習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ハプニング』

2008-08-04 21:46:55 | 映画
  M・ナイト・シャマランがまたやってしまった。見る前から嫌な予感がしていたが、予想した通りの映画で、脱力してしまった。シャマランはもうしばらく映画はやめたほうがいい。というか、もう引退したほうがいい。映画作家として、終っている。これだけ貧困な発想しか出来ない以上彼に撮らせることは犯罪的な行為だと思う。

 『ヴィレッジ』を見た時確信したことを、またまた確認することになる。嫌な予感は当然的中する。彼にはひとつの抽斗しかない。それをご大層に繰り返し見せ続ける。B級テイストを売りにしてはならない。そんなことをするとB級映画に怒られれしまう。俺たちは好きでB級なのではない、才能がないだけなのだ、と。

 シャマランには才能がある。なんでもないことをさも何かがあるかのように思わせる、という。それって、ただのはったりかもしれないが、かなり高級なはったりだと最初は思った。『シックス・センス』と『アンブレイカブル』の前半だ。彼のキャリアはそこで終っている。

 だが、彼は徒にどんどん映画を作り続ける。世界中がそっぽを向いても気にしない。今回の映画もまた、予告編は衝撃的だった。一体何が起きているのか、まるでわからないまま、動いていく。世界規模の不安が覆いつくす。そんな予感の映画だ、と思わされた。だが、 M・ナイト・シャマラン作品とわかった瞬間映画の中身は見ないでもわかってしまった。悲しいことだ。

 それでも、劇場に確認に行ってしまう。悲しい性だ。前半、予告編と寸分変わらない展開に、すこし期待する。だが、見事にそこまでだ。それ以上のイメージの広がりは皆無。そして、主人公たちが田舎に行ったところから、どうでもよくなった。「どうせ、なんにもないのだ、この映画には」ともう見ないでも過去の作品から学習している。そして、彼は裏切らない。(裏切ってくれよ、ほんとは)

 話の内容はもう書かない。あなたの期待は裏切られない。ここには何の解決もない。こけおどしすらない。人類はある日何の訪れもなく、滅ぶ、らしい。まず、蜂がいなくなる、とか言ってたけど。まぁ、そんなことどうでもいい。せめて、都会から出ないで話を作って欲しかった。不安がどんどん増幅していくこと、それだけで1本の映画を仕立てて欲しかった。悲しい。

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