こんな狂った映画が堂々と全国公開でロードショーされる。これは普通ならミニシアターでひっそりと公開されるべき作品である。だが今年、エマ・ストーンが主演でアカデミー賞で注目された『哀れなるものたち』のコンビの新作だからこういう形で公開したのだろうが、もともとヨルゴス・ランティモス監督はマニアックな映画を作る変人だ。前作だって大作だけどアカデミー賞に引っかかるようなメジャー映画ではない。
今回は派手な前作を遥かに上回る地味な変さ。またまた3時間の大作仕様だけど、今回は視覚的な仕掛けはなく、お話で引っ張っていく。だけどそのお話があまりに異常で狂っている。常人の理解の範疇には収まらない。不思議な話なんていう生やさしいものではない。マニアックなマイナー映画ではなくメジャーの商業映画の大作である。しかもディズニー配給作品だし。なのにこんなに狂った映画である。大丈夫か、と心配する。
3話からなる連作。3時間だから、だいたい1本が1時間である。これだけで独立した映画だと考えてもいいくらいのボリューム。1話の異常さに圧倒されたが、まだまだ先かある。2本目は異常さはさらにエスカレート。呆れ果てる。だけど、3話はさらにその上をいく。もうあり得ない。何がなんだかわからない。ラストのエマの不気味ダンス。あれはなんだったのだろう。理解不能。
ストーリーは書かない。そこにはあまり意味はないし、調べればわかることだ。話の異常さ、まさかの突き放すようないきなりの終わり方。これで終わりだというサインとしてのキャスト字幕。だけどまだ映画は続くのを垣間見せる字幕の背景の映像。だけどそれもまたすぐに断ち切られて、いきなり次の映画が始まった。メインキャストは同じ人たちである。エマ・ストーン始め3人の主人公だけでなく、他にも重なって登場するキャストは多数いる。メインの3人なのにウィレム・デフォーは時には脇役になりあまり登場しないエピソードもある。だけどあの顔である。毎回目立つ。彼は今アメリカ映画の顔ではないか、と思うくらいの露出度で昨日見た『ビートルジュース ビートルジュース』でも重要ではない役で目立っていた。
それにしてもこんな映画が大劇場で見ることが可能な時代ってなんだろうか。公開2日目、土曜日朝の劇場には僕を含めて6人の観客。きっと日本のシネコンではすぐに消えていく映画だろう。幻になる前に目撃せよ。