シリーズ第13作。僕はこの映画の次の作品からすべて劇場で見ている。14作の『寅次郎子守唄』を住道平和座で75年の正月に見た。高校1年生だったはずだ。鮮明に覚えている。こんな映画を見るはずじゃなかったのに、(同時上映の映画のほうがメインだった)たまたま見た寅さんに夢中になった。作品自体はあまり出来は良くない。でも、初めての寅さんだったから、それだけで、感動したのだろう。高校1年生で、映画に夢中だったのに、寅さんの魅力にはまだ触れていなかった。そんなころの話だ。
今日久々に『恋やつれ』を見て感動した。もしかしたら、これは寅さんシリーズ50作品のベストではないか、と今なら思う。それくらいに寅さん映画の一番素晴らしい要素が隅々にまでいきわたった作品だった。冒頭のエピソードがラストとリンクする。高田敏江との再会を描くラストシーンも素晴らしい。吉永小百合と再会するシーンから、別れまでの短い時間。津和野のシーンだ。その日の午後から夕方まで。そして、彼女がとらやにやってきて、しばらく過ごす夢のような時間。寅さんは毎日幸せで、彼女を見ているだけで生きていてよかったと思える。もちろん、僕たちも同じだ。好きな人と一緒に暮らす時間。とらやの家族がいて、彼女がいる。それが寅さんの至福の時間だ。夢の時間がずっと続けばいい。だけど、そんな時間はやがては終わる。彼にだってわかっている。寅さんが彼女の父親を訪ねるシーンもとてもいい。そして、ラスト直前の再び父親の元に戻った彼女を訪ねる花火の日の夜。浴衣を着た彼女が美しい。吉永小百合の魅力を最大限に引き出した映画だった。
余談だけれど、僕は高校生だった頃、彼女の大ファンで、60年代の日活青春映画のおっかけをしていた。彼女の映画をみんな見ようと努力した。TV放送があれば、朝や昼なら学校を休んで見たこともある。『キューポラのある街』なんて何度も劇場で見た。(その当時日活の旧作を東梅田シネマで4本立で上映していたし。)そんなことを改めて思い出していた。もちろん、この『恋やつれ』も劇場で見ている(はず)だ。だけど、10代だった当時はこれがこんなにもいい映画だったなんて、思わなかった。今ならわかる。幸せについて語るシーンでは泣きそうになった。寅さんが何度となく憂いを秘めた顔をする。こんな映画は他にない。
今回、毎週土曜に寅さんを見続けて、ようやくここまできて、この後はもうすべて時系列で見ているけど、ここまでの作品は、寅さんまつりで見たり、TVで見たりで、順を追って見てはいなかったから、ここまでを13週間毎週見ることができてよかった。何本か飛ばしたけど、ほぼ毎週見た。『寅次郎夢枕』や『望郷篇』がすごくいいのは、ちゃんと覚えていたし、知っていたし、『忘れな草』でのリリー登場とか、わかっていたことの再確認もできた。
TVだし、CMが山のように挟まれるから、なかなか集中して見るわけにはいかなかったけど、それでも、貴重な経験をさせてもらえた。