こんにちは 2021年6月16日の水曜日です。
表紙は静岡県庁別館21階展望フロアから静岡市街を。

青葉シンボルロード 「お茶のまち 静岡」 イベントも多く。
撮影は10時前でまだ準備中、後で確認したら11時スタートでした・・

静岡市繫華街 呉服町通り。

日本資本主義の父、2024年新一万円札の顔となる渋沢栄一
明治元年12月19日だったか、パリ万博視察から帰国した栄一は出張報告のため
謹慎中の慶喜のいる静岡を訪れますが、泊まったのがこの呉服町の履き物屋の二階だったと
どこかに書いてあった。

静岡に着いて4日後、宝台院(中下)で涙の再会を果たし(慶喜はケロっとしていたそうだが)
慶喜は栄一に静岡に残るよう要請しました(静岡藩勘定組頭)。

翌年、近くの代官屋敷(だったかな 現在の浮月楼)に商法会所 (政府から割り当てられた資金と
豪商、豪農による出資を元手にした銀行と商社を併せたような会社) を設立しました。

(東海道本線 菊川付近 西方ではないが 矢印は製茶工場かしら)
お茶は摘み取った茶葉を製茶しなければ出荷できず、それらの作業を効率化するには近代的な工場が不可欠で
莫大な資金が必要とされましたが、静岡の茶農家の多くは資本がないため、工場を建設することは難しい状態でした。
栄一は商法会所で集めた事業資金を茶農家などに融資、これを元手に製茶工場が設立され
同時に流通経路も整備されていきました。

(フェルケール博物館展示) 栄一が静岡に訪れた頃の清水湊(と思われる)

(現在の巴川 港橋から河口方向を)
栄一は翌年(明治2 1869)4月20日から5月10日まで清水湊へ出張(当時なら出張だろな)したとの記録があります。
商法会所の出張所を建設したり、荷物を貯蔵する蔵を増やそうと仕事に奔走
地元の廻船問屋たちと協力し、清水を流通の拠点にすべく尽力しました。 つづく。
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