Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

想定以上のクレディット

2024-10-02 | ワイン
クロムベルクの演奏会準備、楽譜は珍しい曲も含めて落とせた。数年前までは不可能だったが、今は可也新しい曲でも即ち著作権が活きている曲でも動画に紛れ込んでいたりする。急いでざっと未知の曲を聴くにはとても便利である。

今後かなり手の込んだ楽曲の再演程度の時期にもこうした動画が出ることで、聴衆の正しい評価も受けやすくなるだろうと思う。要するに出来の良い曲はより早く評価されて、出来の悪い曲はより早く破棄されるようになる筈だ。

さて残された時間でどれほどのお勉強が可能なのか。燃料も最低10リットル安ければ20リットル入れておきたい。多めに入れておいて来週更に満タンにする。

先月の個人のクレディットカードの額が予想以上に多かった。二回の試飲会とその買い付け額が大きかったのと、ルツェルンでのコープの買い物にワイン二本とその他、更に会場でのチップを入れたコーヒーなどで可也の額になった。穴が開くところは予定していなかった税金還付でなんとかなっていた。

ワインが以前よりも明らかに額面が上がっている。購入しているリースリングの質は上がってはいるのだが、そのクラスは明らかに落としている。以前グランクリュから今はプルミエールクリュ、そこからヴィラージュへと落としていても、最後のでも一本20ユーロするようになってきている。以前は10ユーロ代でいいものを平素開けていたのだが、今は倍になっている。特に23年物は10ユーロ代で買えたものは本数がなく売り切れて足りなくなった。

20ユーロ代の二年間は寝かせたいものも開けないと選択がない。若しくは古い上のクラスを開けるとなると余計に勿体ない。ということで仕方なく平素飲みが20ユーロになって仕舞っている。追々、安物ビールを欠かさないように、それで埋め合わせすることになる。

それでも同じ程度の同じワインを開け続けると有難さもなくなって、折角の質が台無しになるのは一桁台マルクのワインを購入しているときから同じで、毎日となると瓶熟成変化がないのでそれほど注意をしなくなるからだ。つまり食事に態々開けて味覚を敏感にする価値もなくなる。どうしようかと検討中である。

スカラ座再演「ばらの騎士」初日への稽古ももう一週間である。そろそろ管弦楽が入ってやっているのだろう。漏れ伝わる情報からすれば順調に進んでいるようで、ヴィーナーフィルハーモニカーを指揮するよりもいい演奏をする可能性が強い。その心算で引き受けたのだろう。然し今後のことは不透明で、右翼政権の影響から定年でアルザス出身のメイエールが今シーズンで去ることで、継続してオペラを指揮することになるのかどうかは分からない。またそれに伴って指揮者もシャイーからガッティ―になんて書いてあるが、確かにドレスデンでは手狭なのでオペラはスカラ座でということになるかもしれない。

先日接着した車のトランクの内装枠が剥がれていた。水曜日に新しいボンドが配送されるので、綺麗に塗布して使ってみたい。ゲル状になっているものよりも凹凸のある細部に浸透して上手く着くかもしれない。



参照:
ミラノ2016年初日シリーズ 2024-09-20 | 文化一般
途上にボックス入り 2024-09-25 | 生活
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聴く機会がない交響楽団

2024-10-01 | 
バムベルク交響楽団を久しぶりに聴く。前半のブラームス作曲ドッペルコンツェルトは可也実力をまざまざと見せた。恐らく今回のプログラムの中で殆ど練習が出来なかったのだろう。ヴァイオリンのヒラリー・ハーンのキャンセルで都合が着き難くなったのかどうかは分からない。然し、替わったヴィルデ・フランクとソル・ガベッタの二人が旧来の関係で上手に合わせてたことからすれば、フルサ指揮での交響楽団が上手につけられていなかったのは明らかで、それどころかアンサムブルとしても到底一流の演奏ではなかった。

前回聴いた90年代にはまだまだドイツでベルリンのフィルハーモニカ―の対抗馬とされていた。勿論バイエルン州にはミュンヘンのフィルハーモニカーもBR交響楽団もあったのだが、要するに機能的にトップクラスともされていた。それでも実状はホルストシュタインが指揮していたころと比較して、試用で若い奏者をとっかえひっかえと安く使っていたりと決して経済的には真面ではなかったのも気が付いていた。

その後、英国人のノットとかの首席指揮者が振っていたが、到底聴くような機会はなかった。要するにそこまでの成功はしていなかった。そして今ヤコブ・フルシャはビッグファイヴでデビューして成功するなど、そしてロンドンの王立歌劇場の音楽監督に指名されるなど一流の指揮者の下でも演奏活動となっている。それどころかフルシャ指揮でのミュンヘンでの演奏会からBR交響楽団のラトルの次に早くバムベルクからミュンヘンに来て欲しいという評論家までが出て来た。それ程注目されている指揮者なのである。

個人的にはルツェルンでのリハーサル風景を間近で見た経験とその後の本番の放送から全く駄目な面も見ているのだが、今回その面も再確認した。やはり準備が十分出来ていないと本番で修正してくる力が全くないのだろうということだ。遠くから聴いていて、ここ其処はそのようにという修正点が分かるというのは可也重症で、一体指揮者が何のためにいるのかとなる。

同時にこの指揮でブラームスをやるのは決して悪くはないと思うのだが、即ち基本的なコンセプトは決して間違いではない。然しシンコペーションやアウフタクトを土台をゴリゴリと押さえていけないようでは独墺作品を振っても仕方ないと思わせる。そしてそれをルーティンでやれるだけの独名門楽団にはなっていない。どこかでこの楽団が経済的にも音楽的にも崩壊していたことが知れた。その演奏の質からすれば、ペトレンコがフォアールベルクで指揮する交響楽団よりも決して上手くはないのである。独五傑に入るのは難しい。

つまり独墺レパートリーを最初の練習からルーティン化して真面に演奏できる様な楽団ではないことが知れた。なるほど道理で、指揮者のフルサがラトルが辞めてミュンヘンに早く来て欲しいという声の理由は知れた。然し重要なのはそこではない。フルサがそれならチェコの作品などを中心にバムベルクで成功しているそこが肝心なのだ。

それは後半にしっかりと見定めが出来る。その為に態々来たようなものだ。そしてハーンも生で聴きたかったが、毛嫌いしつて避けていソル・ガベッタのチェロは如何なものだったかということになる。(続く



参照:
バックステージは如何に 2024-09-30 | 女
ルツェルンからの光景 2024-09-11 | 音
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