町歩きが好きだ。知らない町をふらふらと何のあてもなく歩いて行くとさまざまな光景に出会う。たった一人で知らない町に身を任せる。ここで暮らす自分を夢想する。町には生活の匂いがする。幻の自分はそこに一瞬紛れ混む。朝と夕暮れがいい。早朝のまだ人々の活動が始まる前の町。あるいは夕暮れの人々が帰りに就く前の町。もちろん真昼の人通りの少ない場所や時間もいい。人恋しいくせに、人が煩わしい。わがままなのだ。
これは映画評論家で文芸評論家でもある、なんて説明をするまでもない。大好きな川本さんの短編小説集。エッセイに近いけど、敢えて小説と呼ぼう。表紙には「川本三郎掌篇集」とある。新作ではなく、これまで書いた作品を一冊にして上梓した。巻末に『記憶都市』『遠い声』『青のクレヨン』から選びました、とあるからこれはすでに一度は読んでいる作品ばかりだ。だけどこうして再び別の一冊になったから、もう一度固め読みすることに異論はない。以前読んでいてぼんやりと記憶にはあるけど、定かではない。内容自体も淡い。もちろんストーリーはない。心象風景に似た記録であり、記憶の断片。
ここには彼が生きた時代が背景にはある。幼い頃の話から20代の頃、さまざまな時間が切り取られる。小さな旅の記録。感傷。短いお話はこうして並べるとひとつの記憶として残る、つながっていく。もうずっと前から終わった『昭和』がそこにはある。映画でも写真でもない記憶の中にしかない小説だから可能な風景がここには広がっている。
昔一度読んでいるのに新鮮な感動がそこには確かにある。昔読んだという微かな記憶が残るから余計に懐かしい。この不思議な感覚はきっと、たぶんこれを初めて読む人も感じる想いではないか。川本さんは過去の旅を懐古するためにこの本を上梓したのではないだろう。昭和が終わり、平成だって思い出となる今、自分の人生も終末を迎え、幻の日々は新しい記憶を喚起する。今だから旅することが可能な作品作りをこの一冊を通して描こうとした。そんな気がする。