
■ 「けいおん」の大ブレーク ■
上の画像は今年前半に高校生の間で一大ブレークした
「けいおん」というアニメです。
普通の女子高生が、何となく軽音楽部に入部して、
ギターを練習して、友達と文化祭で演奏する・・・。
・・・それでオシマイ。
この、いたって普通の高校生ライフを描いた作品が、
高校生には大人気で、軽音楽部の入部者が激増し、
女の子の間にバンドブームが起こったとか・・。
■ 大人がいない・・・ ■
息子が楽しみにしていたこのアニメ、
見ていると、妙に居心地が悪い・・・。
何故だろうと考えてみると・・・
何と、大人が一人も出て来ない。
顧問の先生だけが唯一登場する大人ですが、
ほとんど生徒と友達状態で、大人とは言いがたい。
友人の家に遊びに行っても、
親はいつも外出。
さらに、親だけで海外旅行に行っていたりする強引な設定
そう、「けいおん」の中には大人がいないのです。
■ 意図的に排除された大人 ■
最近のアニメには、大人が登場しないものが多数あります。
その筆頭が「涼宮ハルヒ」でしょう。
これらのアニメからは、意図的に大人が排除された形跡があります。
何故でしょう・・。
息子を見ていて、その答えが分かりました。
高校1年の息子の世界には、どうやら私は存在しない様なのです。
私や妻や、祖父母の前での息子は、
スイッチの入らないロボットの様な、ドロンとした目をして、
無気力さ全開で、自分からは口もほとんどききません。
ところが、妹といる所をそっと観察すると、
楽しそうに話しています。
友達と一緒の時も同様です。
昔から高校生はそうだったと言えば、その通りですが、
私達の時代には、親に対する反発とか競争心が原動力だったように思います。
しかし、今の子供を見ていると、
自分の世界から大人を排斥しているようにしか見えません。
大人といる時は、自分のスイッチを切って、
自分の世界の中に閉じこもっている感じ。
親は居るけど、居ない。
大人の居る世界は、存在するけど、自分とは関係無い・・。
■ 大人の排斥が進むアニメ ■
アニメの世界でも大人の排斥は顕著です。
昔、サリーちゃんの両親は、魔法の国から離れられない為に長期不在でしたが、
今のアニメの両親は、子供達が遊びに来る時は、いつも不在です。
子供達が泊まりに来る時は、海外旅行に行かされてしまいます。
結局、今の子供達がアニメを楽しむ為の最大の障壁が、
両親であり、大人なのでしょう。
大人が出てくると、醒めてしまうから、大人は登場しない・・・。
■ しっかり大人と戦っていた子供達 ■
星飛雄馬の最大の敵は、星一徹でした。
アムロ・レイの最大の敵は、シャーでは無く、ブライト・ノアでした。
掟シンジの最大の敵も父親です。
かつてのアニメの主人公達は、
成長の過程でかならず身近な大人、
すなわち父親を乗り越える事を要求されました。
父親に反発する主人公に、子供達は自己を投影して共感していました。
反発される側の大人も、社会というさらに大きな的と戦っていました。
■ 現出するネバーランド ■
ネバーランドは大人の居ない世界です。
今の子供達の世界は、まさにネバーランドになろうとしています。
大人に反発するのではなく、
自分達の世界から、大人を排斥する事で、大人を無きものとしてしまう、
そんなネバーランドが現れようとしています。
それを助長するのは、携帯電話の子供だけの閉ざされたコミニュケーションでしょうか?
相手の家に電話をする時、相手の親が出るかもしれないという緊張感も無く、
「イマ、何してるーー?」
「ヒマーーー」
みたいな、相手との境界も無い様な、曖昧な世界・・・。
大人たちが気付かぬうちに、ネバーランドは確実に広がっているのです。