュンヘンでのそれはあまり参考にはならなかった。演出もよくなかったが指揮に才気がないと全然面白くない。

そこで最近オランダで誰かに代わってコンセルトヘボー管弦楽団を振ったハーン指揮、セレブニコフ演出の制作がよかったことを思い出した。演奏も演出も保守的なものではないだろうが、少なくともバーゼルでのマルタ―ラー演出よりは旧守的だろう。少し音を流すと可也面白そうで、これなら最後までヴィデオも観れると思う。

録音はカイルベルトとかクライバー指揮とかいろいろあるのだろうが、下手なセリフや効果音では音楽の本質にも迫れない。又又演出の話しになってしまうのだが、何か村芝居の様な芝居をト書き通りにやったとてその音楽と乖離するだけであるということこそが真実であって、芸術音楽がたとえ劇場の為に創作されていたとしても、少なくとも200年も経過して上演されるにはそれだけの音楽的な内容と芸術的な価値が必要であるという前提を改めて記しておきたい。芝居劇場も音楽劇場も宝物館や博物館とは違うのである。



参照:
カメラに譲った座席 2018-09-26 | 生活
積極性が満ち満ちるとき 2015-09-28 | 生活
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クレーンゲームのど飴

2022-09-12 | 文化一般
ルツェルン音楽祭名物のリコラの摑み取りである。何時頃から始めたのかは記憶がないが、新会場になってからはいつもあったような気がする。毎年通うようになったのはここ四年ほどの事で、その前は2013年が初めての訪問。旧会場では、アバド指揮のベルリナーフィルハーモニカーとサロネン指揮ロスフィル、ガルティーニ指揮などを聴いた記憶があるのだが、今の様に通うことはなかった。

こちらの気のせいでなく、ルツェルンの会場kklの係員やら全ての雰囲気はコロナ期を過ぎて変わってきた印象がある。あり得るのは、パワハラ騒動で支配人のヘフリガーなどへの批判もあって、よりそうしたマネージメントの在り方がソフトになってきた印象はある。

同時に大スポンサーの威光は以前よりも感じるようになった。全体としては、ズルヒャー保険やロッシュ、クレディスイス、キューネなどがあるが、ベルリナーフィルハーモニカーの初日ではズルヒャーが前面に出ていて、客層は全く悪くはなかった。

今年はまだ海外からの訪問客は少ないとされていたのだが、二日目の隣はオーストラリア人、クリーヴランド管弦楽団ではアメリカ人で、後者は関係者の可能性があったのだが、服装などからしてもチューリッヒ在住などではなさそうだった。

しかし、なぜかルツェルン音楽祭は「観光客が多い」とか書かれていることが多いのだが、ザルツブルクの感じよりもそもそも観光客が少ない。盛時はなるほどと思うが、ルツェルンはザルツブルクと違って大都市圏に近い。だから、ザルツブルク音楽祭の様にミュンヘンとヴィーンからの訪問者が分け合うような位置にはない。相違があるとすればオペラ公演のザルツブルクよりも駅前会場のルツェルンの方が入り易いのかもしれない。しかし、決して入場券は安くはないので、それほど観光序に会場に入っている人が目立った覚えはないのである。

コロナ期間に双方ともに出かけたので、地元常連さんの人数とか雰囲気は大体見当が付いた。来年からは完全に例年通りに戻るのだろうが、核の客層を知れた価値はあった。

本年は、小定期会員が当て嵌まらなかったので一般発売で入券した。座席クラスは不要な券を購入する必要がなくなったのでコロナ以前同様の座席クラスを維持を目した。一般発売では二枚とも同じ座席とはならないので、それなりに二種類のプログラムを違う階で聴いた。結論からすると、同じ価格帯なのでその差は視覚には大きくとも音響的にはそれ程の差はなかった。来年以降もどのように選択するかは決定的ではないのだが、その特徴は三日目の余り券を購入した最上階とも含めて似通ったもので、その音響の差は視覚程にはない。

但し一つだけはっきりしたのは、ベルリンでの開幕からザルツブルクを回ってルツェルンへと廻ってくる過程は今後も変わらず、その本拠地での批評や聴衆の質が著しく低下しているようで、その会場の音響と批評そして聴衆の質を含めて、今後益々ルツェルンが本番になってくることは明らかになってきた。そして恐らく同様に11月の海外ツアーへの壮行演奏会でのフランクフルトと、復活祭のバーデンバーデン同様に毎年の重要な公演地となりそうであり、幸いそれら三カ所をまわることが比較的容易なことを嬉しく思う。



参照:
先を見通す下調べ 2021-03-06 | 雑感
聴認識の限界を試す 2022-09-05 | 音
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魔弾の射手から守護者へ

2022-09-11 | 文化一般
注文していたエンジンオイルが届いた。1リットルで送料込み12ユーロ程のハイテク合成オイルだ。既に10本ほど買っているらしい。でもこれが使い易い。往復1000キロ程乗れば必ず必要になる。大した費用ではない。それでエンジン清掃も兼ねる。フィルターも詰まることなく動いている。まだまだ最高速度も230kmぐらいは簡単に出た。それ以上は旧ブレーキでディスクがちびるのも嫌なので出さない。スイスのスピード違反も金だけで済むので気にしない。それでもまだ安い。動く車があって、モビールであるだけで感謝だ。

‹Der Freischütz› – Dirigent Titus Engel über die Arbeit am Stück

そろそろ来週木曜日の準備である。初めて生演奏に接するカルロフォンヴェーバーの「魔弾の射手」のマルタ―ラー演出の初日である。練習風景からの指揮者エンゲルの説明で大体分かった。特に人生経験の多い歌手をエンヒェンに起用したがこの演出にはというのでピンと来る。丁寧に普通はぴちぴちの娘役なのだがと断っていることでも分かる。マルタ―ラーファン為らずともそこに一捻りもない上演ならば誰も関心を持たない。

重要なのは、ヴァ―クナーの「オランダ人」にそのまま引き継がれる初期ロマンティックな音楽の在り方と、しかしながらベルリンの宮廷歌劇場での初演にあるような小編成での尚且つ古楽器の管を交えたハーモニーと楽器編成からの感情を揺さぶる音楽とその演出の枠組みの嵌まり具合だと思う。

最近観たストローミングはコロナ期間中のミュンヘンからの中継だったが、演出はもとより指揮はマナコルダという人だったが、話していることやその指揮でなぜこの人が売れているのかさっぱり分からなかった。余程マネージメントが上手く、適当に纏める力があるのだろう。兎に角やりたいことが全く分からなかった。新制作で使われるぐらいだから玄人筋での職人的な評価はありに違いないのだが。

ヴェーバーは、昨年演奏されたヒンデミートの曲に使われていた原曲を初めて聴いて少し造詣を深めたのだが、ヴィデオでエンゲルが話しているように民謡的な音楽の使い方が素晴らしいことは分かった。そこがドイツオペラの源泉とされるようで、今回の公演で目指されるように、「その深い暗い森の響きというのは後になって付け加わったキャラクター」なのだと確信が持てるののかどうか?少なくとも演出と相まって大きな話題となるような音楽的な公演を期待している。

暮にはミュンヘンで家族向けに「ヘンゼルとグレーテル」を振ることになっていて、それによって、既にレパートリーになっている「ローエングリン」と共にヴァ―クナー指揮への囲い込みになってはいないか。ヴェバーでも何でもコンセプトは重要だ。

バイロイトでの練習に「守護者」と歌え替えられるところを「フューラー」と主役のフォークトに歌わした事件。改めてネトウヨ新聞に真相を本人が語って、歴史修正主義者として発言している。要するにそうしたことを保守政治家が求めるならば、今後「トスカ」も内容を変えなければいけなく、世界の文学も変えられると、知能指数零の発言をしている。そしてカタリーナ・ヴァ―クナーが保身もあって主役に本番では変えろとお願いしたとある。お乳をさわされたとかで尻尾切りする破廉恥さとその知能の低さと共に最早今の立場は続かない。指揮者のティーレマンにもベルリンなどで頭の悪い指揮をさせてはいけない。



参照:
お友達の輪の序奏部 2022-08-29 | 雑感
復活祭へと希望を繋ぐ 2021-01-21 | 暦
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セル指揮ブルックナーの響き

2022-09-10 | 
当夜のプログラムでのヴォルガンク・リームに関する記述は興味深かった。そしてそれを聴くだけに出かけた価値もあった。それには少し突っ込んで書きたいが、後半のブルックナー交響曲九番に関しては簡単に覚書としておきたい。この曲はやはりとても面白い、しかし頻繁に聴ける曲ではない、先ずは超一流の管弦楽団が演奏しない事にはやはり真価は聴けないからだ。だから今回は価値があった。それでも全てを音化していたかどうかは疑わしく、結論じみたことは言えないからだ。

そこでどうしてもこのアメリカの人口比でも第五十位にも入らないクリーヴランドの管弦楽団が、その伝統と共にアメリカで一番のブリリアントな管弦楽団とされていて、今回のブルックナーの曲を演奏したハムブルクでは世界一とされたが、果たしてそれが正しいのかどうか。

結論からすると、今回のツアーは音楽監督ヴェルサーメストの掲げたホールに合わせた演奏は出来ていたと思う。要するに金管も木管もよく鳴っていた。前回聴いた時はヤナーチェックの「賢い女狐」だったので、正確な判断はできないかもしれないが、恐らくホームグランドよりもゆったりとなっていたと思う。しかし最終的にはそのアンサムブルの枠組みがあって、それを逸脱することはない。丁度昔の名指揮者セルが指揮したブルックナーの録音などにも似ている張りのある響きとなっていた。しかしそれでもニューヨークフィルやフィリーなどに比べるまでもなく、その総奏は音量は小さい。先日聴いたベルリーナーフィルハーモニカーの様には到底鳴らない。
The Cleveland Orchestra | Franz Welser-Möst


なるほど、そのシカゴ程ではないと感じたが、ピッチも安定しているようで、響き自体も落ち着いていて瀟洒な響きであるのだが、前半のリームの「変身」第三番冒頭でも放送では音量が分からなかったのだが、大分想定よりも小さかった。ベルリナーフィルハーモニカーが音を割らない様に留意したとされているが、まさしくそれ以前のところでリミッターが働いている。今年のツアーではフィリーはそのプログラミングを含めてあまり評価されなかったようだが、木管群を中心に和声の核があり、そこにサラサラと弦が乗る。そうしたサウンドがないのはクリーヴランドでありながら、アメリカン配置ではない通常配置のアンサムブルからは中欧的な音楽が汲み出る。

三楽章の対位法的な扱いも素晴らしく、管も各々がフィリーとは反対に対位法的に色を添えるのでとても多彩である。どうしてもペトレンコ指揮のマーラー作曲七番の響きを思い出す。両者の年齢もなにもかも違うのだが、こうした音楽の作り方は決して似ていなくはないのである。ペトレンコがブルックナーを指揮したらと思うと、やはり同郷のメストが、第一の主題のスタカーティシモを強調するのを聴いていて、やはりこれは聴いてよかった。ブルックナー指揮に関しては近々エンゲルも振ると予想しているので、こちらにも大変期待している。大管弦楽団との関係を含めて、ブルックナーの大曲をこの様に振れるのは超エリートであり、先日のハーディング指揮などを聴くとそこ迄至らない指揮者が殆どなのである。

それにしてもやはり現在のベルリナーフィルハーモニカーはその弦の表現力をしてもやはりずば抜けている。あれだけ音楽芸術的に鳴らし切れるのもペトレンコ指揮ゆえである。改めてその価値、そして市場価値を殆ど売れなかったビックファイヴの二つの楽団演奏会の惨憺たる客の入りで思い知らされるのである。仕方がない。(続く)



参照:
細い筆先のエアーポケット 2017-11-03 | 音
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行きはよいよい帰りは怖い

2022-09-09 | 生活
ルツェルンへの往路はこれ以上ないほど予定通りに進んだ。12時45分ほどにワイン街道を出発して、途中一度WCで停車。既にリームの変身二曲とブルックナーの九番の試聴は二巡目に入っていた。バーゼルの国境も誰もいないぐらいで入国、15時30分ぐらいだったので、途中で一時間ほどピクニック休憩してもまだ余裕がある。ゆっくりといつもの場所へと車を走らせる。車庫入れも、街中の新航路をいろいろと試してみて、結局側溝路に入ると駄目なことも確認、駅前へとバスレーンの横を走り、更に強引な右折をせずに、Uターン禁止のところを駐車場侵入Uターン。あれは何度試してみても不安になる。要するに進入路はUターンでないのだろうが、誰もそんなことは分からない。もしそれを逃してしまうと湖を渡って街外れ迄行かないと戻ってこれないのである。それで18時には入庫した。

比較的出口に近いエリアに駐車して、帰りに少しでも早く帰宅する為にも、急いでコープでお土産を物色。チーズ、ビュンドナー風干し肉、メルローを二本購入、車にそれを納めて、ガイダンスを聴きに行くと誰もいない。無いことが分かった。仕方がないので早めにプログラムを購入して、上階テラスでコーヒーを飲みながらお勉強をする。それなりの情報は得られた。

往路では結局ピクニックと同時にブルックナーの三楽章などの楽譜をもう一度眼を通しておいた。上手く影に停めれたので、まずまずだった。兎に角、帰路未明1時を目指して帰りたい。

都合よく、演奏会が終わって駐車場から出庫したのは21時38分ほどで、ナヴィの予定時刻は1時になっていたので頑張ったが、途中でパーキングで手元を整えたりしていてやはり時刻は少しずつ押してきた。そしてナヴィの音が出ていないことに気が付いたのだが、時遅しで、アウトバーン分岐点をベルンの方へと間違えて入ってしまった。既に到着予定時刻は10分押し程になっていたのだが、次の降り口迄行って戻って来て、分岐に進むと左で赤く光った感じがした。直ぐに時速100km制限の白い表示が見えた。四車線の二つ目を120km程で走っていたのだが、よく分からない。ネットを見ると120km制限のカメラはあるらしい。最近のカメラはばっちりと車内が光るような光が出ない。第三、四車線の車を外から追いかている感じであっただけなのだ。

そして到着予定時刻は既に未明1時17分になっている。そしてバーゼル国境、ドイツの税関士に停められて、チーズぐらいしか買っていないけどと言っても、結局車内捜査された。一体どこのマネーロンダリングの者が廃車直前の車に乗っているのだろう。身分証明照会に何が書いてあったのかは知らないが、馬鹿じゃないかと思う。

ルツェルンの音楽会帰りだといっても、なぜか普通のゴアーズだとは思ってくれないのである。まあ、そんな嬉しそうな顔はしていないよね。また一週間後にも結局アポイントメントも入っている。

結局未明一時頃から眠くなって、何とか1時30分ごろに無事帰宅した。フライブルクから大量の車が入ってきたが、あれはシュトットガルトかどこかのブンデスリーガ―サポーターの遠征か。更なる撮影はされていないとは思うのだが、そうなると最早見えていないのでナヴィだよりである。



参照:
隔世遺伝かはいざ知らず 2022-09-08 | 音
昨今の世の流れの状況 2021-07-04 | 生活
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隔世遺伝かはいざ知らず

2022-09-08 | 
ヴォルフガンク・リームの「変身」三番と二番をお勉強している。先日中継されたベルリンからの演奏でも明らかなのだが、アルバンベルク風と言ってもいいような作風で、作曲家の嗜好は分かるのだが趣向が分からない。それ程昔の曲ではなく、精々ここ15年程の創作で、連作化されている。

同時代のご近所の作曲家なのでそれなりに新曲初演なども接しているのだが、大編成の創作でのこれはその趣旨がよく分からなかった。可也旧守的な印象を否めなく、伝統をどのように先へと進めているのかがなかなか見えない。

プログラミングをした指揮者のヴェルサーメストによると、ルツェルンではブルックナーの第九の未完成版を休憩後に演奏する。そして、アルバンベルクはブルックナーの直系であると結論している。

なるほど、そのブルックナー交響曲九番の12音技法的な創作は新ヴィーン楽派に繋がるのだが、例えば故ギーレン指揮の演奏会では休憩前にシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲をおいていた。しかしここではリームとの繋がりでどうしてもその音響へと先ず関心が向かうので、一捻りになっている。

メストのプログラミングが上手く嵌まるのかどうかは現時点ではよく分からない。少なくともベルリンからの中継の印象では、シューベルトはやはりどうかなと思った。そのシューベルト自体は聴いていないのだが、「ファンタジ―」などの曲に比較すると、やはり大ハ長調交響曲は少し違う。

反対にここでのリームの作風自体が、そうした「ファンタジー」的な流れ感が無くて、楽器法的にもベルク同様の受け渡しが強いように思う。勿論、楽譜としてピアノ楽譜に戻して分析的に再思考しなければいけないことは分かってはいる。恐らくメスト指揮の演奏実践によるものだろうが、会場に来ている作曲家自身はどう感じるだろうか?

期待されるのは、やはりクリーヴランド管弦楽団によるブルックナーの演奏であって、ハムブルクのエルフィーでの批評によると、ツアーの課題であった、会場に合わせた金管の咆哮など本拠地では不可能そうな本格的な演奏が出来ていたようで、世界一の楽団と賞賛されている。
Michael & Friends: Mit Franz Welser-Möst


今回聴く九番と先の四番のブルックナーで混乱するといけないので、語るまでもない演奏会のガイダンスの内容をメモしておこう。ブルックナーの四番の解釈として、ホルンの狩人と紹介していて、例の回転リズムなどは狩人の串刺しを回すリズムとの説明があって驚いた。前日のレンブラトの夜警の十三人の掛け合いのホルンの二人に対応していて興味深かったのだが、少なくともハーディングは空を舞うだけで、その様なイメージを指揮できるほどの腕を持っておらず吃驚した。練習でやったこと以外には自動操縦の操縦桿を握る以外には何もできない指揮者であった。要するにガイダンスは虫けらから創造の神迄を扱ったブルックナーの創作という意味だった。



参照:
ブルックナーの真価解析 2013-12-17 | 音
文化の「博物館化」 2004-11-13 | 文化一般
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初の本格的な秋の降雨

2022-09-07 | 
夕立が激しかった。先ずは幾らかは今年の分を取り戻したぐらいの雨量だった。流石にこうなると傘をさす人も出てくる。それ以前に庇から前には誰も出てこない。洗濯屋、パン屋でと、スーパで合わせて五回程は激しい雨に打たれた。断続的ではあったが数時間続いた。安物のブドウは雹でやられないうちに収穫とトラクターが走り回っていた。

夏用のシャツを出して、普段着も敢えて長袖に変えたので、雨には直接触れなかったが、大分濡れた。まだ冷たくも無いのがいいが、街には下着まで濡れているような女性も沢山いた。

結構過激だが、こうした降雨があっても直ぐにまた乾くなら、雹の直撃さえ受けていなければ大丈夫だ。スーパーでは少し雹が降った。そこから傷みとなると葡萄が腐って来るので危ない。かび臭いようなリースリングになる。

木曜日は、18時に車庫入れを目指す。今回は途中寄り道することもないので、正午半ぐらいに出れば間に合う筈だ。走行距離片道345kmになる。往復で690kmになればミュンヘン往復の740kmよりも大分短い。今回はトイレ休憩一度と、もう一度ピクニックするかどうかだけだ。無駄に走る所はない筈だ。但し復路が午前二時より如何に早く帰宅可能かに掛ける。眠気の限界に差し掛かる。よって出発も出来るだけ遅めにしてブランチをしっかり摂ってから出かけたい。

オペラとは異なり集中する時間も短いのでそれ程疲れない筈だが、短くてもそれはそれなりに集中度が異なるので、必ずしも楽ではない。しかし日帰りの場合はやはり当日朝寝も出来て、ゆっくりブランチ後の出発となると楽な筈である。来月にはまた同じように演奏会日帰りもある。前回ルツェルン日帰りをしたのは、故ハイティンクが生涯最後のマーラーの第九を振った時だった。あれもとりわけ楽しみにして出かけたのっだけどそこ迄の指揮ではなかった。帰りにも疲れが残ったと思う。やはり一種の興奮状態でフライブルクぐらいまでは簡単に帰って来たい。今回は水曜日にでも燃料を満タンにしておくので、給油無しに復路も一時停車無しに帰れる筈だ。

やはりピクニック準備と共にテルモスには熱いカフェインの含まれるお茶などを詰めておきたい。特に復路で走らせながら口を動かすのがなによりもの眠気覚ましとなる。自宅でも口に何かを入れ乍らこっくりという経験は殆どの人には無いと思う。もしあるとすると病的状態かもしれない。南極や冬山の遭難でも口に物を入れれる状況ではまだ死なないと思う。咀嚼はとても血の巡りに良い。でもチューイングガムは味が無くなるのが苦手なのだ。

EUや英国では四月から日本のYahooサイトが使えなくなった。そしてスイスはそこから除外されているので従来通りである。EUの基準を満たせていないからで、そこ迄投資する価値が無かったからである。しかしメールアドレスなどは使えるようになっている。その関係もあり登録してある本メールアドレスには宣伝などが届く。通常はそこで解約が出来るのだが、こちらからはアクセスできない。そこで先日調整しておいたVPNアカウントから中を見れる。その時に序に広告お断りにしておいた。その様にならなければその都度スパムメール扱いにするだけど、如何にそうした広告紛いのものが悪質かという事でしかない。



参照:
堪える夏の終わり 2022-09-06 | 生活
ルツェルンのお土産吟味 2022-09-03 | 生活
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堪える夏の終わり

2022-09-06 | 生活
旅行前から冷やしておいたスイカ。今年最後である。週末は寒かったが、再び午後には摂氏28度にまで上がる。窓を閉めて就寝から、また夜中に一部開けておくなど温度変化が大きい。夏の終わりに結構堪える。何とか乗り越えたい。

先日からのNASのファイルを片付けで、ブルーレイも二枚ほど焼き付けた。確実なアーカイヴが出来ると無駄に重ねたコピーが必要なくなる。しかしマニュアルでコピーしたり確認する迄の時間がないのである。

まだLINUXで再生や焼き付けの準備は整っていない。主に再生に使おうと思っている。特に冬場はリモートでLINUXを上階から操作して、篭り部屋で鳴らすので、少々の転送映像とハイレゾで楽しめるといい。読み取り機の雑音も邪魔にならない。その為にも音楽専用LINUXのPCで再生したいのだ。

作業で改めてオペラの録画等を一切ポータブルディスクにコピーしている。そもそもオペラなんぞには関心がない。更に大管弦楽の通常レパートリーの演奏会は避けていたので、それ以上の興味はなかった。

オペラはミュンヘンに通うようになってから再び関心を持って、大管弦楽のメインレパートリーも超一流の公演であるペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーのツアーにも通うようにもなった。それで周辺の公演のヴィデオなどもたまりにたまったが、一度は見聞きしも二度もというものは殆どない。そういうのはアーカイヴの肥やしにでもしておくのだ。殆ど全てである。

嘗てエアーチェックと称してカセットテープで沢山の放送を録音して溜め込んでいた人も少なくない筈だ。個人的にもそこで習うことは沢山あって、決して制作された録音メディアだけでは味わえない臨場感だけでなくて、演奏の良し悪しなども学んだ。それでも貴重と思われるような録音は消去も儘ならなかった。理由は簡単でその録音した演奏がいいのか悪いのかの判断に自信がないからだ。結局録音して保存しておくだけになる。

オペラ公演の中継録画などもそのようになっている。資料的な価値もあるのかもしれないが、そもそもそういう演出には興味がない。流石に音楽に関しては即判断してしまうので、価値があるものは皆無である。要するにオペラなんてそもそも程度が低くて聴いていられない。下手な大交響楽団のメインレパートリーなんて聴いているだけ時間の無駄なのだ。

再び木曜日のお出かけの準備である。先ずお土産は、早めに着けば、チーズとビュンドナーフライシュ、そしてメルローだろうか。先日購入した15フランケンのワインは飲んでしまったが、価格比でも悪くはなかった。兎に角、本格的な辛口メルローが出来るのはテッシンしかないのである。それらに比較するとボルドーのメルローなんてただの甘いワインでしかない。食事にも合わせやすく、使い勝手の良い一寸いいワインなのである。ワインのロールスロイスとされるポメローでさえもそれ程深みがある訳ではない。



参照:
ルツェルンのお土産吟味 2022-09-03 | 生活
脱コロナへマスク解除 2021-09-16 | ワイン
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聴認識の限界を試す

2022-09-05 | 
水曜日のルツェルンでの演奏会の批評が地元紙ノイエズルヒャーに出ている。本質に触れるジャーナルとなっている。流石に独語圏最古の高級紙だけのことはある。先ずは記事を前日のレゾナンス演奏会即ちジーメンス財団の現代音楽振興の企画ものと半分づつに割っている。第一印象として、その様な扱いが正しいかどうかわからなかった。しかし、この書き方が詳しく内容を吟味することでより多くのことを示唆した。

その演奏会とはフィンランドの指揮者マルキ女史がリゲティや地元アーラウのアムマンの曲をスイス初演した演奏会である。ピアノ協奏曲のピアノは音楽祭支配人の弟のヘフリガーが受け持ちヘルシンキの楽団の客演となっていた。

先ずはそのリゲティ作「コンティニウム」では最後にはBPMつまり分で1080もの音が出される ― 楽譜上では秒に18らしい。音楽の速度記号ではプレストでも200ぐらいか。そうなると最早音として別れては聞こえずに漂う連続音として認識されないと報じている。

サリアホの新しい曲ではそこではネオイムプレッショニズムとして認識に関しての挑戦は無いもののアムマンの曲においてはそのヴィブレートされた音のパルスなどの認識は限界域にあるとしている。

さてここからである、翌晩のマーラーの七番の演奏について触れるのは。当夜現場でコメントしたのだが、ベルリンでの演奏ではその一楽章のテムポにおいてもその序奏からしても重要な動機が刻まれる時に端折り気味に過ぎてややもすると楽譜の音が認識されない可能性があったのだが、kklの音響に合わせたサウンドチェックもされて修正されたと聞いた。まさしく音の認識とその色彩と、ここで言及されていることなのである。

筆者のヴィルトハーゲン氏は、これだけ徹底的にコンセプショナルに演奏されることでのつけは情動性の欠如を招いているとしているが、これには其の儘反対意見をしておきたい。ベルリンの初日に比較して為されたのはその情動性の強化となって表れていたからだ。

なるほど、そこでは泣き笑いのマーラーは存在せずその様なものは楽譜にはどこにも書かれていない。それが導き出されるのは、マーラーが楽長として君臨したヴィーンのその時の音楽文化的なコンテクストの中からでしかない。キリル・ペトレンコのマーラ―解釈の基本はそこにある。勿論そうした前提条件無しには楽譜などは正しく読めないからだ。決して作譜技術的なことだけではないという事である。

更に、その音響に触れて、ペトレンコはポストアバドで強化され続けた技術的に瑕疵がなくともクールな管弦楽団の輝きを自ら潰そうかとしているかに見えると書いている。これも一際興味深い言及であって、恐らく今回の演奏実践の本質に迫っている。そして筆者は容易にそれに対しての判決は下していない。

如何に今回の演奏が何かを齎した若しくは齎す大きな契機になっていることを示してはいないだろうか。(続く



参照:
An den Grenzen der Wahrnehmung schillert die Musik, Christian Wildhagen, NZZ vom 4.9.2022
米国お披露目ツアーへの弾み 2022-09-04 | 文化一般
終わらないドタバタの一日 2022-09-01 | 生活
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米国お披露目ツアーへの弾み

2022-09-04 | 文化一般
土曜日の晩にロンドンから中継があった。ベルリナーフィルハーモニカーのオープニングツアー公演のプロムス公演だった。録音をしながら食事の背景で流していた。ロイヤルアルバートホールの音響がよく捉えられている中継だった。例年よりもいい感じがしたが、なぜか分からない。つまりあそこの音響の雑さがよく聞こえた。座っている感じと同じだった。ドーム型の特徴でどこか音が固まるような印象がある。ケルンの半ドームもザルツブルクの祝祭大劇場の扇型も似ている。残響があって質が悪いだけだ。

今回の初日のプログラムのマーラー交響曲七番は音響が重要になる。今回も独伝統型の楽器配置つまり、第一ヴァイオリンと第二が対抗するように左右前面に配置されて、その後ろに下方からチェロが後ろにコントラバスを控えてその右側にヴィオラ群となる。

ベルリンの新フィルハーモニーは、ワインヤードとされる全方向解放型なので、どうしても低音が反射せずにその上に和音が乗ってこない。それゆえにもカラヤンサウンドとされるずらしたバスが強調されて中声部の明瞭さを欠くことになった。現シェフのペトレンコの場合は、如何に当てていくかが重要となるのでスピード感もあるのだが、所詮乗らない会場ではそれなりの処置をしてやらなければいけないのだろう。その意味からもシューボックス型のルツェルンの会場に入場料を倍払う価値があったということなのである。角があるほど跳ね返り、音が乗ることぐらいは誰でも想像がつく。

その分アルバートホールは可也の容積がありそうなので、たっぷりと鳴らし切っていたようだ。その分迫力もあったろう。但し細かなアンサムブル披露するほどの会場ではない。そもそもお客さんが通常以外の層へと広がっていて、その差に無頓着である。だからザルツブルクで出ていたような批判も出ないだろう。

しかしバカ受けして、楽員も最終日のシェフであるペトレンコに喝采するという珍しい風景も伝わって来ていて、11月の米国お披露目ツアーへの大きな弾みとなりそうだ。やはりアングロサクソンの似通った趣味への訴えかけとそうしたポピュラリティーが楽団にとっては最も望まれるところで、その条件を満たせば今後の芸術的な活動に心置きなく集中できる基盤となるからだ。

そうした前提ありの復活祭やその他の活動であって、特に米国でも大きな評価を受けることは欠かせない。次はフランクフルトの壮行演奏会で聴くことになるが新たにその時にどのような演奏になるのか楽しみである。その前にルツェルンでの感想なども纏めておきたい。

古いファイルを整理していて、ペトレンコ指揮オペラがごっそりと落ちているのに気が付いた。どこかに入っているのだろうと思ったが、見つからず改めて調べて流していたら、最初の大成功制作「影の無い女」は全く弾けていないのが分かった。ティーレマン指揮のヴィーナーフィルハーモニカー程度だった。ケントナガノから受け取っての当初はあれしかできなかったのだった。最初に接したのはそれの再演公演からで、まだまだだったのだが、来年復活祭で新制作するのも頷けるミュンヘンでの足跡だった。

一時は上の事でどうでもいいわと思わせる程、現在のベルリンでのペトレンコ指揮は真価を示して来ていて、ルツェルンでの公演が今迄で最高のペトレンコ指揮、否ベルリナーフィルハーモニカーの演奏と言わせるぐらいの価値があったことも付け加えて、詳細への橋渡しとしたい。



参照:
お友達の輪の序奏部 2022-08-29 | 雑感
13骸の上で商売をする 2021-04-18 | 音
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ルツェルンのお土産吟味

2022-09-03 | 生活
ルツェルンから戻ってきた。ナヴィの到着時刻は14時30分ごろになっていたが、帰路で給油しなければいけなかったので、15時が目安だった。18時にただ券のデジタルコンサートホールの有効が切れるので、アップされたオープニング演奏会をハイレゾでと思った。

幸い土曜日に生中継されるクリーヴランド管弦楽団の演奏会は翌日にはオンデマンド化されて無料で観れるので、来週のルツェルンでの演奏会の為の映像は予め観れることになる。

帰路どこで給油すれば安いのか調べる。場所からするとフライブルク周辺だと考えて、出来る限り無駄時間がなくて、アウトバーンから離れずにの場所を考えた。調べると、バートクロイィンゲンが比較的安いことが分かった。一度試したことがあるがスタンドの位置など面倒な印象があるが、一件が安売りすれば競争になって安い。一件ぐらいは容易に探せると思った。結局戸外型のドューイットユアセルフの経営のbftスタンドが見つかって、実際に想定よりも安かった。アウトバーンから往復5mぐらいなので無駄がない。今後もスイスからの帰りにはそこの夜間自動も含めて試してみたいと思った。

途中二カ所ほどは渋滞があったが、金曜日の午後早くなので比較的問題なく越えた、総計一時間遅れだから悪くはない。想定通りだった。16時にはDCHを映していた。

来週も木曜日には出かける。日帰り往復である。今回も前夜の夜食の事もあり、一時間もしないうちに眠くなった。二回目はフライブルク手前、三回目はフランスからドイツに戻ってワイン街道に平行に走るアウトバーンで眠かった。

ルツェルンの駅前のkkl迄は、片道370m程でミュンヘンの劇場とほぼ同じだが、今回は往復で835km走った。ざっと計算して100km程余分に走った。ドイツ国境から通えば余分になる一往復で190km程になるので大分得をしたと思う。そもそもハーディング指揮で余分に二時間も往復に時間を掛けたとなれば一生恨み節しか生まれなかったであろう。復活祭の二回往復も腹立たしかったが。あの程度のものを聴くのに金と時間を掛けるなんて馬鹿でしかないと思う。そんな時間も余裕もない。

何とか眠気を我慢してプファルツに戻ってくると、天気も良く、そしてフランス国境周辺の風光もよかった。眠気覚ましも兼ねて、ビエンヴァルトの横道に車を停めて小用を果たした。今回はたったの二泊しかしていないが、それでも帰ってくると、国道から20mも入らないでの車の音はあっても、森の中は清々しい。中央スイスに比較して決して悪くはない。どこから戻って来てもそのように感じる。

なるほど若干空気は重たかったのだが、それなりに乾いている。翌朝森を走ってみてやはり摂氏18度でも汗を掻いた。月曜日以来で、水曜日、木曜日に走れなかっただけである。これで、週末にはスイスで購入してきたティチーノのメルローで肉を食せれば満足である。ビュンドナー風の干し肉も余ったので持ち帰った。エンメンタールのチーズもあり、満足度は高い。来る木曜日のお土産をもう一度検討したい所である。

戻ってきたら、税務署からの法人税の強制徴収通知が入っていたのは余分であるが、追徴ではなく僅かな手数料を取られるだけなので、まあ取れるだけ取っていけ泥棒と言いたいところだ。



参照:
終わらないドタバタの一日 2022-09-01 | 生活
脱コロナへマスク解除 2021-09-16 | ワイン
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終わらないドタバタの一日

2022-09-01 | 生活
水曜日は大変だった。ワイン街道を10時に出てゆっくりとバーゼルで待ち合わせの計画であった。しかし先方が交通の遅れで予定の一時間半遅れとなった。後ろが詰まっているのでデットポイントのギリギリで、結局予定していた18 時に車庫入れが30分遅れた。それも尋常ではないガタガタぶりで、我ながらよくもその時刻に入れて、公演前のお話しに間に合ったものと思う。第一楽章の説明は終わりだったが。

そのガタガタに拍車をかけたのは無料のナヴィシステムがスイス内で使えなくなっていたことだ。直ぐにインターネット接続が出来ないと出てくる。いつも使っていないので、また出かける前に目的地が出ていることを確認していたので、訳が分からなった。バーゼルまでは問題なく使えていた。GPSの現在地とその周りの地図を頼りにマニュアルでナヴィして行くしかない。勿論運転しながらでは不可能なのである。

それでもなんとか事故も無しに乗り越えた。目的地に着いたのは一時間ほど遅れていた。そもそも一時間前には着く予定だったので二時間も計画がずれていた。勿論そこで余計にドタバタとなるのは道理であった。

しかしそのような状況でありながら、場合によっては警察沙汰なのだが、心から楽しめるというような状況でもなく、それでも必要最小限には聴けてしまうというのは、玄人だなと自身思う。一つには11月のキリル・ペトレンコ就任の米国お披露目壮行演奏会でもう一度聴き直せるので、余計に聴きどころは絞れた。

逆に若干の動揺みたいなもので、音楽的な表現もここはこうなんだろうなという想い入れにもなった。さらに終わってからも色々とフォローをしなければいけないとなると、面倒だなと思うが、それと感想はまた別物である。自らの楽しみをではなくシステマティックに公演に接するようになってからの長い道程であったが、そのような姿勢も役に立つこともあるのだ。

そして道に迷ったのだが、無事に宿泊地に戻れた。危惧していたようなこともなく、一番問題なく片付きそうだと思ったら、そこからまた二時間ほど悪戦苦闘となった。細かなことを書いても仕方がないが、ワインを開けて食事が出来るようになる迄に二時間以上費やした。一日の予期せぬ四時間は返して欲しいと思うぐらいだが、こちらの旅行の目的は為せたことであり、あとは気分の問題でしかない。

本来ならば車を走らせるのも儘ならなくなっていた状況から考えれば、途中で立ち往生もすることなく目的達成できただけで良い。一週間後も二週間後も同じような経路を動くのだが、同じ約束をしていても今回のようにはならない。それだけで気が楽だ。



参照:
短冊が叶う七夕祭り 2022-07-09 | 暦
ルツェルンの最初の夜 2019-08-27 | 暦
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