ポニーさんの街ブラと撮り鉄 「ポニ夢中」 (ぬる鉄紀行)

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東海道本線は天竜川駅付近を走る普通列車(2021年6月 土曜日の朝 ドラッグストアから)

2021-06-16 21:46:30 | 都会の風景

こんばんは  2021年6月16日の水曜夜でございます。

東海道本線は天竜川駅近くのドラッグストア駐車場内の古新聞回収コンテナ脇から

普通列車を。  開店1時間以上前だからクルマはありません。

先日業界3位のドラッグストアが浜松へ2店舗進出を計画しているのを知りました。

1店はここからそう遠くないところに来年1月オープン予定。

県内には3店舗展開してますが浜松は初めて、浜松は同業多いと思うのですが

まぁとにかくさらに競争が激化しそうですね。   おやすみなさい。

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静岡のお茶と清水港の歴史 その十二 渋沢栄一と静岡(写真は静岡市内ほか)

2021-06-16 12:34:24 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月16日の水曜日です。

表紙は静岡県庁別館21階展望フロアから静岡市街を。

青葉シンボルロード  「お茶のまち 静岡」 イベントも多く。

撮影は10時前でまだ準備中、後で確認したら11時スタートでした・・

静岡市繫華街 呉服町通り。

日本資本主義の父、2024年新一万円札の顔となる渋沢栄一

明治元年12月19日だったか、パリ万博視察から帰国した栄一は出張報告のため

謹慎中の慶喜のいる静岡を訪れますが、泊まったのがこの呉服町の履き物屋の二階だったと

どこかに書いてあった。

静岡に着いて4日後、宝台院(中下)で涙の再会を果たし(慶喜はケロっとしていたそうだが)

慶喜は栄一に静岡に残るよう要請しました(静岡藩勘定組頭)。

翌年、近くの代官屋敷(だったかな 現在の浮月楼)に商法会所 (政府から割り当てられた資金と

豪商、豪農による出資を元手にした銀行と商社を併せたような会社) を設立しました。

(東海道本線 菊川付近 西方ではないが  矢印は製茶工場かしら)

お茶は摘み取った茶葉を製茶しなければ出荷できず、それらの作業を効率化するには近代的な工場が不可欠で

莫大な資金が必要とされましたが、静岡の茶農家の多くは資本がないため、工場を建設することは難しい状態でした。

栄一は商法会所で集めた事業資金を茶農家などに融資、これを元手に製茶工場が設立され

同時に流通経路も整備されていきました。

(フェルケール博物館展示)   栄一が静岡に訪れた頃の清水湊(と思われる)

(現在の巴川 港橋から河口方向を)

栄一は翌年(明治2 1869)4月20日から5月10日まで清水湊へ出張(当時なら出張だろな)したとの記録があります。

商法会所の出張所を建設したり、荷物を貯蔵する蔵を増やそうと仕事に奔走

地元の廻船問屋たちと協力し、清水を流通の拠点にすべく尽力しました。   つづく。

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