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映画・演劇のレビュー

『エヴェレスト 神々の山嶺』

2016-03-17 20:31:13 | 映画

 

平山秀幸監督がこういうタイプの映画を手掛けるなんて、なんだか意外だ。ミステリータッチも加味した人間ドラマ。1993年が舞台になる。昨日まで読んできた小説が95年が舞台だったので、なんだか不思議なつながりを感じる。まぁ、たまたまでしかないけど。

エヴェレストを目指し消息を絶った登山家(阿部寛)を追って、ネパールまでやってくるカメラマン(岡田准一)。ふたりが前人未到の困難なルートからエヴェレスト登頂を目指す。ただ、それだけのお話。

 

あるパーティーに同行しエヴェレストを目指し、失敗した岡田は、偶然カトマンズの街で阿部と出会い、帰国後、彼のこれまでの人生、消息をたどることから、再び、彼を探してネパールに向かうことになる。

 

日本シークエンスがおもしろい。ここで、阿部がどんな男だったのかが描かれるのだが、数々の談話から浮かび上がる彼の山に賭ける情熱が、(お決まりのパターンだが、)興味深い、岡田が彼に嵌っていく過程が、観客目線でも、しっかり伝わってくる。どんどん期待させて、ネパールでの再会となるのだが、再び登場した阿部ちゃんはかっこいいのだが、簡単に再会出来過ぎで、少し肩すかし。

さらにはふたりでエヴェレスト登頂する、という展開も安易。話があまりに簡単に進み過ぎて、なんだか物足りない。エヴェレストのシーンが映画の見どころだから、そこをじっくり描くべきなので、2時間の映画ならこういうことになるのかもしれないが、それにしても、もう少し映画としてのタメが欲しい。

それは、終盤の遭難した阿部ちゃんを捜しに行く部分なんか見ていると感じる。段取り通りの展開をさらりと見せるから、せっかくの困難な映画が、単純で嘘くさくなる。この映画を作るのは大変だったはずだ。なのに、こんなに簡単にこの困難な話を見せられては、なんだか納得できない。なんだかわがままみたいだけど、映画は僕たち観客も、もっと危険にさらして欲しい。

 いろんな要素を詰め込み過ぎたのだ。欲張ると、どうしても消化不良を起こす。これだけの大作で、主人公の2人が過酷な撮影を耐えて素晴らしい演技を見せるのだから、演出は彼らに報いて欲しい。平山監督なら、この映画を骨太の人間ドラマとして構築できたはずなのに、どうしてこんなふうになったのだろうか。『愛を乞うひと』や様々な映画で、過酷な状況から出口を見出す主人公を描いた実績のある彼なのに、今回は失敗している。


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