■ 何故日本の国会では法案の内容の論争が少ないのか ■
「野党は政策論争もせずにモリカケ問題ばかり追求してケシカラン」。これは、ネトウヨに限らず現在の多くの国民の抱く感情でしょう。
しかし、自公が安定多数を占める現在の国会において、野党が法案審議に応じて、粛々と法案の内容に関して政府に質問をしても、所定の審議時間を経過した後には、採決によってほとんどの法案は衆参両院で可決してしまいます。
「働き方改革」「TPP関連」「カジノ関連」「種子法」などなど、今国会には重要法案が多数提出されています。野党が普通に審議に応じていたら、これらの法案の多くがほとんど修正もされる事無く可決されます。
そこで数において劣勢の野党は「国会戦術」として政府の弱点を突き、「時間切れ廃案」を目指す戦術を取るしかありません。
これが「モリカケ国会」になる理由です。
■ 党議拘束が歪める国会 ■
国会が現在の様に与野党の数の力だけで動く様になったのは、小選挙区制になってからでは無いでしょうか。
従来よりも党に方針に従って投票する党議拘束の力は決して弱くありませんでしたが、それでも法案によては、自民党議員の中からも造反して反対票を投じる議員は居ました。小泉政権時代の郵政国会などが良い例です。
小選挙区制度になってからは、党執行部の推薦が無ければ選挙に勝てないので、ほとんどの自民党議員が執行部の方針に逆らえません。当然、党議拘束の力は強大になります。
こうなると、国会はお互いに討議拘束に縛られた与野党の議員の数の差によって結果が決まってしまいます。質疑はパフォーマンスの場にはなりますが、採決の結果に影響を与えません。
■ 予算委員会がパフォーマンスの場のなる理由 ■
「予算委員会は国家の予算を審議する場でモリカケ問題を討議する場では無い」との意見も多く聞かれます。
しかし、予算審議も同様に数の理論で始めから決着していますから、負けが決まっている野党は政府のスキャンダルを追及して審議引き延ばしを図ります。特に重要閣僚が揃い踏みする予算委員会は、野党のパフォーマンスの場になり易い。
■ 「閣法」という不思議なシステム ■
本来の国会は、与野党の議員が提出した法案を審議する場です。これは「議員立法」と呼ばれ、日本においては衆議院、或いは参議院で一定の数の議員が賛同した法案が「議員立法」として発議されます。発議は与野党のどちらが行っても構いません。
しかし、日本においては行政府である内閣が法案を提出する「閣法」というものが重要法案のほとんどを占めます。
1) 各省庁の官僚が法案の素案を作る
2) 自民党政調審議会で審査される
3) 総務会で審査される
4) 閣議決定され国会の「閣法」として提出される
これは民主主義のシステムとしては実は問題が有ります。民主主義の基本は「立法府=国会」「行政府=内閣」「司法=裁判所」と役割が決まっており、それぞれが監視する事で国家が民主s的に運用されると定義されます。
しかし「閣法」は「行政府」である内閣が法案を提出するので、内閣は行政府と立法府の役割両方担っている事になります。特に与党が多数を占める国会では、法案が廃案になる可能性は低いので、「内閣=行政府+立法府」という三権分立の基本の崩壊が日本では日常的に起きています。
日本だけがそうなのかと言えば、アメリカの大統領令などはもっと酷く、議会も通さずに大統領が多数発布されます。ただい裁判所がしっかりしているので、州の裁判所が大統領令の無効の判決を下したりもします。
アメリカ議会は与野党の議席が伯仲したり、或いは逆転している事も多く、さらに党議拘束も緩いので、重要法案が議会で否決される事も多い。そこで大統領令が乱発される事になる様です。
■ 官僚は腰は低いが、立法権と行政権を持っているに等しい ■
国会で様々な質疑に答え、さらにはモリカケ問題では批判の矢面に立たされている閣僚ですが、実は法律を作り、行政の実行者として、その権力は強い。
確かにタテマエ上は内閣や各担当大臣に尽くしてはいますが、官僚が反旗を翻せば、民主党政権様に政権運営すらまともに出来なくなります。
自民党はこの事を良く知っていますから、官僚の使い方も、官僚からの使われ方も上手い。法案党内調整の場で、さり気なく政治家の利権を潜り込ませたりしますが、官僚も法案成立の為には、それに目をつぶります。
こうして、第二次安倍内閣以前は、官僚が内閣をコントロールしていた。これを海外の報道は「日本のオートパイロット」と呼んでいました。ほとんど首相が年毎に代わる様な下野前の自民党においても法案提出や行政が滞り無く行われたのは、官僚支配が徹底していたからなのです。
これは戦前からの日本独特のシステムです。
■ 内閣人事局が官僚支配を弱体化させた ■
民主党政権が押し出した「政治主導」は上記の「官僚主導」を修正し、政治の影響力を強めようとしたものでした。しかし、官僚達の造反によって失敗に終わります。
官僚達は官僚に使われ慣れた自民党政権に期待を寄せますが、安倍内閣は内閣人事局によって、各省庁の主要ポスト600人の人事権を掌握し、一気の政治の力を強めます。
安倍内閣は経産省出身者が操る内閣とも言えますから、これは経産省が行政の支配権を獲得したとも言えます。
これまでは予算を握る財務省が最強官庁として君臨していましたが、現在は経産省の力の方が強いとも言えます。エリート集団の外務省も見る影も有りません。外交は官邸主導で外務省の頭越しに行われています。
■ アメリカの要求を無効化出来ない日本 ■
「オートパイロット=官僚主導」は、アメリカの要求を無力化する役割も担っていました。政府や自民党がアメリカに無理な要求をされても、法案の作成において手心を加え、アメリカの要求を無効化していたのです。
しかし、政治主導が強まった事で、「手心」が加え難くなります。
確かに日本は既得権が強く、成長力が弱まっていたので、官僚主導の限界に来ていましたが、本来、その改革は国内で行うものであって、決して外圧で行うものでは無いハズです。
しかし、日本人は変化を嫌うので、明治維持移行、結局は外圧によってしか大きな変革を達成出来ません。私は安倍政権の役割は、既得権の組み換えという点においてはある程度評価しています。
しかし、それも度を過ぎると弊害が大きくなります。特に現在の様にメディアと野党を使ってアメリカが政権を恫喝している状況では、政治主導の悪い面が色々と出て来ます。
■ 自由闊達な国会運営を望むならば、現在の「閣法」を中心にした国会を止めるべき ■
ネトウヨを始め多くの日本人が、日本の国会が「閣法」によって、形骸化している事を知りません。だから野党が「国会戦略」としてモリカケ問題を追及する意味も理解していません。
もしかりに「野党はケシカラン」と言う人達が望む自由闊達な国会議論を達成したいならば、「党議拘束」を緩め「閣法」を止めて「議員立法」中心の国会運営にすれば良い。
当然、法案作成能力の無い今の国会議員では、国会は一瞬にして混乱するはずです。ただ、一時の混乱の後に、理想的な民主主義が実現するのであれば、国民は混乱も我慢して受け入れる必要が有ります。
どの国においても民主主義や議会は劣化していますが、それが国民自体の劣化である事に気付いている人は少ない。生活の安定が保証されてしまえば、国民は「本当の民主主義」には興味を失い、スキャンダルとしての政治を楽しむ様になるのでしょう。