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映画・演劇のレビュー

青年団『東京ノート』

2009-10-28 22:46:09 | 演劇
 2004年から2014年へと設定変更したらしい。1994年の初演のとき10年後の近未来を想定したわけだから04年が過去になってしまった以上、設定変更は当然のことだろう。この作品の描く時間は今から10年ぐらい先という漠然とした時間なのだ。これはSFではない。いまからほんの少し先、でも状況は幾分異なる。ヨーロッパでは戦争が起きている。でもここ日本では変わることにない日常が続く。とはいえこの日常がずっと続く保証なんかない。刻々と移り変わる現実の中で不安は隠せない。だが、彼らのとりあえずの今は、東京に出て来た長女を囲んでみんなで食事会をすることだ。その待ち合わせ場所がこの美術館のロビーである。

 今回初めて実際に美術館のロビーで上演されるヴァージョンを見たのだが、それだけでこの作品がこんなにも印象を変えてしまうことに正直驚いた。国立国際美術館のロビーでの上演がこんなにも刺激的になるだなんて予想以上だった。9年前にアイホールで見たときとはまるで別の芝居である。

 前回初めて見たときには、ヨーロッパで起きている戦争と、日本の静寂の対比がとてもリアルだったが、今回は戦争のことよりも美術館自体がリアルすぎて(というか、本物の美術館なのだから当然だ)この作品におけるドラマとしての仕掛けは完全に背景になってしまう。

 結果的には平田オリザさんの本来目指していたものが、この空間によってより正確に伝わることになった。だからこの作品は劇場だけでなく、今までも何度となく美術館で上演さててきたのだろう。

 これは2014年の平凡な東京の日常スケッチなのである。いつものことながら定点観測でなんでもない一時の描写が綴られていく。ヨーロッパでの戦争も、たくさんの難民がこの国に入ってきていて、この国はきっともうすぐ滅びてしまうことになるとしても、2014年の東京はこんなにも穏やかで、表面的には平和そのものなのだ。彼らは戦火を逃れてこの美術館に保管委託されたフェルメールを見ている。それだけのことだ。

 長女はいつものように今年も東京にやってきた。彼女のためにここで暮らす兄弟たちがみんなで集まり食事をする。田舎には彼らの両親が今も健在で2人の面倒はこの長女が見ている。東京に出てきた兄弟たちはこの姉に気を使う。これは言わずと知れた小津安二郎監督『東京物語』の設定を援用した物語だ。

 彼らを中心にして、この美術館のロビーですれ違うさまざまな人々の静かなやりとりが描かれていく。長引く戦争のため日本でも徴兵制が敷かれ、ヨーロッパに平和維持軍という名目で軍隊が送り込まれる。戦争は確実にこの国を蝕む。もちろん世界をも。そんな中、この近代的な美術館の中で、たくさんの名画を見て、時を過ごす人たち。彼らは当たり前の今日1日を生きている。田舎に残してきた年老いた両親、それぞれの事情、この家族だけではない。ここにやってきたそれぞれが、ささやかだけど深刻なさまざまな問題を抱えて生きている。

 何も起こらないある日のスケッチを気負うことなく静かに見せていくこの平田オリザさんの代表作は、これからも永遠に色褪せることなく、いつまでも上演され続けることだろう。


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