ポニーさんの街ブラと撮り鉄 「ポニ夢中」 (ぬる鉄紀行)

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静岡のお茶と清水港の歴史 その七 清水湊江戸時代 (オマケは巴川を渡るトヨタラッピング車両)

2021-06-09 12:13:17 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月9日の水曜日です。

撮影は4月 巴川橋梁を渡る静岡鉄道は静鉄グループトヨタ販売店のラッピング車

コンパクトな巴町公園、久しぶりの訪問でした。

(フェルケール博物館資料)  上の写真撮影場所は赤丸付近かと。

1611年(410年前)に架けられた「稚児橋」を渡ると湊まで道が続いていました。

江戸初期には対岸の向島(赤丸の下)はまだ小さく、清水湊も多くは湾に面していました。

徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂冬の陣のとき、家康は軍船を三保の入り江に浮かべ、

清水御殿、石垣が残る(写真の)御浜御殿、久能山城、湊周辺に武将を配置して警護し

軍船を動かす御用を務めた清水湊の商人に問屋営業が認められたと伝えられております。

静岡市繫華街呉服町通りにあるパネル  中央が三保半島  見晴らしが素晴らしかったのだろうな。

(現在の巴川西岸)   家康の御用を務めた清水の廻船問屋42軒が営業特権をもらいました。

 巴川西岸には清水八か町と呼ばれた港町がつくられ、江戸時代を通じて42軒を上限として廻船問屋

が営業していました   つづく。

 

 

 

 

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