今年最後の1本。そしてこれが「WING CUP 2022」最初のプログラムになる。本当ならこの12月10日から11日に上演の「くらげのななり」公演『ばかやろう』が1本目の作品となるはずだったのだが、コロナ感染のせいで上演が中止になった。この3年間こんなふうにして上演されることなく消えてしまった芝居がいくつあったことだろう。数えきれないため息と無念がそこにはある。
ということで今年のウイングカップはなんと4作品となる。これはその第1作。田宮ヨシノリ、作演出作品。中学時代の前田と木島はふたりでタトゥーを入れに来るが、前田はびびっている。女である木島は平然としているのに。そんなふたりの会話から芝居は始まる。そこにスコップで穴を掘る男とそれをただ見ている男の会話が続く。何のための行為なのか、何を求めての行為なのか。この二つのエピソードからお話はスタートするのだが、明確なストーリーラインを持たないまま、ゆるゆると芝居は流れていく。彼らの会話は、ことばのキャッチボールであるはずなのに、まるで交わらない。だから頭に入ってこないというのも気になる。
舞台中央に置かれた水槽。上手下手にも同様に水槽が置かれてある。こちらはセンターの水槽より小さい。ウイングフィールドの空間を横向けに使い、7階へとつながる階段も取り込み、舞台を設営する。エレベーターのある黒い壁側を舞台とする。これはよくあるパターンで別に目新しいことではない。この黒い箱を黒いままで使用。だがそんな単純さがこの芝居を素直に象徴する。前田を中心とする3人の男と2人の女がそれぞれ2人ずつになって交し合う言葉と言葉はすれ違う。会話劇のはずなのに、それは相手に向かわずに自閉していく。ストーリーを進めていくわけではなく、停滞したまま。ことばを通してお互いが自らの内へと閉じていくのだ。だから2人は話しているのにその会話はとても空しい。
相手に何かを欲している。そこに誰がいても、変わらない。他者に心を開くことなく。ひとりでいるのがつらいから電話しているのに電話をしていても誰ともつながらない。(スマホではなく、なぜか電話を使用)3年半後に死んでしまうという字幕もこの芝居の全体像を象徴的に示すだけで、そこから明確なお話としての展開はない。なんだかもどかしいが、そんなもどかしさを抱えたまま、静かな時間が過ぎていく。この芝居が抱えるこのどうしようもない空虚さがいい。誰かとつながりたい、自分をわかって欲しいという切実な願いも空虚さにしかつながらないにもかかわらず。
2022年ラストの芝居がこういう作品でよかった。若い作家が自分勝手にわがままな芝居を誠実に作る。WING CUP 2022がようやくスタートした。今回も楽しみだ。