こんばんは 2021年6月17日の木曜日です。
東海道本線は豊田町駅すぐ東側の田んぼ、撮影は10日前、水が勢いよく出ておりました。
こちらにまた用事があった際は見にいこうと思っております。
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こんばんは 2021年6月17日の木曜日です。
東海道本線は豊田町駅すぐ東側の田んぼ、撮影は10日前、水が勢いよく出ておりました。
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こんにちは 2021年6月17日の木曜日です。
表紙は静岡貨物駅停車中のEF66 27 1092レかな。
明治22年(1887)2月、東海道線は静岡まで開通しました。
新橋-静岡に直通列車上下2本が設定されましたが、当時は片道7時間を要したとのこと。
2月に三保から乗った船からエスパルスドリームプラザ(波止場)を見る。
(フェルケール博物館展示) 明治8年、波止場用地(中央下)確保から145年が経ちました。
(フェルケール博物館展示)
清水の廻船問屋や静岡県の製茶業界などが清水港を開港するよう
請願運動を重ね、その結果明治32年(1899)清水港が開港しました。
(清見寺前 EF210-901)
しかし、アメリカ直行船がなく、また茶の再製工場が静岡になかったため、依然として静岡茶は
船や東海道線(東海道線がかなり優勢か)で横浜まで運ばれ輸出されていました。
明治24年(1891)富士合資会社(横浜市)は再製機械を導入した工場を西方村(現菊川市)に建築
明治33年には静岡工場を設けました。
(清水マリンパーク)
明治33年(1900) 海野孝三郎らは静岡市に東陽製茶貿易会社を設立し
この頃から静岡県下に続々と再製工場が建築されました。
(フェルケール博物館展示)
お茶を清水港から直接海外に輸出することで周辺産業や町の発展を目指そうと
海野孝三郎らの活躍により再製工場の設置や日本郵船への働きがけが実り
明治39年(1906)5月13日 アメリカ直行船の「神奈川丸」が
再製茶を積んでシアトルに向けて出港するため初めて清水港へ入港しました。
横浜や神戸の外国茶商も静岡に事業所を設立、再製工場も整えられたことから
静岡からの直輸出は急速に増え、静岡が茶の輸出の中心市場になっていきました。
つづく。
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