アンサンブル・ド・ミューズ ニュースレター

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水曜日のアンシャンテ ― 背景にあるストーリー…♪

2024-07-18 11:04:46 | Weblog
本当に本当に難しいことだけど、“踊る”ことと“動く”ことは別物、もちろん動けなければ踊れないわけだから動くことは大事だけど、“動く”から“踊る”に移行するために不可欠なのが表現することだと思ってるの、振り付けられた順番通りにカウント通りに間違いなく動く、それだけではセンターレッスンでのアンシェヌマンと変わらないでしょ。
何を表現したいか、どう表現したいかによって身体のパーツの動かし方が変わるし表情も変わる。
9月の発表会で水曜日クラスの二人が踊るのは、『ジゼル act1<ペザントのパ・ドゥ・ドゥ>』の村娘のヴァリエーションと『レ・シルフィード』のプレリュード。
まず村娘のヴァリエーションが踊られるのは、ジゼルのお家の前に村人たちが集まってブドウの収穫を祝うという場面…、みんな豊作を喜んでいるのであって決して不作を嘆いているわけではない…、そこに溢れているのは喜びと楽しさと華やぎ…、踊っているダンサー自身がそうした感情や空気感を理解していなければ踊りにはならない、動けてはいてもね。
軽やかに弾むような振り付けを踊るのに歯を食いしばるなんてのは言語道断
それこそ<ブドウの収穫を祝っている>って状況のイメージがまったくないまま、ただ動くことしか考えていない証拠だ。
プレリュードのほうはね、空気の精という人ならぬ者だから人間のような感情はない。
“精”という言い方をするから妖精みたいに人格が備わったものと捉えがちだけど、私は空気そのものだと解釈していてそれに基づいて演出してます…、指導するときに“揺蕩う”とか“棚引く”なんて言葉を多用するのもそのためかな。
地面に落ちている葉っぱが煽られて宙に舞い上がる、咲いている花が揺れる、霧が棚引いていく、そんな諸々の動きによって風=空気があることに気付く…、なぁんてことを知って欲しいなぁ。
村娘もプレリュードも、それを踊るとき自分はどこにいるのかどんな場面にいるのかをちゃんとイメージできるといいね
コメント
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